長短経 / 君徳
或曰、「漢元帝才藝温雅、其守文之良主乎?」虞南曰、「夫人君之才、在乎文徳武功而已。文則經天緯地、詞令典䇿、武則禁暴戢兵、安人和衆。此南面之宏圖也。至于鼓瑟吹簫、和聲度曲、斯乃伶官之職、豈天子之所務乎?」
新字:或曰、「漢元帝才芸温雅、其守文之良主乎?」虞南曰、「夫人君之才、在乎文徳武功而已。文則経天緯地、詞令典策、武則禁暴戢兵、安人和衆。此南面之宏図也。至于鼓瑟吹簫、和声度曲、斯乃伶官之職、豈天子之所務乎?」
書き下し
或るひと曰く「漢の元帝は才芸温雅なり。其れ守文の良主か」と。虞南曰く「夫れ人君の才は、文徳武功に在るのみ。文は則ち天を経し地を緯し、詞令典策たり。武は則ち暴を禁じ兵を戢め、人を安んじ衆を和す。此れ南面の宏図なり。瑟を鼓し簫を吹き、声を和し曲を度るに至りては、斯れ乃ち伶官の職なり。豈に天子の務むる所ならんや」と。
現代語訳
ある人が言った。「漢の元帝は才芸があって温和で上品でした。先例を守る良い君主でしょうか」。虞世南は言った。「君主の才は、文徳と武功にあるだけである。文とは天地を経緯のように整え、詔勅や法令を作ることである。武とは暴力を禁じ兵を収め、人を安んじ人々を和ませることである。これが南面する者の大いなる構想である。瑟を弾き簫を吹き、音を合わせ曲を作るようなことは、それは楽人の職である。どうして天子の務めであろうか」。
解説
元帝は音楽の才に優れていました。虞世南はそれを、楽人の職であって天子の務めではないと切り捨てます。上に立つ人が個別の技能に秀でることを、能力の証明ではなく職分の混同と見る。前に出てきた、座して道を論じるのが三公、という話と同じ構図です。趣味や技能そのものが悪いのではなく、それが本務を圧迫しはじめたときに問題になる。
この章句が説くこと
君徳漢元帝虞世南職分才芸本務
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