長短経 / 君徳
〔議曰、桓帝問侍中爰延曰、「朕何如主也?」對曰、「漢中主。」「何者?」「尚書令陳蕃任事則理、中常侍黄門豫政則亂。是以知陛下可與為善、可與為非。此中主之謂也。」虞南曰、「夫岷江初發、其源可以濫觴。及其逺也、方舟而後能濟。元帝之時、而任𢎞恭、石顯、暨于桓、靈、加以單超、張讓、既斁彝倫、遂傾宗國。其所由來者漸矣。故曰、『熒熒不滅、炎炎奈何?』言慎其始也。嗚呼!百代之後、其鑒之哉!」古語曰、「寒者易為衣、饑者易為食。」晁錯曰、「夫國富强而隣國亂者、帝王之資。」由此言之、是知昏亂之君、將以開聖徳矣。〕
新字:〔議曰、桓帝問侍中爰延曰、「朕何如主也?」対曰、「漢中主。」「何者?」「尚書令陳蕃任事則理、中常侍黄門予政則乱。是以知陛下可与為善、可与為非。此中主之謂也。」虞南曰、「夫岷江初発、其源可以濫觴。及其遠也、方舟而後能済。元帝之時、而任弘恭、石顕、暨于桓、霊、加以単超、張譲、既斁彝倫、遂傾宗国。其所由来者漸矣。故曰、『熒熒不滅、炎炎奈何?』言慎其始也。嗚呼!百代之後、其鑒之哉!」古語曰、「寒者易為衣、饑者易為食。」晁錯曰、「夫国富強而隣国乱者、帝王之資。」由此言之、是知昏乱之君、将以開聖徳矣。〕
書き下し
〔議に曰く、桓帝、侍中爰延に問いて曰く「朕は何如なる主ぞ」と。対えて曰く「漢の中主なり」と。「何となれば」と。「尚書令陳蕃、事に任ずれば則ち理まり、中常侍黄門、政に豫れば則ち乱る。是を以て陛下は与に善を為す可く、与に非を為す可きを知る。此れ中主の謂いなり」と。虞南曰く「夫れ岷江の初めて発するや、其の源は以て觴を濫す可し。其の遠きに及びてや、方舟して而る後に能く済る。元帝の時、弘恭・石顕に任ず。桓・霊に暨びては、加うるに単超・張譲を以てす。既に彝倫を斁り、遂に宗国を傾く。其の由りて来たる所の者、漸なり。故に曰く『熒熒として滅せずんば、炎炎を奈何せん』と。其の始めを慎むを言うなり。嗚呼、百代の後、其れ之を鑑みんかな」と。古語に曰く「寒き者は衣を為し易く、飢うる者は食を為し易し」と。晁錯曰く「夫れ国富強にして隣国乱るるは、帝王の資なり」と。此に由りて之を言えば、是れ昏乱の君は、将に以て聖徳を開かんとするを知るなり。〕
現代語訳
〔議していう。桓帝が侍中の爰延に尋ねた。「私はどのような君主か」。答えて言った。「漢の中程度の君主です」。「なぜか」。「尚書令の陳蕃が事にあたれば治まり、中常侍や黄門の宦官が政治に関われば乱れます。だから陛下は善をともにすることもでき、非をともにすることもできると分かります。これが中程度の君主ということです」。虞世南は言った。「岷江が流れ出したばかりのところでは、その源は杯を浮かべられるほどである。遠くまで流れれば、舟を並べてようやく渡れる。元帝の時に弘恭と石顕を任用した。桓帝・霊帝に至っては、さらに単超と張譲が加わった。人の道を破り、ついに国を傾けた。その由来するところは、じわじわと進んだのである。だからこう言う。『ちらちらと燃える火を消さなければ、燃えさかる炎をどうするのか』。始めを慎めという意味である。ああ、百代の後も、これを鑑としてほしい」。古い言葉にこうある。「寒い者には服を作ってやりやすく、飢えた者には食を作ってやりやすい」。晁錯はこう言った。「国が富み強く、隣国が乱れているのは、帝王にとっての資本である」。ここから言えば、暗く乱れた君主は、次の聖なる徳を開くことになると分かる。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』君徳後漢の衰乱は、桓・霊の二主に由る。凶徳は誰をか則ち甚だしと為さん。虞南曰く「桓帝は赫然として奮怒し、梁冀を誅滅す。剛断の節有り。然れども閹人命を擅にし、党錮の事起こる。乱の階に非ずや、桓帝に始まる。古語に曰く『天下嗷嗷たるは、新主の資なり』と。霊帝は疲民の後を承け、善政を為し易し。黎庶は耳を傾け、咸な中興を冀う。而るに帝は彼の覆車を襲い、毒は前輩に踰え、宗社を傾覆す。職として帝の由なり。天年にして世を厭う、幸多しと為すなり」と。
