長短経 / 適変
〔議云昔管子謂齊桓公曰、「君欲霸舉大事、則必從其本矣。夫齊國百姓、公之本也。人甚憂饑而稅斂重、人甚懼死而刑政險、人甚傷勞而上舉事不時。公輕其稅、緩其刑、舉事以時、則人安矣。」此謂修本而霸王也。〕曽子曰、「何謂『三至』?」
新字:〔議云昔管子謂斉桓公曰、「君欲覇舉大事、則必従其本矣。夫斉国百姓、公之本也。人甚憂饑而税斂重、人甚懼死而刑政険、人甚傷労而上舉事不時。公軽其税、緩其刑、舉事以時、則人安矣。」此謂修本而覇王也。〕曽子曰、「何謂『三至』?」
書き下し
〈議して云う、昔、管子、斉の桓公に謂いて曰く「君、覇して大事を挙げんと欲せば、則ち必ず其の本に従え。夫れ斉国の百姓は、公の本なり。人は甚だ饑を憂うるに税斂重く、人は甚だ死を懼るるに刑政険しく、人は甚だ労を傷むに上の事を挙ぐること時ならず。公、其の税を軽くし、其の刑を緩くし、事を挙ぐるに時を以てせば、則ち人安んぜん」と。此れ本を修めて覇王たるを謂うなり。〉曽子曰く「何をか三至と謂う」と。
現代語訳
〈議していう。昔、管仲が斉の桓公に言った。「君が覇者となって大事を起こそうとするなら、必ずその根本から始めなさい。斉国の民が、あなたの根本です。民はひどく飢えを心配しているのに税は重く、民はひどく死を恐れているのに刑罰は厳しく、民はひどく労役に苦しんでいるのに上は時期をわきまえずに事業を起こす。あなたが税を軽くし、刑を緩め、事業を時期に合わせて起こせば、民は安んじます」。これが根本を修めて覇王となるということである。〉曽子は言った。「三至とは何でしょうか」。
解説
管仲の助言は、民が何を恐れているかと、上が何をしているかを三組並べるだけです。飢えを恐れているのに税が重い。死を恐れているのに刑が厳しい。労役に苦しんでいるのに事業の時期が構わない。恐れと施策がことごとく逆を向いている。覇業の前に、この三つのずれを直せ、と。改革の順序を、相手の恐れから逆算して決めている点が実務的です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
適変管仲桓公本税刑
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