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長短経 / 論士

〔慎子曰、騰蛇遊霧、飛龍乗雲、雲罷霧霽、與蚯蚓同、則失其所乗矣。”韓子曰、“千鈞得舩則浮、錙銖失舩則沉、非千鈞輕而錙銖重、有勢之與無勢耳。故勢有不可得、事有不可成。烏獲輕千鈞而重其身、非其身輕而重於千鈞也、勢不便也、離婁易於百歩而難於睂睫、非百歩近而睂睫逺、道不可也。”〕

新字:〔慎子曰、騰蛇遊霧、飛竜乗雲、雲罷霧霽、与蚯蚓同、則失其所乗矣。”韓子曰、“千鈞得舩則浮、錙銖失舩則沈、非千鈞軽而錙銖重、有勢之与無勢耳。故勢有不可得、事有不可成。烏獲軽千鈞而重其身、非其身軽而重於千鈞也、勢不便也、離婁易於百歩而難於眉睫、非百歩近而眉睫遠、道不可也。”〕

書き下し

〔慎子曰く「騰蛇は霧に遊び、飛龍は雲に乗る。雲罷み霧霽るれば、蚯蚓と同じ。則ち其の乗ずる所を失えばなり」と。韓子曰く「千鈞も船を得れば則ち浮き、錙銖も船を失えば則ち沈む。千鈞の軽くして錙銖の重きに非ず、勢いの有ると勢いの無きとのみ。故に勢いに得可からざる有り、事に成す可からざる有り。烏獲は千鈞を軽んじて其の身を重しとす。其の身の軽くして千鈞より重きに非ず、勢い便ならざればなり。離婁は百歩に易くして眉睫に難し。百歩の近くして眉睫の遠きに非ず、道の可ならざればなり」と。〕

現代語訳

〔慎子はこう言った。「騰蛇は霧に遊び、飛龍は雲に乗る。雲がやみ霧が晴れれば、ミミズと同じである。乗るものを失ったからだ」。韓非子はこう言った。「千鈞の重さでも船に乗れば浮き、わずかな重さでも船を失えば沈む。千鈞が軽くてわずかな重さが重いのではない。勢いがあるかないかだけである。だから勢いには得られないものがあり、事には成せないものがある。烏獲は千鈞を軽々と持ち上げながら自分の体を重いと感じた。自分の体が千鈞より重いのではない。姿勢が適さないからである。離婁は百歩先はよく見えるが、自分のまつげは見えない。百歩が近くてまつげが遠いのではない。道理がそれを許さないからである」。〕

解説

三つの比喩が畳みかけます。騰蛇も雲霧が晴れればミミズと同じ。千鈞も船があれば浮き、わずかな重さも船がなければ沈む。怪力の烏獲が自分の体を持ち上げられず、視力の離婁が自分のまつげを見られない。どれも、能力ではなく条件が結果を決めるという話です。とくに最後の二つは、自分自身に対しては能力が使えないと言っている。自分のことだけは他人に見てもらうしかない、という含みがあります。

この章句が説くこと

勢い条件慎子韓非子騰蛇烏獲

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