長短経 / 格形
孫子曰、「安能動之。」又曰、「攻其所必趨。」何以明之?昔楚子圍宋、宋公使如晉告急。晉狐偃曰、「楚始得曹、而新婚于衛、若伐曹、衛、楚必救之、則齊、宋免矣。」〔前年、楚戍穀以逼齊。〕果如其計。
新字:孫子曰、「安能動之。」又曰、「攻其所必趨。」何以明之?昔楚子囲宋、宋公使如晋告急。晋狐偃曰、「楚始得曹、而新婚于衛、若伐曹、衛、楚必救之、則斉、宋免矣。」〔前年、楚戍穀以逼斉。〕果如其計。
書き下し
孫子曰く「安んずれば能く之を動かす」と。又た曰く「其の必ず趨く所を攻む」と。何を以て之を明らかにせん。昔、楚子宋を囲む。宋公、晋に如かしめて急を告ぐ。晋の狐偃曰く「楚は始めて曹を得て、新たに衛に婚す。若し曹・衛を伐たば、楚必ず之を救わん。則ち斉・宋は免れん」と〔前年、楚は穀に戍して以て斉に逼る〕。果たして其の計の如し。
現代語訳
孫子は「敵が安んじていれば動かすことができる」と言い、また「敵が必ず駆けつけるところを攻める」と言う。何によってこれを明らかにするか。昔、楚王が宋を包囲し、宋公は晋に使者を送って急を告げた。晋の狐偃は言った。「楚は曹を味方にしたばかりで、衛とも新たに婚姻を結んだところです。もし曹と衛を伐てば、楚は必ず救いに来るでしょう。そうすれば斉と宋は助かります」〔前年、楚は穀に守備兵を置いて斉に迫っていた〕。果たしてその計のとおりになった。
解説
格形の篇は、孫子の、敵が必ず救いに駆けつけるところを攻めよ、という原則から始まります。楚に囲まれた宋を救うのに、晋の狐偃は宋へ援軍を送らず、楚が新たに味方にしたばかりの曹と衛を攻めた。楚は同盟国を見捨てられず、宋の包囲を解いて救援に向かわざるをえない。守りたい相手を直接守るより、相手が守らなければならないものを攻めるほうが、少ない力で状況を動かせるのです。
この章句が説くこと
格形孫子狐偃攻其所必趨間接アプローチ陽動
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