長短経 / 政体
不處不可久、不偷取一世宜也。〔董仲舒曰安邊之䇿、欲令漢與匈奴和親、又取匈奴愛子為質。班固以匈奴桀鷔毎有人降漢、輒亦拘留漢使以相報復、安肯以愛子為質?孝文時、妻以漢女、而匈奴屢背約束、昧利不顧、安在其不弃質而失重利也?夫規事建議、不圖萬世之固、而媮恃一時之事者、未可以經逺。”晁錯說漢文帝令人入粟塞下、得以拜爵、得以贖罪、上從之。荀悦曰、“聖人之政、務其綱紀、明其道義而已。若夫一切之計、必推其公議、度其時宜、不得已而用之、非有大故、弗由之也。”〕
新字:不処不可久、不偸取一世宜也。〔董仲舒曰安辺之策、欲令漢与匈奴和親、又取匈奴愛子為質。班固以匈奴桀鷔毎有人降漢、輒亦拘留漢使以相報復、安肯以愛子為質?孝文時、妻以漢女、而匈奴屡背約束、昧利不顧、安在其不弃質而失重利也?夫規事建議、不図万世之固、而媮恃一時之事者、未可以経遠。”晁錯説漢文帝令人入粟塞下、得以拝爵、得以贖罪、上従之。荀悦曰、“聖人之政、務其綱紀、明其道義而已。若夫一切之計、必推其公議、度其時宜、不得已而用之、非有大故、弗由之也。”〕
書き下し
久しかる可からざるに処らざるは、一世の宜しきを偸み取らざるなり。〔董仲舒、辺を安んずるの策を曰う。漢をして匈奴と和親せしめ、又た匈奴の愛子を取りて質と為さんと欲す。班固は、匈奴桀鷔にして、毎に人の漢に降る有れば、輒ち亦た漢使を拘留して以て相い報復すと以う。安くんぞ肯えて愛子を以て質と為さんや。孝文の時、妻わすに漢の女を以てす。而して匈奴は屢しば約束に背き、利に昧くして顧みず。安くんぞ其の質を弃てて重利を失わざるに在らんや。夫れ事を規り議を建つるに、万世の固きを図らずして、一時の事を偸み恃む者は、未だ以て遠きを経る可からず」と。晁錯、漢の文帝に説きて、人をして粟を塞下に入れしめ、以て爵を拝するを得、以て罪を贖うを得しむ。上、之に従う。荀悦曰く「聖人の政は、其の綱紀を務め、其の道義を明らかにするのみ。若し夫れ一切の計は、必ず其の公議を推し、其の時宜を度り、已むを得ずして之を用う。大故有るに非ざれば、之に由らざるなり」と。〕
現代語訳
長く続けられないところに身を置かないとは、その場かぎりの都合を盗み取らないということである。〔董仲舒は辺境を安んずる策を述べ、漢を匈奴と和親させ、さらに匈奴の愛児を人質に取ろうとした。班固は、匈奴は荒々しく、漢に降る者があるたびに漢の使者を拘留して報復するのだから、どうして愛児を人質に出そうか、と考えた。文帝の時に漢の女性を嫁がせたが、匈奴はたびたび約束に背き、利に目がくらんで顧みなかった。どうして人質を捨てて大きな利を失わないでいられよう。事をはかり議を立てるのに、万世にわたる堅固さを図らず、その場かぎりの成果を当てにする者は、遠くまで治めることはできない」。晁錯は漢の文帝に説いて、人々に粟を辺境の砦へ納めさせ、それによって爵位を授かり罪を贖えるようにした。文帝はこれに従った。荀悦はこう言った。「聖人の政治は、その大綱を務め、その道義を明らかにするだけである。いわゆる便宜的な手立ては、必ずその公の議論を推し、その時宜をはかり、やむを得ないときにだけ用いる。大きな事故がないかぎり、それによることはない」。〕
解説

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