長短経 / 懼戒
〔董卓擅朝權徵皇甫嵩。梁衍説令討卓。又陶謙等共推朱雋為太師不使受李傕徵、二人皆不從。范曄評曰、「皇甫嵩、朱雋並以上將之畧、受脤倉卒之時、值弱主蒙塵、獷賊放命、斯誠葉公投袂之機、翟義鞠旅之日。故梁衍獻規、山東連謀而捨格天之大業、蹈匹夫之小諒。卒狼狽虎口、為智士笑。豈天之長斯亂也、何智勇之不終、甚乎!」議曰、楚白公勝殺子西、刦恵王。葉公聞白公為亂、率國人攻白公、白公敗亡也。〕
新字:〔董卓擅朝権徴皇甫嵩。梁衍説令討卓。又陶謙等共推朱雋為太師不使受李傕徴、二人皆不従。范曄評曰、「皇甫嵩、朱雋並以上将之略、受脤倉卒之時、値弱主蒙塵、獷賊放命、斯誠葉公投袂之機、翟義鞠旅之日。故梁衍献規、山東連謀而捨格天之大業、蹈匹夫之小諒。卒狼狽虎口、為智士笑。豈天之長斯乱也、何智勇之不終、甚乎!」議曰、楚白公勝殺子西、刦恵王。葉公聞白公為乱、率国人攻白公、白公敗亡也。〕
書き下し
〔董卓朝権を擅にし、皇甫嵩を徴す。梁衍、説きて卓を討たしめんとす。又た陶謙等共に朱雋を推して太師と為し、李傕の徴を受けざらしめんとす。二人皆従わず。范曄評して曰く「皇甫嵩・朱雋は並びに上将の略を以て、脤を倉卒の時に受け、弱主蒙塵し、獷賊命を放つに値う。斯れ誠に葉公投袂の機、翟義鞠旅の日なり。故に梁衍規を献じ、山東謀を連ぬるも、而して格天の大業を捨てて、匹夫の小諒を蹈む。卒に虎口に狼狽し、智士の笑いと為る。豈に天の斯の乱を長ぜしむるか、何ぞ智勇の終えざること甚だしきや」と。議に曰く、楚の白公勝、子西を殺し、恵王を劫かす。葉公、白公の乱を為すを聞き、国人を率いて白公を攻む。白公敗亡するなり。〕
現代語訳
〔董卓が朝廷の権を独占し、皇甫嵩を都に呼び寄せた。梁衍は皇甫嵩に董卓を討つよう説いた。また陶謙らはともに朱雋を太師に推し、李傕の呼び出しに応じさせまいとした。二人ともどちらにも従わなかった。范曄は評して言う。「皇甫嵩と朱雋は、ともに上将の才略を持ち、慌ただしい時に出陣の礼を受け、弱い君主が都を追われ、凶暴な賊が命令をほしいままにする時に出会った。これこそ葉公が袖を払って立ち上がる機、翟義が兵を集める日であった。だから梁衍が策を献じ、山東の諸侯が謀を連ねたのに、天にも届く大業を捨てて、凡人の小さな律儀さを踏み行った。結局、虎の口の中で狼狽し、智者に笑われた。天がこの乱を長引かせたのか。智勇がなんと最後まで貫かれなかったことか」。論じて言う。楚の白公勝は子西を殺し恵王を脅した。葉公は白公が乱を起こしたと聞くと国人を率いて白公を攻め、白公は敗れて滅んだ。〕
解説
この章句が説くこと
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『長短経』懼戒且つ今、宦豎群居し、悪を同じくすること市の如く、上命行われず、権は近習に帰す。昏主の下は、以て久しく居り難く、不賞の功は、讒人側目す。如し早く図らずんば、後悔及ぶ無からん」と。嵩懼れて曰く「非常の謀は、有常の勢いに施さず。大功を創図するは、豈に庸才の致す所ならんや。黄巾は細孽にして、敵は秦・項に非ず。新たに結びて散じ易く、以て業を済すこと難し。且つ民は未だ主を忘れず、天は逆を佑けず。若し虚しく不冀の功を造りて、以て朝夕の禍を速めんよりは、孰れか忠を本朝に委ね、其の臣節を守るに与かん。讒多しと云うと雖も、放廃に過ぎず。猶お令名有りて、死すとも且つ朽ちず。反常の論は、敢えて聞かざる所なり」と。
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『長短経』懼戒後漢の霊帝、皇甫嵩を以て将軍と為し、黄巾を討ち破りて、威は天下に震う。而して朝政日に乱れ、海内虚困す。故の信都令閻忠、嵩に干説して曰く「得難くして失い易き者は、時なり。時至りて踵を旋らさざる者は、機なり。故に聖人は時に順いて以て動き、智者は機に因りて以て発す。今、将軍は得難きの運に遭い、駭き易きの機を蹈むも、運を践みて撫せず、機に臨みて発せずんば、将に何を以て大名を保たんとする」と。嵩曰く「何の謂いぞや」と。忠曰く「天道は親無く、百姓は能に与す。今、将軍は鉞を暮春に受け、功を末冬に収む。兵の動くこと神の如く、謀は再び計らず。強を摧くこと枯れたるを折るより易く、堅を消すこと湯の雪より易し。旬月の間に、神兵電のごとく掃い、戸を封じ石に刻み、南に向かいて以て徳に報ず。威名は本朝に震い、風声は海外に馳す。湯・武の挙と雖も、未だ将軍より高き者有らざるなり。今、身は賞せられざるの功を建て、体は高人の徳を兼ぬ。而して庸主に北面す。何を以て安きを求めんや」と。
