長短経 / 詭順
〔豹勃常惡田單、曰、“安平君、小人也。”安平君聞之、故為酒而召豹勃、曰、“單何以得罪於先生?故常見譽於朝。”豹勃曰、“跖之犬吠堯、非貴跖而賤堯也、犬固吠非其人也。且今使公孫子賢、而徐子不肖、然而使公孫子與徐子鬬、徐子之狗固攫公孫子之腓而噬之。若乃得去不肖者而為賢賢者、狗豈恃攫其腓而噬之哉。”安平君曰、“敬聞命矣。”任之于王。後田單得免九子之讒、豹勃之力也。〕
新字:〔豹勃常悪田単、曰、“安平君、小人也。”安平君聞之、故為酒而召豹勃、曰、“単何以得罪於先生?故常見誉於朝。”豹勃曰、“跖之犬吠堯、非貴跖而賤堯也、犬固吠非其人也。且今使公孫子賢、而徐子不肖、然而使公孫子与徐子闘、徐子之狗固攫公孫子之腓而噬之。若乃得去不肖者而為賢賢者、狗豈恃攫其腓而噬之哉。”安平君曰、“敬聞命矣。”任之于王。後田単得免九子之讒、豹勃之力也。〕
書き下し
〔貂勃、常に田単を悪みて曰く「安平君は小人なり」と。安平君之を聞き、故に酒を為りて貂勃を召して曰く「単何を以て罪を先生に得たる。故に常に朝に誉めらる」と。貂勃曰く「跖の犬の堯に吠ゆるは、跖を貴びて堯を賤しむに非ざるなり。犬は固より其の人に非ざるに吠ゆるなり。且つ今、公孫子をして賢ならしめ、而して徐子は不肖ならしめ、然り而して公孫子をして徐子と闘わしめば、徐子の狗は固より公孫子の腓を攫みて之を噬まん。若し乃ち不肖なる者を去りて賢者の為にすることを得ば、狗豈に其の腓を攫みて之を噬むを恃まんや」と。安平君曰く「敬んで命を聞く」と。之を王に任ず。後に田単の九子の讒を免るるを得しは、貂勃の力なり。〕
現代語訳
〔貂勃はいつも田単を悪く言い、「安平君は小人だ」と言っていた。田単はこれを聞くと、わざわざ酒宴を開いて貂勃を招き、「私が先生にどんな罪を得たのでしょうか。いつも朝廷で私をほめてくださっているそうで」と皮肉を言った。貂勃は言った。「盗跖の犬が堯に吠えるのは、盗跖を尊び堯を卑しむからではありません。犬はもともと自分の主人でない者に吠えるのです。しかも、もし公孫子が賢く徐子が愚かで、公孫子と徐子を戦わせたら、徐子の犬は当然公孫子のすねに噛みつくでしょう。もし愚かな主人を離れて賢い人のために働けるなら、犬がどうしてすねに噛みつくことを頼みにしましょう」。田単は「謹んで教えを承ります」と言い、貂勃を王に推薦した。後に田単が九人の寵臣の讒言を免れたのは、貂勃の力による。〕
解説
この章句が説くこと
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戦国策・貂勃常惡田單貂勃常に田単を悪みて曰く、「安平君は、小人なり」と。安平君之を聞き、故に酒を為して貂勃を召して曰く、「単何を以て先生に罪を得たれば、故に常に朝に譽めらるるか」と。貂勃曰く、「跖の狗堯に吠ゆるは、跖を貴びて堯を賤しむに非ざるなり、狗固より其の主に非ざるに吠ゆるなり。且つ今公孫子をして賢ならしめ、徐子をして不肖ならしむ。然れども公孫子をして徐子と鬬わしめば、徐子の狗、猶お時に公孫子の腓を攫みて之を噬まん。若し乃ち不肖なる者を去ることを得て、賢者の狗と為らば、豈に特だ其の腓を攫みて之を噬むのみならんや」と。安平君曰く、「敬んで命を聞けり」と。明日、之を王に任ず。王に幸臣九人の属有り、安平君を傷わんと欲し、相い与に王に語りて曰く、「燕の齊を伐つの時、楚王将軍をして万人を将いて齊を佐けしむ。今国已に定まり、社稷已に安んず、何ぞ使者をして楚王に謝せしめざる」と。王曰く、「左右孰れか可ならん」と。九人の属曰く、「貂勃可なり」と。貂勃楚に使いす。楚王受けて之を觴し、数日反らず。九人の属相い与に王に語りて曰く、「夫れ一人の身にして、万乗を牽き留むるは、豈に勢に拠るを以てせざらんや。且つ安平君の王に与するや、君臣礼無く、上下別無し。且つ其の志不善を為さんと欲す。