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長短経 / 臣行

〔袁盎問漢文帝曰、“陛下以絳侯周勃何如人上曰、“社稷臣也。”盎曰、“可謂功臣、非社稷臣。社稷臣者、主在與在、主亡與亡。方吕后時、劉氏不絶如帶、絳侯為太尉、主兵柄、不能正。吕氏崩、大臣相與誅諸吕、太尉主兵、適㑹其成功。所謂功臣、非社稷臣也。”〕

新字:〔袁盎問漢文帝曰、“陛下以絳侯周勃何如人上曰、“社稷臣也。”盎曰、“可謂功臣、非社稷臣。社稷臣者、主在与在、主亡与亡。方呂后時、劉氏不絶如帯、絳侯為太尉、主兵柄、不能正。呂氏崩、大臣相与誅諸呂、太尉主兵、適会其成功。所謂功臣、非社稷臣也。”〕

書き下し

〔袁盎、漢の文帝に問いて曰く「陛下は絳侯周勃を以て何如なる人とせん」と。上曰く「社稷の臣なり」と。盎曰く「功臣と謂う可きも、社稷の臣に非ず。社稷の臣なる者は、主在れば与に在り、主亡ぶれば与に亡ぶ。呂后の時に方たり、劉氏の絶えざること帯の如し。絳侯は太尉為り、兵柄を主る。而るに正す能わず。呂氏崩じ、大臣相い与に諸呂を誅す。太尉は兵を主り、適ま其の成功に会えり。所謂功臣にして、社稷の臣に非ざるなり」と。〕

現代語訳

〔袁盎が漢の文帝に尋ねた。「陛下は絳侯周勃をどのような人とお考えですか」。文帝は言った。「国家の臣である」。袁盎は言った。「功臣とは言えますが、国家の臣ではありません。国家の臣というのは、主君が在ればともに在り、主君が亡べばともに亡ぶ者です。呂后の時代、劉氏の血統は帯のように細く途切れかけていました。絳侯は太尉であり、兵権を握っていました。それなのに正すことができなかった。呂后が崩じてから、大臣たちが共同で呂氏一族を誅しました。太尉は兵を握っていたので、たまたまその成功に居合わせたのです。いわゆる功臣であって、国家の臣ではありません」。〕

解説

功臣と社稷の臣を分ける、鋭い区別です。社稷の臣とは、危機のときにその場にいて動く人。周勃は呂后の全盛期には兵権を持ちながら何もしなかった。呂后の死後に流れに乗っただけだ、と。危機の最中に動いたか、片づいてから加わったか。この差は、結果が同じでも決定的です。功績の一覧ではなく、危ないときにどこにいたかで人を測る。

この章句が説くこと

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