長短経 / 三国権
時長沙太守孫堅殺南陽太守張咨、袁術得據其郡。堅與術合縱、欲襲奪劉表荆州、堅為流矢所中、死。〔初、劉表據荆州也、聞江南賊盛、謂蒯越等曰、「吾欲徴兵、恐不集、其䇿焉出?」對曰、「衆不附者、仁不足也、附而不理者、義不足也。茍仁義之道行、百姓歸之如水之趨下、何患不附?袁術勇而無謀、宗賊貪暴、為下所患、若示之以利、必以衆来。君誅其無道、撫而用之、人有樂存之心、必襁負而至。兵強士附、南據江陵、北守襄陽、八郡可傳檄而定、術等雖至、無能為也。」後果然。〕
新字:時長沙太守孫堅殺南陽太守張咨、袁術得拠其郡。堅与術合縦、欲襲奪劉表荆州、堅為流矢所中、死。〔初、劉表拠荆州也、聞江南賊盛、謂蒯越等曰、「吾欲徴兵、恐不集、其策焉出?」対曰、「衆不附者、仁不足也、附而不理者、義不足也。苟仁義之道行、百姓帰之如水之趨下、何患不附?袁術勇而無謀、宗賊貪暴、為下所患、若示之以利、必以衆来。君誅其無道、撫而用之、人有楽存之心、必襁負而至。兵強士附、南拠江陵、北守襄陽、八郡可伝檄而定、術等雖至、無能為也。」後果然。〕
書き下し
時に長沙太守孫堅、南陽太守張咨を殺し、袁術其の郡に拠るを得たり。堅、術と合縦し、劉表の荊州を襲奪せんと欲し、堅、流矢の中つる所と為りて死す。〔初め、劉表の荊州に拠るや、江南の賊盛んなりと聞き、蒯越等に謂いて曰く「吾、兵を徴せんと欲するも、集まらざることを恐る。其の策焉くにか出でん」と。対えて曰く「衆附かざる者は、仁足らざるなり。附きて理まらざる者は、義足らざるなり。苟も仁義の道行わるれば、百姓の之に帰すること水の下きに趨くが如し。何ぞ附かざるを患えん。袁術は勇にして謀無く、宗賊は貪暴にして、下の患うる所と為る。若し之に示すに利を以てせば、必ず衆を以て来たらん。君、其の無道を誅し、撫して之を用いば、人に存するを楽しむの心有りて、必ず襁負して至らん。兵強く士附かば、南は江陵に拠り、北は襄陽を守り、八郡は檄を伝えて定むべし。術等至ると雖も、能く為す無からん」と。後果たして然り。〕
現代語訳
そのころ長沙太守孫堅は南陽太守張咨を殺し、袁術がその郡を手に入れた。孫堅は袁術と手を結び、劉表の荊州を奪おうとしたが、流れ矢に当たって死んだ。〔はじめ劉表が荊州に拠ったころ、江南の賊が盛んだと聞いて、蒯越らに言った。「兵を集めたいが、集まらないのではと心配だ。どんな策があるか」。蒯越らは答えた。「人がつき従わないのは仁が足りないからです。つき従っても治まらないのは義が足りないからです。仁義の道が行われれば、民が帰ってくるのは水が低いところへ流れるようなもので、つき従わないことを心配する必要はありません。袁術は勇ましいが謀がなく、一族で組んだ賊は欲深く乱暴で、配下からも嫌われています。利を示してやれば、必ず手勢を連れてやって来ます。殿がそのうち無道な者を誅し、残りをなだめて用いれば、人々は生き延びられる喜びを持ち、必ず子を背負ってやって来るでしょう。兵が強くなり士がなつけば、南は江陵に拠り、北は襄陽を守り、八郡は檄文一つで平定できます。袁術らが来ても何もできません」。後に果たしてそのとおりになった。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』三国権〔時に劉表薨ず。諸葛亮、琮を攻めば荊州有つべしと説く。先主曰く「荊州亡ぶるに臨み、我に託するに遺孤を以てす。吾忍びざるなり」と。荊州の人多く先主に帰し、先主日に行くこと十余里。或るひと曰く「宜しく速やかに行きて江陵を保つべし」と。先主曰く「夫れ大事を済す者は、人を以て本と為す。今、人吾に帰す。何ぞ棄て去るに忍びん」と。習鑿齒曰く「劉主は顛沛険難すと雖も、信義愈々明らかに、勢逼り事危うくして、言道を失わず。景升の顧みを追えば、則ち情三軍を感ぜしめ、義に赴くの士を恋えば、則ち甘んじて与に敗るるを同じくす。其の物情を結ぶ所以を視るに、豈に徒に醪を投じ、寒を撫し、蓼を含み、疾を問うのみならんや。其の終に大業を済すこと、亦た宜ならずや」と。〕
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『長短経』三国権後に曹公荊州に入り、劉琮、衆を挙げて降る。〔初め劉表死するや、魯粛進みて説きて曰く「夫れ荊楚は我と隣接し、水流は北に順い、外は江・漢を帯び、内は山陵を阻み、金城の固め有り。沃野万里にして、士人殷富なり。若し拠りて之を有たば、此れ帝王の資なり。粛請う、命を奉じて表の二子を弔い、並びに軍中の事を用うる者を慰労し、劉備に説きて表の衆を撫養し、共に曹操を拒がしめんことを」と。粛未だ到らざるに、琮已に降るなり。〕