内は百姓を牧し、其の心を循撫し、窮を振い不足を補い、徳を民に布く。外は戎翟・天下の賢士を懐け、陰に諸侯の雄俊豪英を結ぶ。其の志為す有らんと欲するなり。願わくは王の之を察せよ」と。異日、王曰く、「相単を召し来らしめよ」と。田単冠を免れ跣足肉袒して進み、退きて死罪を請う。五日にして、王曰く、「子寡人に罪無し、子は子の臣たるの礼を為せ、吾は吾が王たるの礼を為すのみ」と。貂勃楚より来り、王諸を前に賜い、酒酣にして、王曰く、「相田単を召し来らしめよ」と。貂勃席を避けて稽首して曰く、「王悪んぞ此の亡国の言を得るか。王上なる者は周文王と孰れぞ」と。王曰く、「吾若かざるなり」と。貂勃曰く、「然り、臣固より王の若かざるを知る。下なる者は齊桓公と孰れぞ」と。王曰く、「吾若かざるなり」と。貂勃曰く、「然り、臣固より王の若かざるを知る。然らば則ち周文王は呂尚を得て以て太公と為し、齊桓公は管夷吾を得て以て仲父と為す。今王は安平君を得て独り『単』と曰う。且つ天地の闢けてより、民人の治まるより、人臣為るの功なる者、誰か安平君より厚き者有らんや。而るに王『単、単』と曰う。悪んぞ此の亡国の言を得るか。且つ王先王の社稷を守る能わず、燕人師を興して齊墟を襲い、王走りて城陽の山中に之く。安平君惴惴たるの即墨、三里の城、五里の郭、敝卒七千を以て、其の司馬を禽にし、千里の齊を反す、安平君の功なり。是の時に当りてや、城陽を闔じて王とせば、城陽・天下之を止むる莫し。然れども之を道に計り、之を義に帰し、以て不可と為し、故に桟道木閣を為して、王と后とを城陽山中に迎う、王乃ち反るを得て、百姓に臨む。今国已に定まり、民已に安んずるに、王乃ち『単』と曰う。且つ嬰児の計すら此れを為さず。王亟かに此の九子なる者を殺して以て安平君に謝せずんば、然らずんば国危うし」と。王乃ち九子を殺して其の家を逐い、安平君に益封するに夜邑万戸を以てす。
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『長短経』詭順高祖帰り、乃ち斉に詔して通を捕えしむ。通至る。上曰く「若、淮陰侯に反せんことを教えしか」と。曰く「然り。臣固より之に教う。豎子、臣の策を用いず。故に今自ら夷らるること此くの如し。如し彼の豎子、臣の計を用いば、陛下安んぞ得て之を夷らげんや」と。上怒りて曰く「之を烹よ」と。通曰く「嗟乎、冤なるかな烹らるること」と。上曰く「若、韓信に反せんことを教う。何ぞ冤ならん」と。対えて曰く「秦の綱弛みて維絶え、山東大いに擾れ、異姓並び起こり、英俊烏のごとく聚まる。秦其の鹿を失い、天下共に之を逐う。是に於て高材疾足の者先ず得たり。跖の犬の堯に吠ゆるは、堯仁ならざるに非ず、狗は固より其の主に非ざるに吠ゆ。是の時に当たりて、臣独り韓信を知り、陛下を知るに非ざるなり。且つ天下に精を鋭くし鋒を持して、陛下の為す所を為さんと欲する者甚だ衆し。固より力能わざるのみ。又た尽く烹るべけんや」と。高帝曰く「之を置け」と。乃ち通の罪を釈すなり。
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『長短経』詭順趙子曰く、夫れ雲雷世に屯し、瞻烏未だ定まらず。此の時に当たりてや、君に在りて君と為り、質を委ねて人に事え、各々其の主の為に職を用うるのみ。故に高祖は季布の罪を賞し、晋文は寺人の過ちを嘉す。前に窘むと雖も之を怨むこと莫し。大体に通ずと謂うべし。昔、晋の文公初めて出亡するや、献公、寺人披をして之を蒲城に攻めしむ。披、其の袪を斬る。反国するに及び、郤・呂は偪られんことを畏れ、将に公宮を焚きて之を殺さんとす。寺人披見えんことを請う。公、之を譲めしめて曰く「蒲城の役、君は一宿を命ずるに、汝即ち至る。其の後、余狄君に従いて以て渭浜に田す。汝は恵公の為に来たりて、余を殺さんことを求む。汝に三宿を命ずるに、汝中宿にして至る。