長短経 / 察相
邾隱公來朝、執玉高、其容仰、魯公受玉卑、其容俯。子貢曰、「以禮觀之、二君皆有死亡焉高仰、驕也、卑俯、替也。驕近亂、替近疾。君為主、其先亡乎?」此年、公薨哀七年、以邾子益歸、衛侯㑹吳于鄖。吳人藩衛侯之舎子貢說太宰嚭而免之。衛侯歸、效夷言。子之尚幼曰、「君必不免。其死於夷乎?執焉而又說其言、從之固矣。」後卒死於楚。
新字:邾隠公来朝、執玉高、其容仰、魯公受玉卑、其容俯。子貢曰、「以礼観之、二君皆有死亡焉高仰、驕也、卑俯、替也。驕近乱、替近疾。君為主、其先亡乎?」此年、公薨哀七年、以邾子益帰、衛侯会呉于鄖。呉人藩衛侯之舎子貢説太宰嚭而免之。衛侯帰、効夷言。子之尚幼曰、「君必不免。其死於夷乎?執焉而又説其言、従之固矣。」後卒死於楚。
書き下し
邾の隠公来朝す。玉を執ること高く、其の容は仰ぐ。魯公、玉を受くること卑しく、其の容は俯す。子貢曰く「礼を以て之を観れば、二君は皆な死亡有らん。高く仰ぐは驕なり、卑しく俯すは替なり。驕は乱に近く、替は疾に近し。君は主たり、其れ先ず亡びんか」と。此の年、公薨ず。哀公七年、邾子益を以て帰る。衛侯、呉に鄖に会す。呉人、衛侯の舎を藩す。子貢、太宰嚭に説きて之を免る。衛侯帰りて、夷言を効う。子の之、尚お幼くして曰く「君は必ず免れじ。其れ夷に死せんか。執えられて又た其の言を説ぶ、之に従うこと固し」と。後に卒に楚に死す。
現代語訳
邾の隠公が来朝した。玉を持つ手が高く、姿勢は仰いでいた。魯公は玉を受ける手が低く、姿勢は俯いていた。子貢は言った。「礼によって見れば、二人の君はともに死ぬか国を失うだろう。高く仰ぐのは驕りであり、低く俯すのは衰えである。驕りは乱に近く、衰えは病に近い。魯公は主人の側だから、先に亡くなるだろう」。この年、魯公は亡くなった。哀公七年、邾子益は連れ去られた。衛侯が呉と鄖で会見した。呉人は衛侯の宿舎を垣で囲んだ。子貢が太宰嚭を説得してこれを解いた。衛侯は帰国してから、夷(呉)の言葉を真似た。その子の之は、まだ幼かったが言った。「君は逃れられまい。夷の地で死ぬのではないか。捕らえられておきながら、その言葉を喜んでいる。すっかりなびいている」。のちについに楚で死んだ。
解説

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孔子家語・終記解二三子、三年の喪畢わり、或いは留まり或いは去る。惟だ子貢のみ墓に廬すること六年。自後、群弟子及び魯人の墓に處ること家の如き者、百有餘家。因りて其の居を名づけて「孔里」と曰う。
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孔子家語・困誓子貢孔子に問いて曰わく、「賜学に倦み、道に困しめり。願わくは事君に息わんか。」孔子曰わく、「詩に云う、『温恭朝夕、事を執ること恪有り』と。事君の難きや、焉んぞ息う可けんや。」曰わく、「然らば則ち賜親に事えて息わんことを願う。」孔子曰わく、「詩に云う、『孝子匱きこと無く、永く爾に類を錫う』と。事親の難きや、焉んぞ以て息う可けんや。」曰わく、「然らば賜請う妻子に息わんことを願う。」孔子曰わく、「詩に云う、『寡妻に刑して、兄弟に至り、以て家邦を御む』と。妻子の難きや、焉んぞ以て息う可けんや。」曰わく、「然らば賜朋友に息わんことを願う。」孔子曰わく、「詩に云う、『朋友攸に攝け、攝くるに威儀を以てす』と。朋友の難きや、焉んぞ以て息う可けんや。」曰わく、「然らば則ち賜耕に息わんことを願う。」孔子曰わく、「詩に云う、『昼爾茅を於め、宵爾綯を索う。亟かに其の屋に乗り、其れ始めて百穀を播く』と。耕の難きや、焉んぞ以て息う可けんや。」曰わく、「然らば則ち賜将に息う所無からんとするなり。」孔子曰わく、「焉る有り。自ら其の広きを望めば、則ち睪如たるなり。其の高きを視れば、則ち填如たるなり。其の従を察すれば、則ち隔如たるなり。此れ其の息う所以なり。」子貢曰わく、「大いなるかな、死や。君子は焉に息い、小人は焉に休う。大いなるかな、死や。」
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孔子家語・辯政子貢、孔子に問いて曰わく、「昔者齊君政を夫子に問い、夫子曰わく、『政は財を節するに在り。』と。魯君政を夫子に問い、子曰わく、『政は臣を諭すに在り。』と。葉公政を夫子に問い、夫子曰わく、『政は近きを悅ばしめて遠きを來らしむるに在り。』と。三者の問いは一なるも、夫子之に應ずること同じからず。然らば政は端を異にするか。」孔子曰わく、「各々其の事に因ればなり。齊君國を為むるに、臺榭に奢り、苑囿に淫す。五官の伎樂、時に解けず。一旦にして人に賜うに千乘の家を以てする者三たびす。故に『政は財を節するに在り』と曰う。魯君に臣三人有り。內に比周して、以て其の君を愚にし、外に諸侯の賓を距ぎて、以て其の明を蔽う。故に『政は臣を諭すに在り』と曰う。夫れ荊の地、廣くして都狹し。民離心有り、其の居に安んずる莫し。故に『政は近きを悅ばしめて遠きを來らしむるに在り』と曰う。此の三者、政を為す所以殊なり。詩に云う、『喪亂資無く、曾て我が師を惠まず。』と。此れ奢侈節せざるを傷みて、以て亂と為す者なり。又た曰わく、『其の共を止むるに匪ず、惟れ王の邛なり。』と。此れ奸臣主を蔽うを傷みて、以て亂と為すなり。又た曰わく、『亂離瘼めり、奚くにか其れ適き歸らん。』と。此れ離散を傷みて以て亂と為す者なり。此の三者を察するに、政の欲する所、豈に同じからんや。」
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