長短経 / 察相
𤣥角主將軍之相〔横次、位在第五。無角者、不可求官。凡欲知得官在任久不、先視年上發色長短、發色長一分主一年、二分二年、以此消息、則可知也。有惡色間之者、主其年有事。白色遭喪、赤色彈奪、黑色病、青色獄厄。天中有氣横干者、無官也。然官色既久、忽有死厄色間之者、代人死也。若年上有好色、如連山出雲雨、處處皆通、則無處不達。髪際有黄氣、為己得官、若黑氣、未也。有黄氣如衣帶發額上、遷官益祿也。〕
新字:玄角主将軍之相〔横次、位在第五。無角者、不可求官。凡欲知得官在任久不、先視年上発色長短、発色長一分主一年、二分二年、以此消息、則可知也。有悪色間之者、主其年有事。白色遭喪、赤色弾奪、黒色病、青色獄厄。天中有気横干者、無官也。然官色既久、忽有死厄色間之者、代人死也。若年上有好色、如連山出雲雨、処処皆通、則無処不達。髪際有黄気、為己得官、若黒気、未也。有黄気如衣帯発額上、遷官益禄也。〕
書き下し
玄角は将軍の相を主る。〔横に次ぐ、位は第五に在り。角無き者は、官を求む可からず。凡そ官を得て任に在ること久しきや否やを知らんと欲せば、先ず年上の色を発すること長短を視る。色を発すること長きこと一分なれば一年を主り、二分なれば二年、此を以て消息すれば、則ち知る可きなり。悪色の之を間つ者有れば、其の年に事有るを主る。白色は喪に遭い、赤色は弾奪せられ、黒色は病、青色は獄厄なり。天中に気の横に干す者有れば、官無きなり。然れども官色既に久しくして、忽ち死厄の色の之を間つ者有れば、人に代わりて死するなり。若し年上に好色有りて、連山の雲雨を出だすが如く、処処皆な通ずれば、則ち達せざる処無し。髪際に黄気有るは、己れ官を得たりと為す。若し黒気ならば、未だしなり。黄気有りて衣帯の如く額上に発すれば、官に遷り禄を益すなり。〕
現代語訳
玄角は将軍の相をつかさどる。〔横に次ぐ、第五の位置である。角がない者は、官職を求めてはならない。およそ官職を得て在任が長いか短いかを知ろうとするなら、まず年上(鼻筋の中ほど)に現れる色の長短を見る。色が一分の長さであれば一年、二分であれば二年、これで推し量れば分かる。悪い色がそれを断ち切っていれば、その年に事件があることを示す。白い色は喪に遭い、赤い色は弾劾されて奪われ、黒い色は病、青い色は獄の災いである。天中に気が横切っていれば、官職はない。しかし官の色が長く続いていたのに、突然死の災いの色がそれを断ち切れば、人の身代わりに死ぬ。もし年上に良い色があって、連なる山が雲雨を生じるように、あちこちがみな通じていれば、行き届かないところはない。髪の生え際に黄色い気があれば、すでに官職を得ている。もし黒い気であれば、まだである。黄色い気が帯のように額の上に現れれば、官職が上がり俸禄が増える。〕
解説
この章句が説くこと
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