長短経 / 量才
故伊尹曰、「智通於大道、應變而不窮、辨於萬物之情、其言足以調隂陽、正四時、節風雨、如是者、舉以為三公。」故三公之事常在於道。
新字:故伊尹曰、「智通於大道、応変而不窮、弁於万物之情、其言足以調陰陽、正四時、節風雨、如是者、舉以為三公。」故三公之事常在於道。
書き下し
故に伊尹曰く「智は大道に通じ、変に応じて窮まらず、万物の情を弁じ、其の言は以て陰陽を調え、四時を正し、風雨を節するに足る。是くの如き者は、挙げて以て三公と為す」と。故に三公の事は常に道に在り。
現代語訳
だから伊尹はこう言った。「知恵が大いなる道に通じ、変化に応じて行き詰まらず、万物の実情を見分け、その言葉は陰陽を調え、四季を正し、風雨を加減するに足る。このような者は、取り立てて三公とする」。だから三公の仕事は常に道の上にある。
解説
量才篇では、官位の高さを職務の抽象度で定義していきます。三公の仕事は道にあり、この後に出る九卿は徳、大夫は仁、列士は義と続きます。上へ行くほど、扱うものが具体から抽象へ移る。陰陽を調え四季を正すというのは、天候を操るという意味ではなく、全体の調子を整えるという比喩です。上の役職ほど何をしているか説明しにくくなるのは、扱う対象が形を持たないものに変わるからだ、という見立てです。
この章句が説くこと
三公道職階役割伊尹抽象
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