長短経 / 懼戒
于是部署賓客、陰圖起義。髙祖乃命文靜詐為煬帝勅發太原、雁門、馬邑數郡人二十已上、五十以下悉為兵、以嵗暮集涿郡。由是人情大擾、思亂者益衆。又令文靜與裴寂詐作符勅出官監庫物、以供留守資用。因募兵集衆而起、改旗幟以彰義舉。又令文靜連突厥。突厥始畢曰、「唐公舉義、欲何為也?」文靜曰、「文皇帝廢冢嫡、傳位後主、因致斯禍亂。唐公、國之懿戚、不忍坐觀成敗、欲廢不當立者、願與可汗兵馬同入京師。人衆、土地入唐公、財帛、金寶入突厥。」始畢大悦、即遣兵随文靜而至、兵威益盛矣。〕
新字:于是部署賓客、陰図起義。高祖乃命文静詐為煬帝勅発太原、雁門、馬邑数郡人二十已上、五十以下悉為兵、以歳暮集涿郡。由是人情大擾、思乱者益衆。又令文静与裴寂詐作符勅出官監庫物、以供留守資用。因募兵集衆而起、改旗幟以彰義舉。又令文静連突厥。突厥始畢曰、「唐公舉義、欲何為也?」文静曰、「文皇帝廃冢嫡、伝位後主、因致斯禍乱。唐公、国之懿戚、不忍坐観成敗、欲廃不当立者、願与可汗兵馬同入京師。人衆、土地入唐公、財帛、金宝入突厥。」始畢大悦、即遣兵随文静而至、兵威益盛矣。〕
書き下し
是に於て賓客を部署し、陰かに起義を図る。高祖乃ち文静に命じて詐りて煬帝の勅を為り、太原・雁門・馬邑数郡の人二十已上、五十以下を発して悉く兵と為し、歳暮を以て涿郡に集めしむ。是に由りて人情大いに擾れ、乱を思う者益々衆し。又た文静と裴寂とに令して詐りて符勅を作り、官監の庫物を出だして、以て留守の資用に供す。因りて兵を募り衆を集めて起ち、旗幟を改めて以て義挙を彰らかにす。又た文静をして突厥に連ならしむ。突厥の始畢曰く「唐公義を挙ぐ、何を為さんと欲するや」と。文静曰く「文皇帝は冢嫡を廃し、位を後主に伝え、因りて斯の禍乱を致す。唐公は国の懿戚にして、成敗を坐観するに忍びず、当に立つべからざる者を廃せんと欲す。願わくは可汗の兵馬と同に京師に入らん。人衆・土地は唐公に入り、財帛・金宝は突厥に入らん」と。始畢大いに悦び、即ち兵を遣わして文静に随わしめて至る。兵威益々盛んなり。〕
現代語訳
そこで客人たちを割り振り、ひそかに挙兵を図った。李淵は劉文静に命じて煬帝の勅書を偽造させ、太原・雁門・馬邑などの郡で二十歳以上五十歳以下の者をすべて兵として徴発し、年末に涿郡に集めるよう命じさせた。これで人々の心は大いに乱れ、乱を望む者がますます増えた。また劉文静と裴寂に命じて割符と勅書を偽造させ、官の倉庫の物資を出して留守府の費用にあてた。こうして兵を募り人を集めて挙兵し、旗印を改めて義挙を明らかにした。また劉文静に突厥と手を結ばせた。突厥の始畢可汗が「唐公が義兵を挙げて何をしようというのか」と問うと、劉文静は言った。「文帝は正嫡の長子を廃して後主煬帝に位を伝え、そのためにこの禍乱を招きました。唐公は国の縁戚として、成り行きを座視するに忍びず、立つべきでない者を廃そうとしています。どうか可汗の兵馬とともに都に入りたい。人と土地は唐公に、財貨と金宝は突厥に入れます」。始畢は大いに喜び、すぐに兵を送って劉文静に従わせた。兵の威勢はますます盛んになった。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』懼戒裴寂の計を用い、伊尹の太甲を放ち、霍光の昌邑を廃する故事に准い、煬帝を尊びて太上皇と為し、代王侑を立てて以て隋室を安んじ、檄を諸郡に伝えて、以て義挙を彰らかにす。秋七月、精甲三万を以て、西のかた関中を図る。高祖白旗に仗り、衆に太原の野に誓い、師を引きて路に即き、遂に隋族を亡ぼし、我が区夏を造る。
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『長短経』懼戒隋の煬帝初め唐の高祖を猜忌す。之を知りて、常に危懼を懐く〔唐公、太原留守と為る。煬帝遼東より還り、唐公を徴して行在所に詣らしむ。患いに遇いて瘳えず、未だ時に謁するを得ず。唐公の外甥王氏、後宮に充選せらる。煬帝問いて曰く「汝の舅の来たること何ぞ遅き」と。甥、実を以て対う。帝曰く「死を得べきや否や」と。高祖之を知り、毎に危懼を懐くなり〕。太原留守と為り、討撃利あらざるを以て、煬帝の譴むる所と為らんことを恐れ、甚だ之を憂う。時に太宗従いて軍中に在り、隋の将に亡びんとするを知り、潜かに義挙を図り、以て天下を安んぜんとす。乃ち進みて曰く「大人何ぞ之を憂うることの甚だしきや。当今、主上無道にして、百姓愁怨し、城門の外は皆已に賊と為る。独り小節を守らば、必ず且に旦暮に死亡せんとす。若し義兵を起こさば、実に人の欲に当たる。且つ晋陽は用武の地にして、食足り兵足る。大人之に居るは、此れ乃ち天授なり。正に機に因りて禍を転じ、以て功業に就くべし。既に天与うるに取らずんば、之を憂うるも何の益かあらん」と。