君命有りと雖も、何ぞ其れ速やかなるや」と。対えて曰く「臣謂えらく、君の入るや、其れ之を知らん、と。若し猶お未だしならば、又た将に難に及ばんとす。君命に二無きは、古の制なり。君の悪を除くは、惟だ力を是れ視る。蒲人・狄人は、余何か有らん。今、君即位す。其れ蒲・狄無からんや。斉の桓公は射鉤を置きて管仲をして相たらしむ。君若し之を易えば、何ぞ命を辱めん。行く者甚だ衆し。豈に惟だ刑臣のみならんや」と〔国君にして匹夫を讐とすれば、懼るる者甚だ衆きなり〕。公之に見え、難を以て告ぐ。呂・郤の難を免るるを得たり。
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『長短経』是非翼奉曰く「治道の要は、下の邪正を知るに在り。人、誠に正に向かえば、愚と雖も用を為す。若し其れ邪を懐かば、智も益ます害を為す」と。〔非に曰く〕夫れ人主は己を愛せざる莫きなり。己を知る莫きは、愛するに足らざるなり。故に桓子曰く「猛獣を捕らうる者は、美人をして手を挙げしめず。巨魚を釣る者は、稚子をして軽がるしく預らしめず。親しからざるに非ず、力の堪えざればなり。奈何ぞ万乗の主にして、人を択ばざらんや。故に曰く、夫れ犬の猛たる、非有れば則ち鳴吠して、夙夜に遑あらず。此れ自ら効すの至りなり。昔、宋人に酒を沽る者有り。酒酸りて售れざるは何ぞや。猛犬有るの故を以てなり。夫れ犬は其の主を愛するを知りて、而も其の主の為に酒の酸るの患いを慮る能わざるは、智足らざればなり」と。〔是に曰く〕
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『長短経』詭順昔、鄭の祭仲は宋人に許して公子突を立て、以て其の君を活かす。義に非ざるなり。春秋之を記す。其の生を以て死に易え、存を以て亡に易うるが為なり。嚮使し済北情を見わし、実に従わざるの端を示さば、則ち呉は必ず先ず斉を歴て、済北に軍し、燕趙を招きて之を総べん。此くの如くんば、則ち山東の従は結びて隙無からん。今、呉楚の王は諸侯の兵を練り、白徒の衆を駆りて、西のかた天子と衡を争う。済北独り節を底めて堅守して下らず、呉をして与を失いて助け無く、跬歩して独り進み、瓦解土崩し、破敗して救われざらしむる者は、未だ必ずしも済北の力に非ずんばあらず。夫れ区区たる済北を以て、諸侯と強を争うは、是れ羔犢の弱きを以て、虎狼の敵を捍ぐなり。職を守りて撓まざるは、誠一と謂うべし。功義此くの如くにして、尚お上に疑われ、肩を脅し首を低れ、足を累ね襟を撫して、自ら前まざりしを悔ゆるの心有らしむるは〔呉と西せざりしを悔ゆるなり〕、社稷の利に非ざるなり。臣恐らくは藩臣の職を守る者之を疑わん。
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『長短経』君徳〔議に曰く、子、衛の霊公の無道を言う。康子曰く「夫れ是くの如くんば、奚為れぞ喪びざる」と。孔子曰く「仲叔圉は賓客を治め、祝駝は宗廟を治め、王孫賈は軍旅を治む。夫れ是くの如くんば、奚ぞ其れ喪びん」と。此れ有徳に委任するの美を言うなり。田単、斉に相たり。淄水を過ぐ。老人有り、淄を渉りて寒ゆ。田単、裘を解きて之に衣す。襄王之を悪みて曰く「田単の厚施は、将に以て我が国を取らんと欲するか。早く図らずんば、恐らくは之に後れん」と。此れ有徳に委任するの悪を言うなり。故に斉侯、陳氏の厚徳を悪む。晏子、斉侯に謂いて曰く「礼に在り、家施は国に及ばず、大夫は公利を収めず。以て之を止む可し」と。斉の襄、田単の厚施を悪む。貫珠なる者、襄王に謂いて曰く「王は単の善を嘉するに如かず。令して曰く『寡人は人の飢うるを憂うるなり。単、収めて之を食わしむ。寡人は人の寒ゆるを憂うるなり。単、裘を解きて之に衣す。寡人の意に称う』と。単に是の善有りて王之を嘉す。単の善を善しとするは、亦た王の善なり」と。