長短経 / 知人
又有揆徳。揆徳者、其有言忠行夷、秉志無私、施不求反、情忠而察、貎拙而安者、曰仁心者也。有事變而能治效、窮而能達、措身立功而能遂、曰有知者也。有富貴恭儉而能威嚴、有禮而不驕、曰有徳者也。〔議曰、魚豢云、貧不學儉、卑不學恭、非人性分、處所然耳。」是知别恭儉者、必在於富貴人也。〕有隠約而不懾、安樂而不奢、勲勞而不變、喜怒而有度、曰有守者也。有恭敬以事君、恩愛以事親、情乖而不叛、力竭而無違、曰忠孝者也。此之謂揆徳。
新字:又有揆徳。揆徳者、其有言忠行夷、秉志無私、施不求反、情忠而察、貎拙而安者、曰仁心者也。有事変而能治効、窮而能達、措身立功而能遂、曰有知者也。有富貴恭倹而能威厳、有礼而不驕、曰有徳者也。〔議曰、魚豢云、貧不学倹、卑不学恭、非人性分、処所然耳。」是知別恭倹者、必在於富貴人也。〕有隠約而不懾、安楽而不奢、勲労而不変、喜怒而有度、曰有守者也。有恭敬以事君、恩愛以事親、情乖而不叛、力竭而無違、曰忠孝者也。此之謂揆徳。
書き下し
又た揆徳有り。揆徳とは、其の言忠に行い夷らかに、志を秉りて私無く、施して反を求めず、情は忠にして察かに、貌は拙にして安き者有り、仁心の者と曰う。事変ありて能く治効し、窮して能く達し、身を措きて功を立てて能く遂ぐる有り、知有る者と曰う。富貴にして恭倹にして能く威厳あり、礼有りて驕らざる有り、徳有る者と曰う。〔議に曰く、魚豢云う「貧しければ倹を学ばず、卑しければ恭を学ばず。人の性分に非ず、処る所然らしむるのみ」と。是れ恭倹を別つは、必ず富貴の人に在るを知る。〕隠約にして懾れず、安楽にして奢らず、勲労ありて変ぜず、喜怒に度有る有り、守有る者と曰う。恭敬にして以て君に事え、恩愛にして以て親に事え、情乖きて叛かず、力竭きて違う無き有り、忠孝の者と曰う。此れ之を揆徳と謂う。
現代語訳
また揆徳というものがある。揆徳とは次のことである。言葉が忠実で行いが平らかで、志を握って私心がなく、施して見返りを求めず、情は忠実で察しがよく、外見は不器用だが落ち着いている者がいる、これを仁心の者という。事変があっても処理して効果を上げ、行き詰まっても道を開き、身を置いて功を立てて成し遂げる者がいる、これを知ある者という。富貴でありながら恭しく倹しく、しかも威厳があり、礼がありながら驕らない者がいる、これを徳ある者という。〔議していう。魚豢はこう言う。「貧しければ倹約を学ぶ必要がなく、身分が低ければ恭しさを学ぶ必要がない。人の生まれつきではなく、置かれた場所がそうさせるだけだ」。だから恭しさと倹しさを見分けられるのは、必ず富貴の人においてである。〕隠れて困窮してもおびえず、安楽であっても奢らず、功労があっても変わらず、喜怒に節度がある者がいる、これを守ある者という。恭しく敬って君に仕え、恩愛をもって親に仕え、心が離れても叛かず、力が尽きても背かない者がいる、これを忠孝の者という。これを揆徳という。
解説
この章句が説くこと
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