長短経 / 覇図
會攸家犯法、審配収繫之。攸不得志、遂奔曹公。而説操襲取淳于瓊。瓊時督軍、屯在烏巢、去紹軍四十里。操自将急擊之。時張郃説紹曰、「曹公兵精、徃必破瓊。瓊破、則将軍事去。宜引兵救之。」郭圖曰、「郃計非也、不如攻其本營、勢必還、此為不救而自觧也。」郃曰、曺公營固、攻之必不㧞。若瓊等見禽吾屬盡為虜矣。」紹但遣輕騎救瓊、而以重兵攻操營、不能下。曹公破瓊、焚其積聚。紹軍潰散奔北、曺公遂破紹、乃威震天下也。〕
新字:会攸家犯法、審配収繋之。攸不得志、遂奔曹公。而説操襲取淳于瓊。瓊時督軍、屯在烏巣、去紹軍四十里。操自将急撃之。時張郃説紹曰、「曹公兵精、往必破瓊。瓊破、則将軍事去。宜引兵救之。」郭図曰、「郃計非也、不如攻其本営、勢必還、此為不救而自觧也。」郃曰、曺公営固、攻之必不抜。若瓊等見禽吾属尽為虜矣。」紹但遣軽騎救瓊、而以重兵攻操営、不能下。曹公破瓊、焚其積聚。紹軍潰散奔北、曺公遂破紹、乃威震天下也。〕
書き下し
会々攸の家、法を犯す。審配、之を収繋す。攸、志を得ず、遂に曹公に奔る。而して操に説きて淳于瓊を襲取せしむ。瓊、時に軍を督し、烏巣に屯在す。紹の軍を去ること四十里。操、自ら将いて急に之を撃つ。時に張郃、紹に説きて曰く「曹公の兵は精なり。往かば必ず瓊を破らん。瓊破れなば、則ち将軍の事去らん。宜しく兵を引きて之を救うべし」と。郭図曰く「郃の計は非なり。其の本営を攻むるに如かず。勢い必ず還らん。此れ救わずして自ら解くるを為すなり」と。郃曰く「曹公の営は固し。之を攻むるも必ず抜けざらん。若し瓊等禽にせられなば、吾が属、尽く虜と為らん」と。紹、但だ軽騎を遣わして瓊を救い、而して重兵を以て操の営を攻むるも、下す能わず。曹公、瓊を破り、其の積聚を焚く。紹の軍、潰散奔北す。曹公、遂に紹を破り、乃ち天下を威震するなり。〉
現代語訳
ちょうど許攸の家族が法を犯した。審配がこれを捕らえて繋いだ。許攸は思いを遂げられず、ついに曹操のもとへ走った。そして曹操に淳于瓊を襲って奪うよう説いた。淳于瓊はそのとき軍を監督して烏巣に駐屯していた。袁紹軍から四十里。曹操は自ら率いて急襲した。このとき張郃が袁紹に説いた。「曹操の兵は精鋭です。行けば必ず淳于瓊を破る。淳于瓊が破れれば、将軍の事業は終わりです。兵を率いて救うべきです」。郭図が言った。「張郃の計は誤りだ。曹操の本営を攻めるに越したことはない。必ず引き返す。これが救わずに自然に解ける道だ」。張郃は言った。「曹操の陣営は堅い。攻めても落ちない。もし淳于瓊らが捕らえられたら、我々はみな捕虜になります」。袁紹は軽騎だけを送って淳于瓊を救い、主力で曹操の陣営を攻めたが落とせなかった。曹操は淳于瓊を破り、その蓄えを焼いた。袁紹の軍は崩れて逃げた。曹操はついに袁紹を破り、天下に威を震わせた。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図紹、果たして曹公の敗る所と為る。紹、進みて武陽を保ち、操と相い持す。沮授、又た説きて曰く「北兵は衆しと雖も、果勁は南に及ばず。南の穀は虚少なるも、財貨は北に及ばず。南の利は急戦に在り、北の利は緩搏に在り。宜しく持久を修め、曠しくするに日月を以てすべし」と。紹従わず。連営して漸く官渡に逼る。許攸、進みて曰く「曹操は兵少なくして、師を悉くして我を拒ぐ。許下の余守、勢い必ず虚弱ならん。若し軽騎を分遣し、星行して襲わば、許抜けて、則ち操は擒を成さん。如し其れ未だ潰えずんば、首尾をして奔命せしむ可し。之を破ること必せん」と。紹、又た用うる能わず。
