長短経 / 昏智
太史公曰、「平原君、翩翩濁代之佳公子也、然不覩大體。語曰、『利令智昏。』平原君貪馮亭邪說、使趙䧟長平四十餘萬、邯鄲幾亡。」此昏于利者也。〔《人物志曰、「夫仁出于慈、有慈而不仁者。仁者有恤、有仁而不恤者。厲者有剛、有厲而不剛者。若夫見可憐則流涕、将分與則恡嗇、是有慈而不仁者。覩危急則惻隠、將赴救則畏患、是有仁而不恤者。處虚義則色厲、顧利欲則内荏、是有厲而不剛者。然則慈而不仁、則恡奪之也、仁而不恤、則懼奪之也、厲而不剛、則欲奪之也。〕
新字:太史公曰、「平原君、翩翩濁代之佳公子也、然不睹大体。語曰、『利令智昏。』平原君貪馮亭邪説、使趙陥長平四十余万、邯鄲幾亡。」此昏于利者也。〔《人物志曰、「夫仁出于慈、有慈而不仁者。仁者有恤、有仁而不恤者。厲者有剛、有厲而不剛者。若夫見可憐則流涕、将分与則恡嗇、是有慈而不仁者。睹危急則惻隠、将赴救則畏患、是有仁而不恤者。処虚義則色厲、顧利欲則内荏、是有厲而不剛者。然則慈而不仁、則恡奪之也、仁而不恤、則懼奪之也、厲而不剛、則欲奪之也。〕
書き下し
太史公曰く「平原君は、翩翩たる濁世の佳公子なり。然れども大体を覩ず。語に曰く『利は智をして昏からしむ』と。平原君、馮亭の邪説を貪り、趙をして長平に四十余万を陥らしめ、邯鄲幾ど亡ぶ」と。此れ利に昏き者なり。〔人物志に曰く「夫れ仁は慈より出づ。慈有りて仁ならざる者有り。仁なる者は恤有り。仁有りて恤まざる者有り。厲なる者は剛有り。厲有りて剛ならざる者有り。若し夫れ憐れむべきを見れば則ち流涕し、将に分与せんとすれば則ち恡嗇なるは、是れ慈有りて仁ならざる者なり。危急を覩れば則ち惻隠し、将に赴き救わんとすれば則ち患いを畏るるは、是れ仁有りて恤まざる者なり。虚義に処れば則ち色厲しく、利欲を顧みれば則ち内荏なるは、是れ厲有りて剛ならざる者なり。然らば則ち慈にして仁ならざるは、則ち恡之を奪うなり。仁にして恤まざるは、則ち懼之を奪うなり。厲にして剛ならざるは、則ち欲之を奪うなり」と。〕
現代語訳
太史公司馬遷は言う。「平原君は乱世の中の颯爽とした立派な貴公子であった。しかし大局を見なかった。ことわざに『利は知恵を曇らせる』とある。平原君は馮亭のよこしまな説を貪って、趙に長平で四十万余りの兵を失わせ、都邯鄲もほとんど滅びかけた」。これが利に心を曇らされた例である。〔『人物志』に言う。「仁は慈しみから出るが、慈しみがあっても仁でない者がいる。仁ある者には思いやりがあるが、仁があっても思いやらない者がいる。厳しい者には剛さがあるが、厳しくても剛くない者がいる。哀れな人を見ると涙を流すのに、分け与える段になるとけちるのは、慈しみがあっても仁でない者である。危急を見ると心を痛めるのに、助けに行く段になると災いを恐れるのは、仁があっても思いやらない者である。空論の義を語るときは顔つきが厳しいのに、利欲を前にすると内心がくじけるのは、厳しくても剛くない者である。慈しみがあっても仁でないのはけちがそれを奪うからで、仁があっても思いやらないのは恐れがそれを奪うからで、厳しくても剛くないのは欲がそれを奪うからである」。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・梁惠王章句上孟子、梁の惠王に見ゆ。王曰く、「叟、千里を遠しとせずして來たる。亦た将に以て吾が國を利する有らんとするか。」孟子對えて曰く、「王何ぞ必ずしも利と曰わん。亦た仁義有るのみ。王は何を以て吾が國を利せんと曰い、大夫は何を以て吾が家を利せんと曰い、士・庶人は何を以て吾が身を利せんと曰う。上下交々利を征れば國危うし。萬乘の國、其の君を弒する者は、必ず千乘の家なり。千乘の國、其の君を弒する者は、必ず百乘の家なり。萬に千を取り、千に百を取る、多からずと為さず。苟も義を後にして利を先にすることを為さば、奪わずんば饜かず。未だ仁にして其の親を遺つる者有らざるなり。未だ義にして其の君を後にする者有らざるなり。王も亦た仁義と曰わんのみ。何ぞ必ずしも利と曰わん。」
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「之に附すに韓・魏の家を以てするも、如し其の自ら視ること欿然(カン・ゼン)たらば、則ち人に過ぐること遠し。」
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論語・憲問篇子路、成人を問う。子曰く、「臧武仲の知、公綽の不欲、卞荘子の勇、冉求の芸の若き、之を文るに礼楽を以てせば、亦た以て成人と為す可し。」曰く、「今の成人なる者は、何ぞ必ずしも然らん。利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授け、久要平生の言を忘れざれば、亦た以て成人と為す可し。」
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孟子・公孫丑章句下孟子、臣為るを致して歸る。王就いて孟子を見て曰く、「前日、見んことを願いて得可からず。同朝に侍するを得て甚だ喜べり。今、又寡人を棄てて歸る。識らず、以て此に繼いで見るを得可きか。」對えて曰く、「敢て請わざるのみ。固より願う所なり。」他日、王、時子に謂いて曰く、「我、中國にして孟子に室を授け、弟子を養うに萬鍾を以てし、諸大夫國人をして、皆矜式する所有らしめんと欲す。子盍ぞ我が為に之を言わざる。」時子、陳子に因りて以て孟子に告げしむ。陳子、時子の言を以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「然り。夫の時子惡くんぞ其の不可なるを知らんや。如し予をして富を欲せしめば、十萬を辭して萬を受く。是れ富を欲すと為さんか。季孫曰く、『異なるかな子叔疑。己をして政を為さしむ。用いられざれば則ち亦た已まん。又其の子弟をして卿為らしむ。人亦た孰か富貴を欲せざらん。而して獨り富貴の中に於いて、龍斷を私する有り。』古の市為るや、其の有る所を以て其の無き所に易う者なり。有司は、之を治むるのみ。賤丈夫有り。必ず龍斷を求めて之に登り、以て左右望して市利を罔せり。人皆以て賤しと為す。故に從って之を征す。商を征するは、此の賤丈夫自り始まる。」
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『韓非子』備內第十七醫善く人の瘍を吮い、人の血を含むは、骨肉の親に非ざるなり。利の加わる所なり。
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『長短経』七雄略〔天下の士、合縦して趙に相聚まり、秦を攻めんと欲す。応侯曰く「王憂うること勿かれ。請う、之を廃せしめん。秦は天下の士に於いて、怨み有るに非ざるなり。相聚まりて秦を攻むる者は、以て富貴を欲するのみ。王は王の狗を見るか。数千百の狗、群れを為し、臥す者は臥し、行く者は行き、止まる者は止まり、相与に闘う者無し。之に一骨を投ずれば、則ち群起して相呀む。何となれば、争う意有ればなり。今、五千金を載せて唐雎に随わしめ、并せて奇楽を載せて武安に居らしめ、高会して相飲ましめば、散ずること三千金なる能わずして、天下の士相与に闘わん」と。〕