長短経 / 臣行
故孫卿曰、『四世有勝、非幸也、數也。』夫霸君若齊桓、晉文者、桓不倍柯之盟、文不負原之期、而諸侯信之。此管仲、咎犯知謀也。今商君倍公子卭之舊恩、弃交魏之明信、詐取三軍之衆、故諸侯畏其强而莫親信也。藉使孝公遇齊桓、晉文、得諸侯之統、將合諸侯之君、驅天下之兵以伐秦、秦則亡矣。天下無桓、文之君、故秦得以兼諸侯也。
新字:故孫卿曰、『四世有勝、非幸也、数也。』夫覇君若斉桓、晋文者、桓不倍柯之盟、文不負原之期、而諸侯信之。此管仲、咎犯知謀也。今商君倍公子卭之旧恩、弃交魏之明信、詐取三軍之衆、故諸侯畏其強而莫親信也。藉使孝公遇斉桓、晋文、得諸侯之統、将合諸侯之君、駆天下之兵以伐秦、秦則亡矣。天下無桓、文之君、故秦得以兼諸侯也。
書き下し
故に孫卿曰く『四世勝つ有るは、幸に非ざるなり、数なり』と。夫れ霸君の斉の桓・晋の文の若き者は、桓は柯の盟に倍かず、文は原の期に負かず。而して諸侯之を信ず。此れ管仲・咎犯の知謀なり。今、商君は公子卬の旧恩に倍き、魏に交わるの明信を棄て、詐りて三軍の衆を取る。故に諸侯は其の強きを畏れて、親信する莫きなり。藉し孝公をして斉の桓・晋の文に遇い、諸侯の統を得しめば、将に諸侯の君を合わせ、天下の兵を駆りて以て秦を伐たんとす。秦は則ち亡びん。天下に桓・文の君無し。故に秦は以て諸侯を兼ぬるを得たるなり。
現代語訳
だから荀子は『四代にわたって勝ち続けたのは、幸運ではなく必然である』と言った。覇者である斉の桓公や晋の文公のような君主は、桓公は柯の盟約に背かず、文公は原を攻めたときの期限を破らなかった。だから諸侯は彼らを信じた。これが管仲と咎犯の知謀である。ところが商鞅は、公子卬への昔の恩に背き、魏との明らかな信義を棄て、偽って三軍の兵を奪った。だから諸侯はその強さを恐れて、親しみ信じる者がなかった。もし孝公が斉の桓公や晋の文公に出会い、諸侯を束ねられていたなら、諸侯の君を合わせ、天下の兵を動かして秦を討っただろう。秦は滅びたはずである。天下に桓公や文公のような君主がいなかった。だから秦は諸侯を併合できたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』臣行或るひと曰く「商鞅は徒歩より起こり、孝公に干め、三術の略を挟み、六国の縦を呑み、秦をして帝業ならしむ。覇者の佐と為す可きか」と。劉向曰く「夫れ商君は、内は耕戦の業を急にし、外は戦伐の賞を重んず。貴寵に阿らず、疎遠に偏らず。書に『偏無く党無し』と云い、詩に『周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し』と云い、司馬法の戎士を厲まし、周の后稷の農業を勧むと雖も、以て此に易うる無し。此れ諸侯を并す所以なり。
-
『長短経』臣行此に由りて之を観れば、商鞅の深刻にして信を棄つるは、霸者の佐に非ざること明らかなり。然れども孝公は速やかならんことを欲して、鞅の言に従わず。孝公の過ちなり。商鞅は世に牽かれ、君に迫られ、其の志を行うを得ざるのみ。劉向の鞅に霸王の術無しと以えるは、謬れり。〕
-
『長短経』敗功〔議に曰く、白起は秦の為に趙の降卒四十余万を坑にし、諸侯をして秦を曲として合縦せしむ。夫れ趙の降卒を坑にするは、勝ちに非ず、乃ち秦を敗るの機なり。商君は魏を詐り、公子卬を虜にし、秦の信をして天下に行われざらしむ。乃ち自ら敗るるの兆しにして、伯業に非ざるなり。楽毅は義に仗りて、以て斉の城を下し、即墨に敗る。敗に非ざるなり、乃ち是れ天下を呑むの勢いなり。劉備は帰義の人を憐れみ、日に行くこと十数里、長坂に敗る。奔亡に暇あらずと雖も、乃ち覇王の始めなり。故に知る、伯者に非ずんば敗を用うること能わず。斉人は紫を以て素を敗り、而して其の価十倍す。此の言小なりと雖も、以て大に喩うべきなり。〕
-
『長短経』臣行衛鞅、始め自ら以て王霸の徳を知ると為す。其の事を原ぬるに、倫ならざるなり。昔、周の召公、美政を施す。其の死するや、後世之を思う。蔽芾たる甘棠の詩是なり。嘗て樹下に舎る、其の樹を伐るに忍びず。況んや身を害するに於てをや。管仲、伯氏の駢邑三百戸を奪うも怨言無し。今、衛鞅は内は刀鋸の刑を刻み、外は鈇鉞の誅を深くす。身死して車裂かる。其の霸者の佐を去ること、亦た遠し。然れども孝公の之を殺すも亦た非なり。輔けて用う可し。衛鞅をして寛平の法を施し、之に加うるに恩を以てし、之を申ぶるに信を以てせしめば、庶幾くは霸者の佐ならんか」と。
-
『長短経』臣行是れを、能く四十万の命を裁すと雖も、而も適ま以て天下の戦いを強くするに足ると為す。一朝の功を要めんと欲して、乃ち更に諸侯の守りを堅くす。故に兵進みて自ら其の勢いを伐ち、軍勝ちて還って其の計を喪う。何となれば、設し趙の衆をして復た合せしめ、馬服をして更に生かしめば、則ち後日の戦いは必ず前日の対に非ざらん。況んや今、皆な天下をして後日と為さしむるをや。其の終に復た兵を邯鄲に加うるを聴さざる所以は、但だ平原の補縫を憂え、諸侯の救いの至るを患うるのみに非ず。徒だ之を諱みて言わざるのみ。但だ長平の事、秦人は十五以上、皆な戟を荷いて趙に向かえり。夫れ秦の強きを以てして、十五已上、死傷半ばを過ぐ。此れ趙を破るの功は小にして、秦を傷つくるの敗は大なりと為す。又た何ぞ奇と称せんや」と。
-
『長短経』臣行〔議に曰く、黄石公称す「柔なる者は能く剛を制し、弱なる者は能く強を制す。柔なる者は徳なり、剛なる者は賊なり。柔なる者は人の助くる所、剛なる者は怨みの居る所なり」と。是の故に、紂の百たび克ちて卒に後無く、項羽の兵強くして終に天下を失う。故に隨何曰く「楚をして勝たしめば、則ち諸侯自ら危懼して相い救う。夫れ楚の強きは、適ま以て天下の兵を致すに足るのみ」と。是に由りて之を観れば、若し天下已に定まらば、一戦の勝ちに藉りて、之を詐るも可なり。若し海内紛紛として、雌雄未だ決せずして信義を天下に失わば、敗亡の道なり。七国の時に当たり、諸侯尚お強し。而るに白起は乃ち趙の降卒を坑にす。諸侯をして之を畏れて合縦せしむ。諸侯の合縦は、秦の利に非ず。戦い勝ちて反って敗ると為す。何晏の論は当たれり。〕