長短経 / 是非
劉備來奔曹公、曹公以之為豫州牧。或謂曹公曰、“備有雄志今不早圖、後必為患。”曹公以問郭嘉。嘉曰、“有是。然公提劍起義兵、為百姓除暴、推誠仗信、以召儁傑、猶懼其未來也。今備有英雄之名、以窮歸已而害之、以害賢為名、則智士將自疑、迴心擇主、公誰與定天下者?夫除一人之患、以阻四海之望、安危之機、不可不察。”曹公曰、“善!”〔非曰〕傅子稱、郭嘉言於太祖曰、“備有雄志而甚得衆心、闗侯、張飛皆萬人之敵也、為之死用。以嘉觀之、其謀未可測也。古人有言曰、‘一日縱敵、數世之患。’宜早為之所。”曹公方招懐英雄、以明大信、未得從嘉謀。
新字:劉備来奔曹公、曹公以之為予州牧。或謂曹公曰、“備有雄志今不早図、後必為患。”曹公以問郭嘉。嘉曰、“有是。然公提剣起義兵、為百姓除暴、推誠仗信、以召儁傑、猶懼其未来也。今備有英雄之名、以窮帰已而害之、以害賢為名、則智士将自疑、迴心択主、公誰与定天下者?夫除一人之患、以阻四海之望、安危之機、不可不察。”曹公曰、“善!”〔非曰〕傅子称、郭嘉言於太祖曰、“備有雄志而甚得衆心、関侯、張飛皆万人之敵也、為之死用。以嘉観之、其謀未可測也。古人有言曰、‘一日縦敵、数世之患。’宜早為之所。”曹公方招懐英雄、以明大信、未得従嘉謀。
書き下し
劉備、来たりて曹公に奔る。曹公之を以て豫州牧と為す。或るひと曹公に謂いて曰く「備に雄志有り。今、早く図らずんば、後に必ず患いと為らん」と。曹公、以て郭嘉に問う。嘉曰く「是れ有り。然れども公、剣を提げて義兵を起こし、百姓の為に暴を除き、誠を推し信に仗りて、以て儁傑を召す。猶お其の未だ来たらざるを懼る。今、備に英雄の名有り、窮して已に帰するを以て之を害さば、賢を害するを以て名と為さん。則ち智士将に自ら疑い、心を迴らして主を択ばんとす。公、誰と与にか天下を定めん。夫れ一人の患いを除きて、以て四海の望を阻むは、安危の機なり。察せざる可からず」と。曹公曰く「善し」と。〔非に曰く〕傅子称す、郭嘉、太祖に言いて曰く「備に雄志有りて甚だ衆心を得たり。関侯・張飛は皆な万人の敵なり。之が為に死して用いらる。嘉、之を観るに、其の謀は未だ測る可からざるなり。古人に言える有りて曰く『一日敵を縦にすれば、数世の患い』と。宜しく早く之が所を為すべし」と。曹公は方に英雄を招懐し、以て大信を明らかにす。未だ嘉の謀に従うを得ず。
現代語訳
劉備が曹操のもとへ逃げてきた。曹操は彼を豫州牧とした。ある者が曹操に言った。「劉備には雄大な志があります。いま早く手を打たなければ、後に必ず患いとなります」。曹操はこれを郭嘉に尋ねた。郭嘉は言った。「それはあります。しかし公は剣を提げて義兵を起こし、民のために暴を除き、誠を推し信に拠って、俊傑を招いておられます。それでもまだ来ないことを心配しておられる。いま劉備には英雄の名があり、行き詰まって身を寄せてきた。それを害せば、賢者を害したという名が立ちます。そうなれば知恵ある士は自ら疑い、心を翻して主を選び直すでしょう。公は誰とともに天下を定めるのですか。一人の患いを除いて天下の期待を断つのは、安危の分かれ目です。よく考えねばなりません」。曹操は「よろしい」と言った。〔非の側。〕傅子はこう述べる。郭嘉が太祖に言った。「劉備には雄大な志があり、たいそう人心を得ています。関羽と張飛はどちらも万人の敵で、彼のために死んで働きます。私が見るところ、その謀は測りきれません。古人に『一日敵を放てば、数代の患い』という言葉があります。早く手を打つべきです」。曹操はちょうど英雄を招き寄せ、大いなる信を示していた。まだ郭嘉の計に従うことはできなかった。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
-
『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
-
尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
-
『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
-
『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
-
『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、