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『長短経』懼戒高祖大いに驚き、深く之を拒む。太宗趨りて出づ。明日復た進みて説きて曰く「此れ万全の策にして、以て滅族の事を救うなり。今、王綱弛紊し、盗賊天下に逼る。大人は命を受けて討捕す。其れ尽くすべけんや。賊既に尽きずんば、自ら当に罪を獲べし。且つ又た世に伝う、李氏の姓は図籙に膺ると。李全才は位望隆貴なるも、一朝にして族滅す。大人既に能く賊を平らぐるも、即ち又た功は賞せられざるに当たる。此を以て活を求むるも、其れ得べけんや」と。高祖の意少しく解けて曰く「我一夜思量するに、汝の言大いに道理有り。今日、家を破り身を滅ぼすも亦た汝に由り、家を化して国と為すも亦た汝に由る」と。是に於て計を定め、乃ち太宗と晋陽令劉文静、及び門下の客長孫順徳・劉弘基等とに命じて兵を募らしむ。旬日の間に、衆且に一万ならんとす。留守の副王威・高君雅を斬る。其の詭りて高祖に晋祠に雨を祈らんことを請い、将に不利を為さんとするが故なり。
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『長短経』懼戒太宗喜びて曰く「計将に安くにか出でんとする」と。文静対えて曰く「今、李密は長く洛邑を囲み、主上は淮南に流播す。大賊は州郡を連ね、小盗の山沢を阻む者、千万を以て数う。但だ須らく真主の馭駕して之を取るべし。誠に能く天に応じ人に順い、旗を挙げて大呼せば、則ち四海も定むるに足らず。今、并州の百姓の盗賊を避くる者、皆此の城に入る。文静は令為ること数年、其の豪傑を知る。一朝嘯集せば、立地に数万人なるべし。尊公の領する所の兵も復た且に数万ならんとす。一言口より出でば、誰か敢えて従わざらん。虚に乗じて関に入り、天下に号令せば、半歳に盈たずして、帝業成るべし」と。太宗笑いて曰く「卿の言善し、人の意に合う」と。
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『長短経』覇図慈明曰く「蒲山公は名を先帝に策し、位は朝端を極む。明公、我を造るの恩を思わずして、翻りて反噬の志を懐き、皇隋の大徳を棄てて、梟感の頑囂に即く。悪積み禍盈ち、敗るること踵を旋らさず。網は呑舟を漏らし、今日に至る。昔、巨君は天下の衆を以てして、光武に弊る。処仲は江左の師を以てして、明帝に窮まる。明公は烏合の卒を以て、数千を越えず。狼顧鴟張し、強梁村䲧たり。唯だ徳のみ是れ輔く。公、何ぞ預らんや」と。密、乃ち之を司徒府に幽す。慈明、密かに人をして東都に詣らしむ。事泄れ、翟譲、之を殺す。〉詔して唐国公淵をして太原に鎮せしむ。五月甲子、唐公、義兵を挙げ、遥かに煬帝を尊びて太上皇と為し、代王侑を立てて天子と為し、伊・霍の故事を行う。檄を天下に伝え、之を聞きて響応す。〈此れ裴寂・殷開山の計なり。代王侑、時に西京に在り。〉
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『長短経』覇図秋七月、唐公、将に西のかた長安を図らんとす。白旗を仗き、衆に太原の野に誓う。被甲三万。公子元吉を留めて太原を守らしむ。義師、霍邑に次す。隋の武牙郎将宋老生、義師を拒ぐ。時に雨連なりて霽れず、糧運給せず。又た訛言すらく、突厥将に太原を襲わんとすと。唐公懼れ、師を旋らすを命ず。秦王の諫めを用い、乃ち止む。〈秦王諫めて曰く「独夫、虐を肆にし、天下崩離す。狼顧蜂飛し、州に跨がり県に連なる。丈夫は耕耘するを得ず、女子は紡績するを得ず。故に剣を汾晋に仗き、旆を秦墟に挙ぐ。将に封豕を斬りて以て万人を安んじ、鯨鯢を戮して四海を清めんとす。崤函の固きに拠り、天子の威を挟み、諸侯に令し、天下を定む。是を以て之を聞きて響応し、投赴すること帰するが如し。今、小敵に遇いて、便ち旆を返さば、恐らくは義師、一朝に解体し、大事去らん。勢い全くす可からず。帰りて太原を守らば、則ち一城の賊のみ。恐らくは踵を旋らさずして、禍変仍りて生ぜん」と。乃ち止むなり。〉老生、城を背にして一戦す。之を斬りて、霍邑を平らぐ。〈諸城皆な降る。唯だ屈突通のみ河東に鎮し、堅守して下らざるなり。〉