長短経 / 三国権
初、遼東太守公孫康恃逺不服、袁尚、袁熈依之。及太祖破烏丸、或説公、「遂征之、尚兄弟可擒也。」公曰、「吾方使康送尚、熈首、不煩兵矣。」九月、公引軍自栁城還、康即斬送尚、熈首。衆將問曰、「公還、而康斬送尚、熈何也?」公曰、「彼素畏尚等、吾急之、則并力、緩之、則自相圗、其勢然也。」
新字:初、遼東太守公孫康恃遠不服、袁尚、袁熈依之。及太祖破烏丸、或説公、「遂征之、尚兄弟可擒也。」公曰、「吾方使康送尚、熈首、不煩兵矣。」九月、公引軍自栁城還、康即斬送尚、熈首。衆将問曰、「公還、而康斬送尚、熈何也?」公曰、「彼素畏尚等、吾急之、則并力、緩之、則自相図、其勢然也。」
書き下し
初め、遼東太守公孫康、遠きを恃みて服せず。袁尚・袁熙、之に依る。太祖の烏丸を破るに及び、或るひと公に説く「遂に之を征せば、尚兄弟擒にすべし」と。公曰く「吾、方に康をして尚・熙の首を送らしめん。兵を煩わさず」と。九月、公、軍を引きて柳城より還る。康即ち尚・熙を斬りて首を送る。衆将問いて曰く「公還りて、康、尚・熙を斬り送るは何ぞや」と。公曰く「彼は素より尚等を畏る。吾之を急にすれば、則ち力を并せ、之を緩くすれば、則ち自ら相図る。其の勢い然るなり」と。
現代語訳
はじめ遼東太守公孫康は遠方にいることを頼んで服従せず、袁尚・袁熙が公孫康を頼っていた。曹操が烏丸を破ったとき、ある者が「このまま公孫康を征伐すれば、袁尚兄弟を捕らえられます」と説いた。曹操は言った。「私はいまに公孫康に袁尚・袁熙の首を送らせる。兵を煩わせる必要はない」。九月、曹操が軍を率いて柳城から帰ると、公孫康はすぐに袁尚・袁熙を斬って首を送ってきた。将たちが「殿が引き返したのに、公孫康が二人を斬って送ってきたのはなぜですか」と問うと、曹操は言った。「公孫康はもともと袁尚らを恐れていた。私が急に攻めれば彼らは力を合わせ、緩めれば互いに相手を図る。形勢がそうさせるのだ」。
解説
逃げた袁兄弟と、彼らをかくまう公孫康。追撃すべきだという声に、曹操はあえて軍を引きました。外から強く押せば、互いに不信を抱く者同士でも団結する。圧力を抜けば、本来の疑い合いが表に出る。実際、公孫康は袁兄弟を斬って首を送ってきた。相手を一つにしているのが自分の圧力だと気づけば、引くことが最も強い一手になる。何もしないことが、戦略として働く場面があるのです。
この章句が説くこと
三国権曹操公孫康離間圧力放置
関連する章句
-
『長短経』蛇勢袁尚既に敗れ、遂に遼東に奔る。衆数千有り。初め、遼東太守公孫康、遠きを恃みて服せず。曹公既に烏丸を破る。或るひと公に説く「遂に之を征せば、尚兄弟擒にすべし」と。公曰く「吾方に康をして尚・熙の首を斬り送らしめん。兵を煩わさず」と。公兵を引きて還る。康果たして尚・熙を斬り送り、其の首を伝う。諸将或いは問いて曰く「公還りて康尚・熙を斬るは、何ぞや」と。公曰く「彼素より尚・熙を畏る。其れ之を急にすれば、則ち力を并せ、之を緩くすれば、則ち自ら相図る。其の勢い然るなり」と。
-
