長短経 / 七雄略
〔楚襄王既與秦和、慮無秦患、乃與四子専為淫侈。荘辛諌不聽、辛去之趙。後秦果舉鄢郢、襄王乃徵辛而謝之。荘辛曰、「臣聞鄙諺曰、『見兎而顧犬、未為晚也、亡羊而補牢、未為遲也。』臣聞、湯、武以百里王、桀、紂以天下亡。今楚國雖小、絶長補短、猶以千里、豈特百里哉!王獨不見夫蜻蛉乎?六足四翼、飛翔乎天地之間、俛蚉䖟而食之、承白露而飲之、自以為無患、與人無爭也。不知夫五尺童子、方將調飴膠絲、加已乎四仭之上、而下為螻蟻之食。
新字:〔楚襄王既与秦和、慮無秦患、乃与四子専為淫侈。荘辛諌不聴、辛去之趙。後秦果舉鄢郢、襄王乃徴辛而謝之。荘辛曰、「臣聞鄙諺曰、『見兎而顧犬、未為晩也、亡羊而補牢、未為遅也。』臣聞、湯、武以百里王、桀、紂以天下亡。今楚国雖小、絶長補短、猶以千里、豈特百里哉!王独不見夫蜻蛉乎?六足四翼、飛翔乎天地之間、俛蚉䖟而食之、承白露而飲之、自以為無患、与人無争也。不知夫五尺童子、方将調飴膠糸、加已乎四仭之上、而下為螻蟻之食。
書き下し
〈楚の襄王、既に秦と和し、秦の患い無きを慮り、乃ち四子と専ら淫侈を為す。荘辛諫むるも聴かず。辛、去りて趙に之く。後、秦、果たして鄢郢を挙ぐ。襄王、乃ち辛を徴して之に謝す。荘辛曰く「臣聞く、鄙諺に曰く『兎を見て犬を顧みるも、未だ晩しと為さず。羊を亡いて牢を補うも、未だ遅しと為さず』と。臣聞く、湯・武は百里を以て王たり、桀・紂は天下を以て亡ぶ、と。今、楚国は小なりと雖も、長を絶ち短を補えば、猶お千里を以てす。豈に特だ百里ならんや。王、独り夫の蜻蛉を見ずや。六足四翼、天地の間に飛翔し、俯して蚊虻を食らい、白露を承けて之を飲む。自ら以為えらく患い無し、人と争う無しと。知らず、夫の五尺の童子、方に将に飴を調え糸に膠し、已を四仞の上に加えて、下して螻蟻の食と為さんとするを。
現代語訳
〈楚の襄王は秦と和睦して、秦の心配がないと考え、四人の側近ともっぱら奢りにふけった。荘辛が諫めたが聞かなかった。荘辛は去って趙へ行った。その後、秦が果たして鄢と郢を落とした。襄王は荘辛を呼び戻して詫びた。荘辛は言った。「臣が聞くところでは、田舎の諺に『兎を見てから猟犬を振り返っても遅くはない。羊を失ってから囲いを直しても遅くはない』とあります。臣が聞くところでは、湯王と武王は百里の土地で王となり、桀と紂は天下を持ちながら滅びた、と。いま楚は小さいといっても、長いところを切って短いところを補えば、なお千里はある。百里どころではありません。王はあのトンボをご覧になりませんか。六本の足と四枚の羽で天地のあいだを飛び、下を向いて蚊や虻を食べ、白露を受けて飲む。自分では憂いがない、誰とも争わないと思っている。ところが五尺の子どもが飴を練って糸に塗り、四仞の高さで自分を捕らえて、蟻の餌にしようとしていることを知らない。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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尚書・皐陶謨予(われ)違(たが)わば、汝(なんじ)弼(たす)けよ。汝、面従(めんじゅう)することなく、退(しりぞ)きて後言(こうげん)あることなかれ。