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『長短経』先勝嵩、兵を進めて之を撃つ。卓曰く「不可なり。兵法に『窮寇は迫ること勿かれ、帰衆は追うこと勿かれ』と。今、我国を追うは、是れ帰衆に迫り、窮寇を追うなり。困獣も猶お闘い、蜂蠆も毒有り。況んや大衆をや」と。嵩曰く「然らず。吾前に撃たざるは、其の鋭を避くるなり〔実なれば之に備え、強ければ之を避く。鋭卒は攻むること勿かれ。兵の機なり〕。今之を撃つは、其の衰うるを待てばなり。撃つ所は疲師にして、帰師に非ざるなり。国の衆は且に走らんとし、闘志有る莫し。整を以て乱を撃つ。窮寇に非ざるなり」と。遂に独り兵を進めて之を撃ち、卓をして後拒と為さしむ。連戦して、大いに破る。国走りて死す。卓大いに慚じ恨む〔孫子曰く「怒らせて之を撓す」と。其の衰うるを待つを言うなり。又た曰く「卑くして之を驕らす」と。敵怒りて兵を進むれば、則ち当に外に屈弱を示して、以て其の志を高くし、其の帰るを待ちて、随いて之を撃つべきを言う。又た曰く「引きて之を労す」と。其の進退に因りて以て其の変を観、然る後に其の備え無きを攻め、其の不意に出づるを言う。此れ兵家の勝ち、伝うべからざるなり〕。
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『長短経』懼戒〔議に曰く、昔、蒯通は韓信に説き、閻忠は皇甫嵩に説き、馮衍は廉丹に説く。此の三人は皆従わず、甘んじて危亡に就くは、何ぞや。対えて曰く、范曄曰く「夫れ事苦しければ、則ち全きを矜るの情薄く、生厚ければ、故に安存の慮り深し。高きに登りて懼れざる者は、胥靡の人なり。坐して堂に垂せざるは、千金の子なり」と。此に由りて之を観れば、夫れ人情は、楽しければ則ち安きを思い、苦しければ則ち変を図る。必然の勢いなり。今、三子は或いは南面して孤と称し、或いは位は将相を極む。但だ自ら安んずるの術を図り、非常の功を慮る無し。勢い疑わるれば則ち釁生じ、力侔しければ則ち乱起こるを知らず。勢い已に疑われたるに、勢いを辞して以て嫌を去ること能わず。力已に侔しきに、力を損じて以て福を招くこと能わず。遅迴猶予して、危亡に至る。其の禍は全きを矜りて反りて其の敗を貽すに在る者なり。語に曰く「心死すれば則ち生き、生を幸えば則ち死す」と。数公は生を幸うと謂うべきなり。〕
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『長短経』懼戒熙先重ねて曰く「昔、毛玠は節を竭くすも、魏武に容れられず。張温は議を畢くすも、孫権に逐わる。彼の二人の者は、国の信臣、時の俊乂なり。豈に疵瑕暴露し、言行玷欠して、然る後に禍に至らんや。皆廉直勁正を以て、邪枉に困しみ、高行妙節は、久しく容れらるるを得ず。丈人の本朝に於けるは、二主より深からず。人間の雅誉は、両臣に過ぐる有り。讒夫の側目すること、日を為すこと久し。肩を比べて競逐す、庸ぞ遂ぐべけんや。殷鉄の一言にして、劉班首を碎き、彭城斥逐せられて、徐童疑わる。彼豈に父母の讐、万代の怨みならんや。戈を尋ね棘を抜くは、幼きより然り。争う所は栄名・勢利・先後の間に過ぎざるのみ。其の末に及ぶや、唯だ之を陥るることの深からず、之を発くことの早からざるを恐る。戮は百口に及ぶも、猶お厭かずと曰う。是れ豈に書籍の遠事にして、寒心悼慄すべき者ならんや。今、大勲を建て賢哲を奉じ、難きを易きに図り、易きを以て危うきを安んず。之を太山に比して累卵を去る。何ぞ苦しみて就かざる。
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『長短経』懼戒且つ聖明を崇樹するは、至徳なり。身宰相を享くるは、大業なり。命を幽居に授くるは、鴻名なり。跡を伊・周に比ぶるは、美号なり。若し夫れ至徳・大業・鴻名・美号は、三王五伯の軍を覆し将を殺して之を争う所以なり。一朝にして包括す。亦た可ならずや。又た此より邇き者有り、愚は則ち未だ敢えて道わず」と。曄曰く「何の謂いぞ」と。熙先曰く「丈人は奕葉清華にして、帝室に連姻するを得ず。国家は禽獣を作して相処らしむ。丈人曽て未だ之を恥じざるか」と。曄は門に内行無し。故に熙先此を以て激と為す。曄黙然たり。是より情好遂に密にして、陰謀搆う。熙先専ら謀主と為る。事露れて皆誅に伏す。