長短経 / 卑政
〔劉安曰「日月至光至大、而有所不徧者、以其髙于萬物之上也。燈燭至微至小、而世不可之者、以其明之下、能炤日月之四蔽。」由是觀之、政之貴卑也久矣。是以先王設官、分職而共治也〕
新字:〔劉安曰「日月至光至大、而有所不遍者、以其高于万物之上也。灯燭至微至小、而世不可之者、以其明之下、能炤日月之四蔽。」由是観之、政之貴卑也久矣。是以先王設官、分職而共治也〕
書き下し
〔劉安曰く「日月は至光至大なるも、而して徧からざる所有る者は、其の万物の上に高きを以てなり。灯燭は至微至小なるも、而して世之を可とせざる者は、其の明の下にして、能く日月の四蔽を炤らすを以てなり」と。是に由りて之を観れば、政の卑きを貴ぶや久し。是を以て先王は官を設け、職を分かちて共に治むるなり。〕
現代語訳
〔劉安は言う。「日と月はこの上なく明るく大きいが、照らしきれないところがあるのは、万物の上に高くあるからである。灯火はこの上なく小さくかすかだが、世の人が軽んじられないのは、その光が低いところにあって、日と月の四方の陰を照らせるからである」。これで見れば、政治が低い身近なところを重んじてきたのは久しいことである。だから先王は官職を設け、職務を分けて、ともに治めたのである。〕
解説
卑政の篇は、日月と灯火の対比から始まります。太陽や月は偉大でも、高いところにあるので物陰までは照らせない。小さな灯火は、低いところにあるからこそ、日月の届かない隅を照らせる。政治も、高く立派な理念だけでは民の暮らしの隅々に届かない。だから先王は役職を分け、それぞれの持ち場で身近な仕事を担わせた。組織の理念が現場に届くのは、現場に近い灯火のような役割があってこそです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
卑政劉安現場灯火役割分担実務
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