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『長短経』三国権孫堅死し、子の策、其の部曲を領し、揚州刺史劉繇を撃ちて之を破り、因りて江東に拠る。〔策、袁術の将に号を僭せんと欲するを聞き、書を与えて諫めて曰く「昔、董卓無道にして、王室を陵虐し、禍は太后に加わり、暴は弘農に及び、天子播越し、宮廟焚毀す。是を以て豪傑発憤し、沛然として俱に起こる。然り而して河北は黒山に異謀し、曹操は毒を東徐に被らせ、劉表は荊南に僭乱し、公孫は朔北に叛逆す。正礼は兵を阻み、玄徳は盟を争う。当に謂うべし、使君は国と規を同じくすと。而るに是を捨てて恤えず、莞然として自ら取るの志有り。懼るらくは海内の企望の意に非ざらん。昔、成湯の桀を伐つや、猶お云う『有夏罪多し』と。武王の紂を伐つや、曰く『殷に重罰有り』と。此の二王は、聖徳有りと雖も、仮に時に失道の過ち無くんば、由りて逼りて取ること無し。今、主上は天下に悪有るに非ず。徒に幼小を以て、強臣に脅かさるるのみ。湯・武の時に異なるなり。使君は五世相承け、漢の宰輔と為り、栄寵の盛んなる、与に比を為す莫し。宜しく忠節を效して、以て王室に報ずべし」と。術納れず。策遂に之と絶つ。〕策、魏の太祖の袁紹と官渡に相持すと聞き、将に江を渡りて許を襲わんとするも、未だ済らざるに、許貢の客の殺す所と為る。
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『長短経』覇図太祖、劉表を征す。会々表卒し、子琮降る。〈劉表、字は景升、山陽高平の人なり。詔して表を以て荊州刺史と為す。南は五岑嶺に接し、北は漢川に拠り、地は方数千里、帯甲十余万。曹操と袁紹と官渡に相い持す。紹、人を遣わして助けを求む。表、之を許すも至らず、亦た操を援けず、且つ天下の変を観んと欲す。劉先、表に説きて曰く「今、豪傑並び争い、両雄相い持す。天下の重きは将軍に在り。将軍、若し為す所有らば、起ちて其の弊に乗ずるも可なり。如し其れ然らずんば、固より将に宜しく従う所を択ぶべし。豈に甲十万を擁して、坐して成敗を観る可けんや。援けを求めて助くる能わず、賢を見て帰する能わず。此の両怨、必ず将軍に集まらん。恐らくは復た中立するを得ざらん。曹操は善く兵を用い、其の賢俊、多く之に帰す。其の勢い必ず袁紹を挙げん。然る後に兵を移して江漢に向かわん。恐らくは将軍、禦ぐ能わざらん。今の勝計は、荊州を以て操に降るに若くは莫し。操は必ず将軍を重んじ徳とせん。長く福祚を享け、之を後嗣に垂れん。此れ万全の策なり」と。表、従わず。
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『長短経』三国権〔時に権、柴桑に軍し、劉備は樊に在り。曹公南のかた劉表を征す。会々表卒し、子の琮、衆を挙げて降る。先主、曹公の卒かに至るを知らず、宛に至りて乃ち之を聞き、遂に其の衆を率いて南に行き、曹公の追破する所と為る。劉備、夏口に至る。諸葛亮曰く「事急なり。請う、命を奉じて救いを孫将軍に求めん」と。遂に見えて、説きて曰く「将軍は兵を江東に起こし、劉豫州も亦た衆を漢南に収め、曹操と並びて天下を争う。今、操は大難を芟夷し、略々已に平らぐ。遂に荊州を破り、威は四海に震い、英雄は武を用うる所無し。故に豫州遁逃して此に至る。将軍、力を量りて之に処せよ。若し能く呉越の衆を以て中国と衡を争わば、早く之と絶つに如かず。若し当たること能わずんば、何ぞ兵を按じ甲を束ね、北面して之に事えざる。今、将軍は外は服従の名に託し、而して内は猶予の計を懐く。事急にして断ぜずんば、禍至ること日無し」と。
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『長短経』覇図十三年、曹操、自ら将いて表を征す。未だ至らずして、表、疽、背に発して卒す。操、新野に軍す。傅巽、琮に説きて降に帰せしめんとす。琮曰く「今、諸君と全楚の地に拠り、先君の業を守り、以て天下を観る。何為れぞ不可ならん」と。巽曰く「逆順に大体有り、強弱に定勢有り。人臣を以て人主を拒ぐは、逆道なり。新造の楚を以て中国を禦ぐは、必ず危うきなり。劉備を以て曹公に敵するは、当たらざるなり。三者皆な短し。以て王師の鋒に抗せんと欲するは、必ず亡ぶの道なり。将軍、自ら料るに劉備と何如」と。琮曰く「如かざるなり」と。巽曰く「誠に備を以て曹公を禦ぐに足らずんば、即ち保全し難く、楚は以て自ら存するに足らず。誠に劉備を以て曹公に敵するに足らば、則ち備は将軍の為にする能わざるなり。願わくは将軍、疑う勿かれ」と。琮、遂に衆を挙げて降る。時に劉備、奔りて荊州に在り。表、用うる能わず。荊州の降るを聞き、遂に夏口に奔るなり。〉