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『長短経』三国権太祖、袁紹と官渡に相持す。時に公は粮少なく、荀彧に書を与え、議して許に還らんと欲す。彧曰く「紹は悉く衆を官渡に聚め、公と勝敗を決せんと欲す。公は至弱を以て至強に当たる。若し制すること能わずんば、必ず乗ずる所と為らん。是れ天下の大機なり。且つ紹は布衣の雄のみ。能く人を聚むれども用うること能わず。夫れ公の神武明哲を以て、輔くるに大順を以てす。何に向かいてか済らざらん。今、軍少なしと雖も、未だ楚漢の滎陽・成皋に在りし時に若かざるなり。是の時、劉・項、肯えて先に退く莫し。先に退く者は勢い屈すればなり。公は十分の一に居るの衆を以て、地を画して之を守り、其の喉を扼して進むを得ざらしむること、已に半年なり。情見れ勢い竭く、必ず将に変有らんとす。此れ奇を用うるの時、失うべからず」と。又た紹の謀臣許攸、財を貪る。紹縦すこと能わず。来奔し、太祖に説きて紹の別屯を襲い、其の粮穀を燔かしむ。遂に紹を破る。
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『長短経』覇図紹従わず、遂に操を官渡に攻む。紹、自ら兵を引きて黎陽に至る。沮授、行くに臨み、其の資財を散じ、宗族を会して以て之に与えて曰く「勢い在れば威、加わらざる無く、勢い亡ぶれば則ち其の身を保たず。哀しいかな」と。其の弟宗曰く「曹操の士馬は敵せず。君、何ぞ懼れんや」と。授曰く「曹兗州の明略を以てし、又た天子を挟みて以て資と為す。我、伯珪に克つと雖も、衆は実に疲弊す。而して主は驕り将は汰る。軍の破敗は此の挙に在るなり。揚雄に言える有り『六国嗤嗤として、嬴の為に姫を弱くす』と。殆ど今の謂いか」と。河を渡るに及び、舟に臨みて嘆じて曰く「上は其の志に盈ち、下は其の功を務む。悠悠たる黄河、吾将に済らんとするか」と。
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『長短経』覇図卓、兵起こるを聞き、乃ち天子を徙して長安に都す。卓、兵を留めて洛陽に屯す。司徒王允と呂布と、卓を殺す。楊奉・韓暹、天子を以て洛陽に還る。太祖、洛陽に至りて京邑を衛る。暹、遁れ去る。太祖、洛陽の焼焚残破せるを以て、天子を奉じて許に都す。詔を下して袁紹を責むるに、地広く兵強きも、専ら自ら党を樹て、勤王の師を聞かざるを以てす。〈紹、時に公孫瓚を并せ、四州の地を兼ぬ。〉紹、遂に許を攻む。太祖、之を官渡に破る。紹、血を嘔きて死す。
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『長短経』覇図曹公、官渡に軍す。紹、時に衆を悉くして南す。田豊、紹に説きて曰く「曹公は善く兵を用い、変化方無し。衆は少なしと雖も、未だ軽んず可からず。久しきを以て之を持するに如かず。将軍は山河の固きに拠り、四州の衆を擁す。外は英雄を結び、内は農戦を修む。然る後に其の精鋭を簡び、分かちて奇兵と為し、虚に乗じて迭々出で、以て河南を擾し、右を救わば則ち其の左を撃ち、左を救わば則ち其の右を撃つ。敵をして奔命に疲れしめ、人、業に安んずるを得ざらしむ。我労せずして彼已に困す。三年に及ばずして、坐して克つ可きなり。今、廟算の策を釈てて、成敗を一戦に決す。若し志の如くならずんば、悔ゆとも及ぶ無きなり」と。
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『長短経』覇図太祖、紹の子譚・尚を黎陽に討つ。尚と熙と遼東に奔る。太守公孫康、尚・熙を斬りて其の首を送る。遂に河北を平らぐ。〈初め、太祖、譚・尚を黎陽に討ち、連戦して数しば克つ。諸将、勝ちに乗じて之を攻めんと欲す。郭嘉曰く「袁紹、此の二子を愛し、適に立つる莫きなり。郭図・馮紀、之が謀臣と為り、定めて交々其の間を闘わしめ、還りて相い離れしめん。之を急にすれば則ち相い持し、之を緩くすれば而ち後に争心生ず。南のかた荊州に向かいて劉表を征し、以て其の変を待つに如かず。変成りて後に之を撃たば、一挙にして定む可きなり」と。太祖曰く「善し」と。