長短経 / 利害
此利害之變、故曰、「陷之死地而後生、雜于害而患可解。」此之謂也。
新字:此利害之変、故曰、「陥之死地而後生、雑于害而患可解。」此之謂也。
書き下し
此れ利害の変なり。故に曰く「之を死地に陥れて而る後に生き、害に雑えて患い解くべし」と。此の謂いなり。
現代語訳
これが利と害の変化である。だから「死地に陥れてこそ生き、害の中に利を混ぜて考えれば憂いを解ける」と言う。このことである。
解説
利害の篇は、孫子の二つの言葉で締めくくられます。死地に陥れてこそ生きる。害の中に利を混ぜて考えれば、憂いを解ける。韓信は背水という害の中に兵の必死という利を見つけ、賈詡は敗戦という害の中に相手の油断という利を見つけた。有利と不利は固定したものではなく、見方と使い方で入れ替わる。不利な状況に置かれたときこそ、その中にある利を探す目を持つことが大切なのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
利害孫子死地害中の利逆境発想の転換
関連する章句
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『長短経』利害諸将、首虜を殺し、留まりて賀し、因りて信に問いて曰く「兵法に『山陵を右背にし、水沢を前左にす』と。今者、将軍は臣等をして反りて背水の陣をなさしめ、曰く『趙を破りて会食せん』と。時に臣等服せず。然れども竟に以て勝つ。此れ何の術ぞや」と。信曰く「此れ兵法の中に在り、顧だ諸君察せざるのみ。兵法に曰わずや『之を死地に陥れて而る後に生き、之を亡地に置きて而る後に存す』と〔夫れ死地に処るは、力均しく勢い敵するを謂う。死地を以て勝ちを取るは可なり。若し至弱を以て至強に当たり、弱兵を死地に投ずれば、自ら陥ることを貽すなり。故に孫子曰く「兵恐るれば、救うべからず」と。又た経に曰く「大衆害に陥りて、然る後に能く勝敗を為す」と。是に知る、死地の機は、必ず大衆を用うるなり〕。且つ信は能く素より士大夫を撫循するに非ず。所謂市人を駆りて戦わしむるなり。其の勢い之を死地に置きて、人人をして自ら戦いを為さしむるに非ずんば、今之に生地を与えば、皆走らん。寧んぞ尚お得て之を用うべけんや」と。諸将曰く「善し。及ぶ所に非ざるなり」と。
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孫子・地形篇故に戦道必ず勝たば、主戦う無かれと曰うとも、必ず戦うも可なり。戦道勝たずんば、主必ず戦えと曰うとも、戦う無きも可なり。是の故に進みて名を求めず、退きて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて、而して利の主に合うは、国の宝なり。
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『長短経』利害孫子曰く「之を死地に陥れて而る後に生き、之を亡地に投じて而る後に存す」と。又た曰く「利に雑えて務め伸ぶべく、害に雑えて患い解くべし」と。何を以て之を明らかにせん。漢の将韓信、趙を攻む。趙は兵を井陘口に盛んにす。信乃ち兵を引きて未だ井陘口に至らざること三十里にして、止まり舎す。夜半に伝え発し、軽騎二千人を選び、一赤幟を持たしめ、間道より山に萆れて〔音は蔽〕趙の軍を望見せしむ。之を誡めて曰く「趙は吾が走るを見ば、必ず壁を空しくして吾を逐わん。若疾く趙の壁に入り、趙の幟を抜きて、漢の赤幟を立てよ」と。其の裨将をして飱を伝えしめて曰く「今日趙を破りて会食せん」と。諸将皆信ずる莫く、佯り応じて曰く「諾」と。信、軍吏に謂いて曰く「趙は已に先に便地に拠りて壁を為す。且つ彼は未だ我が大将の旗鼓を見ずんば、未だ肯えて前行を撃たず。吾が阻険に至りて還らんことを恐るればなり」と。信乃ち万人をして出でて、背水の陣を行わしむ。趙の軍望見して、大いに之を笑う。〔太公曰く「智衆と同じきは、人の師に非ざるなり。伎衆と同じきは、国士に非ざるなり。動くこと不意より神なるは莫く、勝つこと不識より大なるは莫し」と。趙の軍をして韓信の勢いを識らしめば、安んぞ敗るるを得んや。故に之を笑いて敗るるなり。〕