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『長短経』君徳或るひと曰く「偽楚の桓玄は奇才遠略有り。而るに遂に滅亡に至るは何ぞや」と。〔桓玄、字は敬道、父は温。大司馬玄は術芸を博綜し、雄豪を以て自ら処る。晋の安帝、以て丞相と為し、楚王に封ず。遂に位を禅る。〕虞南曰く「夫れ人君の量は、必ず己を虚しくして物に応じ、覆載は天地に同じく、信誓は暄寒に擬す。然る後に万姓楽推して厭わざるなり。彼の桓玄なる者は、蓋し浮狡の小智有りて、含弘の大徳無し。晋末の衰乱に値い、威は下に逮ばず。故に桓玄は其の爪牙を肆にするを得たり。徼倖の余を以て、神武の運に逢う。夷滅に至るは、固より其の宜なり」と。
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『長短経』君徳或るひと曰く「漢の元帝は才芸温雅なり。其れ守文の良主か」と。虞南曰く「夫れ人君の才は、文徳武功に在るのみ。文は則ち天を経し地を緯し、詞令典策たり。武は則ち暴を禁じ兵を戢め、人を安んじ衆を和す。此れ南面の宏図なり。瑟を鼓し簫を吹き、声を和し曲を度るに至りては、斯れ乃ち伶官の職なり。豈に天子の務むる所ならんや」と。
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『長短経』君徳宋の孝武・明帝、二人孰れか賢なるか。虞南曰く「二帝は残忍の性、体を異にして心を同じくす。賢良を誅戮し、枝葉を割剪す。内に平・勃の相無く、外に晋・鄭の親を闕く。斯の大宝を以て、之を昏稚に委ぬ。故に斉民をして釁に乗じて天下を宰制せしむ。未だ歳稔を踰えずして、遂に亀玉を移す。緘縢は固しと雖も、適ま大盗の資と為る。百慮同じく失す、長歎を為す可し。鼎社の傾淪は、不幸に非ざるなり」と。〔孝武、名は駿、文帝の第三子、江州刺史と為る。弟の劭、既に帝を弑逆す。顔竣と江州に於て義を起こし劭を征して之を平らぐ。明帝、名は彧、文帝の第十八子。即位して、尽く孝武の諸子を殺し、務めて彫飾を為す。天下騒然たり。崩じて、子の昱立つ。無道にして、蕭道成之を殺す。〕
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『長短経』君徳後斉の文宣帝、狂悖の跡は、桀・紂の為さざる所なり。而るに国富み人豊かにして、乱亡に至らず。何ぞや。〔宣帝、名は洋、後斉の高歓の第二子、後魏の禅を受くるなり。〕虞南曰く「昔、斉の桓は奢淫にして礼を亡くし、人倫の棄つる所なり。六翮を仲父に仮りて、遂に諸侯に伯たり。宣武帝は鄙穢忍虐、古今に比無し。万幾を遵彦に委ねて宗国を保全す。其の任用して才を得るを以て、社稷の猶お存する所以なり」と。〔議に曰く、殷に三仁有り、太康に五弟有り、亦た皆な賢者なり。而るに国は墟と為る。何ぞや。鬻子曰く「君子の人と謀るや、能く必ず道を用うるも、而れども必ずしも受けらるるを見る能わず。能く必ず忠なるも、而れども必ずしも入れらるるを見る能わず。能く必ず信なるも、而れども必ずしも信ぜらるるを見る能わず。故に虞公は宮之奇の謀を用いずして晋に賊わる。仇由は赤章の言を聴かずして智氏に亡ぶ。天下の国、忠臣謀士有らざるは莫し。但だ用うると用いざるとに在るのみ。苟くも用いずと為さば、反って君に誤りを貽す。賢人君子、安んぞ能く敗乱を救わんや」と。〕
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『長短経』君徳又た曰く「桓敬道は文武の奇才有り、志は余恥を雪がんとす。動乱の中に校し、奄かに天下を有ちて刃に血ぬらず。既にして六合に嘯命し、規模進取す。未だ年を踰ゆるに及ばずして、坐して社稷を盗む。自ら以て名は漢祖より高く、事は魏晋より捷しとす。思うに其の侈を専らにし、以て己を恭しくするを冀う。王謐・桓謙の若きを以て人望に鎮領せしめ、王綏・謝混を袖にして後進を以て相い光輝す。群従の兄弟、方州連郡たり。民は其の速きに駭きて其の強きに服し、異望無かりき。