長短経 / 覇図
高帝以為然、發使告諸侯。上因隨行、信果迎道中。帝預具武士、見信、即執縳之。田肯賀上曰、「甚善。陛下得韓信、又治秦中。秦、形勝之國、帯河阻山、懸隔千里、執㦸百萬、秦得百二焉。地勢便利、其以下兵於諸侯、譬猶居臺之上建瓴水也。夫齊、東有瑯邪、即墨之饒、南有太山之固、西有濁河之限、北有渤海之利、地方二千里、持㦸百萬、懸隔千里之外、齊得十二焉。此東西秦也、非親子弟、莫可使王齊者。」上曰、「善。」賜金五百斤。〕
新字:高帝以為然、発使告諸侯。上因随行、信果迎道中。帝預具武士、見信、即執縳之。田肯賀上曰、「甚善。陛下得韓信、又治秦中。秦、形勝之国、帯河阻山、懸隔千里、執戟百万、秦得百二焉。地勢便利、其以下兵於諸侯、譬猶居台之上建瓴水也。夫斉、東有瑯邪、即墨之饒、南有太山之固、西有濁河之限、北有渤海之利、地方二千里、持戟百万、懸隔千里之外、斉得十二焉。此東西秦也、非親子弟、莫可使王斉者。」上曰、「善。」賜金五百斤。〕
書き下し
高帝、以て然りと為し、使いを発して諸侯に告ぐ。上、因りて随行す。信、果たして道中に迎う。帝、預め武士を具え、信を見るや、即ち執えて之を縛る。田肯、上に賀して曰く「甚だ善し。陛下、韓信を得、又た秦中を治む。秦は形勝の国、河を帯び山を阻み、懸隔千里。戟を執ること百万なるも、秦は百二を得たり。地勢便利にして、其の兵を諸侯に下すや、譬えば猶お台の上に居りて瓴水を建つるがごとし。夫れ斉は、東に瑯邪・即墨の饒有り、南に太山の固有り、西に濁河の限り有り、北に渤海の利有り。地は方二千里、戟を持つこと百万なるも、懸隔千里の外にして、斉は十二を得たり。此れ東西の秦なり。親子弟に非ずんば、斉に王たらしむ可き莫きなり」と。上曰く「善し」と。金五百斤を賜う。〉
現代語訳
高帝はもっともだと思い、使いを出して諸侯に告げた。上はそのついでに出発した。韓信は果たして道中で迎えた。帝はあらかじめ武士を用意しており、韓信を見るとすぐに捕らえて縛った。田肯が上を祝って言った。「たいへん結構です。陛下は韓信を得て、そのうえ関中を治めておられる。秦は地形の優れた国で、河を帯び山に阻まれ、千里も隔たっている。敵が百万の戟を持っていても、秦は二割の兵で当たれる。地勢が有利で、そこから諸侯に兵を下すのは、高殿の上から瓶の水を落とすようなものです。斉は東に瑯邪と即墨の豊かさ、南に泰山の堅さ、西に濁った黄河の隔て、北に渤海の利がある。土地は二千里四方、敵が百万の戟を持っていても、千里の外に隔たり、斉は二割の兵で当たれる。これは東と西の秦です。実の子弟でなければ、斉の王にしてはなりません」。上は「もっともだ」と言い、金五百斤を賜った。〉
解説
この章句が説くこと
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