長短経 / 適変
何以知其然耶?桓子曰、「三皇以道治、五帝用徳化、三王由仁義、五伯用權智。」〔説曰、無制令刑罰、謂之皇、有制令無刑罰、謂之帝、賞善誅惡、朝諸侯朝事、謂之王、興兵衆、立約盟、以信義矯代、謂之伯。文子曰、「帝者、貴其徳也、王者、尚其義也、覇者、廹於理也。道狹然後任智、徳薄然後任刑、明淺然後任察。」議曰、夫建國立功、其政不同也如此。〕五帝以上乆逺、經傳無事、唯王霸二盛之美、以定古今之理焉。〔秦漢居帝王之位、所行者霸事也。故以為徳之次。〕
新字:何以知其然耶?桓子曰、「三皇以道治、五帝用徳化、三王由仁義、五伯用権智。」〔説曰、無制令刑罰、謂之皇、有制令無刑罰、謂之帝、賞善誅悪、朝諸侯朝事、謂之王、興兵衆、立約盟、以信義矯代、謂之伯。文子曰、「帝者、貴其徳也、王者、尚其義也、覇者、迫於理也。道狭然後任智、徳薄然後任刑、明浅然後任察。」議曰、夫建国立功、其政不同也如此。〕五帝以上久遠、経伝無事、唯王覇二盛之美、以定古今之理焉。〔秦漢居帝王之位、所行者覇事也。故以為徳之次。〕
書き下し
何を以て其の然るを知るや。桓子曰く「三皇は道を以て治め、五帝は徳を用いて化し、三王は仁義に由り、五伯は権智を用う」と。〈説に曰く、制令刑罰無き、之を皇と謂う。制令有りて刑罰無き、之を帝と謂う。善に賞し悪を誅し、諸侯を朝せしめ事を朝む、之を王と謂う。兵衆を興し、約盟を立て、信義を以て代を矯むる、之を伯と謂う。文子曰く「帝なる者は、其の徳を貴ぶなり。王なる者は、其の義を尚ぶなり。覇なる者は、理に廹るなり。道狭くして然る後に智に任じ、徳薄くして然る後に刑に任じ、明浅くして然る後に察に任ず」と。議に曰く、夫れ国を建て功を立つるに、其の政の同じからざること此くの如し。〉五帝以上は久遠にして、経伝に事無し。唯だ王・霸二盛の美のみ、以て古今の理を定むるなり。〈秦漢は帝王の位に居りて、行う所の者は霸事なり。故に以て徳の次と為す。〉
現代語訳
なぜそう言えるのか。桓譚はこう言った。「三皇は道によって治め、五帝は徳によって化し、三王は仁義により、五覇は権謀と智略を用いた」。〈説明していう。制令も刑罰もないのを皇という。制令はあるが刑罰がないのを帝という。善に賞し悪を誅し、諸侯を参朝させて政務を執るのを王という。軍を起こし盟約を立て、信義によって世を正すのを伯という。文子はこう言った。「帝はその徳を貴び、王はその義を尚び、覇は道理に迫られて動く。道が狭くなってはじめて智に頼り、徳が薄くなってはじめて刑に頼り、明が浅くなってはじめて詮索に頼る」。議していう。国を建て功を立てるにあたって、その政治はこれほど違う。〉五帝より前は遠すぎて、経書にも伝にも記事がない。ただ王道と覇道という二つの盛期の見事さだけが、古今の筋道を定める材料になる。〈秦と漢は帝王の位にありながら、行ったのは覇者の事業だった。だから徳の次に置く。〉
解説

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