『長短経』覇図太祖、紹の子譚・尚を黎陽に討つ。尚と熙と遼東に奔る。太守公孫康、尚・熙を斬りて其の首を送る。遂に河北を平らぐ。〈初め、太祖、譚・尚を黎陽に討ち、連戦して数しば克つ。諸将、勝ちに乗じて之を攻めんと欲す。郭嘉曰く「袁紹、此の二子を愛し、適に立つる莫きなり。郭図・馮紀、之が謀臣と為り、定めて交々其の間を闘わしめ、還りて相い離れしめん。之を急にすれば則ち相い持し、之を緩くすれば而ち後に争心生ず。南のかた荊州に向かいて劉表を征し、以て其の変を待つに如かず。変成りて後に之を撃たば、一挙にして定む可きなり」と。太祖曰く「善し」と。
-
『長短経』三国権太祖、洛陽に至り、天子を奉じて許に都す。其の弛紊を維ぎ、其の贅旒を紉ぎ、我が漢家をして旧物を失わざらしむ。是に於て籌を運らし謀を演べ、宇内を鞭撻し、北は袁紹を破り、南は劉琮を虜にし、東は公孫康を挙げ、西は張魯を夷ぐ。〔議に曰く、劉表の諸傑、中間に自ら呑并有りと雖も、乃ち揚雄の所謂「六国蚩蚩として、嬴の為に姫を弱むる者なり」。并呑衆しと雖も、適に吾が為に奉ずる所以なり。〕九州百郡、十に其の八を并す。志績未だ究めずして、中世にして殞す。
-
『長短経』三国権太祖、呂布を下邳に攻めて抜けず、還らんと欲す。荀攸曰く「布は勇にして謀無し。今、三軍皆其の鋭気衰う。三軍は将を以て主と為す。主衰うれば則ち軍に奮意無し。陳宮は智有りて遅し。今、布の気の未だ復せず、宮の謀の未だ定まらざるに及びて、進みて急に之を攻めば、布抜くべきなり」と。乃ち沂・泗を決して城に灌ぐ。城潰え、布を生禽す。袁紹の将文醜、太祖と戦う。荀攸、太祖に勧めて輜重を以て賊に餌せしむ。賊遂に奔りて之を競い、陣乱る。文醜を斬る。
-
『長短経』三国権〔曹操、字は孟徳。少くして機警にして権数有り、而して任侠放蕩にして、行業を治めず。故に世人未だ之を奇とせず。唯だ橋玄のみ焉を異とし、謂いて曰く「天下将に乱れんとす。命世の才に非ずんば、済うこと能わざるなり。能く之を安んずる者は、其れ君か」と。太祖、東郡太守と為り、東武陽を治め、頓丘に軍す。黒山の賊于毒等、東武陽を攻む。太祖、兵を引きて西のかた山に入り、毒等の本屯を攻む。諸将皆以為えらく、当に還りて自ら救うべしと。太祖曰く「昔、孫臏は趙を救いて魏を攻め、耿弇は西安に走らんと欲して臨菑を攻む。賊をして我の西するを聞きて還らしめば、是れ武陽自ら解くるなり。還らずんば、我は能く虜の家を敗り、虜は武陽を敗ること能わざること、必せり」と。乃ち行く。毒之を聞き、武陽を棄てて還る。太祖要撃して、大いに之を破る。
-
『長短経』覇図太祖、方に劉表を征す。譚、果たして弟尚と冀州を争う。譚、辛毘を遣わして降を乞い、赦さんことを請う。太祖、以て群臣に問う。群臣、多く表を以て強しと為し、宜しく先ず之を平らぐべし、譚は憂うるに足らざるなりと。荀攸曰く「天下、方に事有り。而るに表は坐して江漢の間を保つ。其の四方の志無きこと知る可し。袁氏は四州の地に拠り、帯甲十万。紹は寛を以て衆を得たり。二子をして和睦し、以て其の成業を守らしめんと欲せば、則ち天下の難、未だ息まざらん。今、兄弟、悪を遘え、其の勢い両つながら全からず。若し并す所有らば則ち力全し。力全ければ則ち図り難きなり。其の乱るるに及びて之を取らば、則ち天下、定むるに足らざるなり。此の時、失う可からざるなり」と。太祖曰く「善し」と。乃ち譚の和を許し、袁尚を破る。〉