長短経 / 論士
士亦然矣。”何以明之?孔子厄於陳、蔡、顔回曰、“夫子之徳至大、天下莫能容。然夫子推而行之、世不我用、有國者之醜也。夫子何病焉?”〔故曰、文王明夷則主可知、仲尼旅人則國可知。〕榖梁傳》曰、“子既生、不免乎水火、母之罪也、羈貫成童、不就師傅、父之罪也〔羈貫謂交午翦髪成童、謂八歲以上。、〕就師學問無方、心志不通、身之罪也、心志既通、而名譽不聞、友之罪也、名譽既聞、有司不舉、有司之罪也、有司舉之、王者不用、王者之過也。”〔孔子曰、夫“内行不修、己之罪也、行修而名不彰、友之罪也。”〕
新字:士亦然矣。”何以明之?孔子厄於陳、蔡、顔回曰、“夫子之徳至大、天下莫能容。然夫子推而行之、世不我用、有国者之醜也。夫子何病焉?”〔故曰、文王明夷則主可知、仲尼旅人則国可知。〕穀梁伝》曰、“子既生、不免乎水火、母之罪也、羈貫成童、不就師傅、父之罪也〔羈貫謂交午翦髪成童、謂八歳以上。、〕就師学問無方、心志不通、身之罪也、心志既通、而名誉不聞、友之罪也、名誉既聞、有司不舉、有司之罪也、有司舉之、王者不用、王者之過也。”〔孔子曰、夫“内行不修、己之罪也、行修而名不彰、友之罪也。”〕
書き下し
士も亦た然り」と。何を以て之を明らかにせん。孔子、陳・蔡に厄す。顔回曰く「夫子の徳は至大なり、天下能く容るる莫し。然れども夫子推して之を行う。世、我を用いざるは、国有る者の醜なり。夫子何ぞ焉を病まんや」と。〔故に曰く、文王、明夷なれば則ち主知る可し。仲尼、旅人なれば則ち国知る可し。〕穀梁伝に曰く「子既に生まれて、水火を免れざるは母の罪なり。羈貫成童にして、師傅に就かざるは父の罪なり。〔羈貫は交午翦髪を謂う。成童は八歳以上を謂う。〕師に就きて学問するに方無く、心志通ぜざるは身の罪なり。心志既に通じて、名誉聞こえざるは友の罪なり。名誉既に聞こえて、有司挙げざるは有司の罪なり。有司之を挙げて、王者用いざるは王者の過ちなり」と。〔孔子曰く、夫れ「内行修まらざるは己の罪なり。行修まりて名彰れざるは友の罪なり」と。〕
現代語訳
士もまた同じである」。なぜそう言えるのか。孔子が陳と蔡の間で難儀した。顔回は言った。「先生の徳はきわめて大きく、天下に受け入れられるところがありません。それでも先生はそれを推し進めて行われる。世が我々を用いないのは、国を持つ者の恥です。先生が何を気にされましょう」。〔だからこう言う。文王が傷ついていれば、そのときの君主が分かる。孔子が旅人であれば、そのときの国が分かる。〕穀梁伝にこうある。「子が生まれて、水や火の危険から守られないのは母の罪である。髪を結う年になっても、師につかないのは父の罪である。〔羈貫とは髪を左右に分けて結うこと。成童とは八歳以上をいう。〕師について学んでも方法がなく、心と志が通じないのは本人の罪である。心と志がすでに通じているのに、名誉が世に聞こえないのは友の罪である。名誉がすでに聞こえているのに、役人が推挙しないのは役人の罪である。役人が推挙したのに、王が用いないのは王の過ちである」。〔孔子はこう言った。「内面の行いが修まらないのは自分の罪である。行いが修まっているのに名が現れないのは友の罪である」。〕
解説

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