長短経 / 是非
孔子曰、“君子坦蕩蕩、小人長戚戚。”〔非曰〕孔子曰、“晉重耳之霸心也、生于曹衛、越勾踐之有霸心也、生於㑹稽。故居下而無憂者、則思不逺、覆身而嘗逸者、則志不廣。”〔是曰〕
新字:孔子曰、“君子坦蕩蕩、小人長戚戚。”〔非曰〕孔子曰、“晋重耳之覇心也、生于曹衛、越勾践之有覇心也、生於会稽。故居下而無憂者、則思不遠、覆身而嘗逸者、則志不広。”〔是曰〕
書き下し
〔是に曰く〕孔子曰く「君子は坦として蕩蕩、小人は長えに戚戚たり」と。〔非に曰く〕孔子曰く「晋の重耳の霸心なるや、曹・衛に生ず。越の勾践の霸心有るや、会稽に生ず。故に下に居りて憂い無き者は、則ち思うこと遠からず。身を覆いて逸を嘗むる者は、則ち志広からず」と。
現代語訳
〔是の側。〕孔子はこう言った。「君子はのびやかで広々としており、小人はいつまでもくよくよしている」。〔非の側。〕孔子はこう言った。「晋の重耳に覇者の心が生まれたのは、曹と衛で辱められたときである。越の勾践に覇者の心が生まれたのは、会稽で敗れたときである。だから低い位置にいて憂いのない者は、思いが遠くまで届かない。身を覆って安楽を味わっている者は、志が広くならない」。
解説
同じ孔子の言葉が、是と非の両側に置かれます。心配せずのびやかにいよ、という教えと、憂いのない者は遠くまで考えられない、という教え。重耳も勾践も、屈辱の場で覇心が生まれました。安楽が志を縮めるという観察は、恵まれているときほど効きます。いま気楽でいられるなら、それは何かを考えずに済んでいるからかもしれません。
この章句が説くこと
是非坦蕩蕩重耳勾践逆境志
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