長短経 / 七雄略
六國既合縱、蘓秦為縱約長。北報趙、趙肅侯封秦為武安君。乃投縱約書於秦、秦不敢闚兵函谷十五年。後張儀為秦連横〔秦欲攻魏、先敗韓、申差軍斬首八萬、諸侯震恐。而儀乃來説魏王。〕説魏王曰〔秦孝公時、公孫鞅請伐魏、曰、「魏居嶺阨之間、西都安邑、與秦界河、而獨擅山東之利。利則西侵秦、病即東收地。今以君賢聖、國賴以盛、宜及此時伐魏。魏不支秦、必東徙。東徙則據山河之固、東向以制諸侯。此帝業也。」自是之後、魏果去安邑、徙都大梁。、〕
新字:六国既合縦、蘓秦為縦約長。北報趙、趙粛侯封秦為武安君。乃投縦約書於秦、秦不敢闚兵函谷十五年。後張儀為秦連横〔秦欲攻魏、先敗韓、申差軍斬首八万、諸侯震恐。而儀乃来説魏王。〕説魏王曰〔秦孝公時、公孫鞅請伐魏、曰、「魏居嶺阨之間、西都安邑、与秦界河、而独擅山東之利。利則西侵秦、病即東収地。今以君賢聖、国頼以盛、宜及此時伐魏。魏不支秦、必東徙。東徙則拠山河之固、東向以制諸侯。此帝業也。」自是之後、魏果去安邑、徙都大梁。、〕
書き下し
六国既に縦を合し、蘇秦、縦約の長と為る。北のかた趙に報ず。趙の粛侯、秦を封じて武安君と為す。乃ち縦約の書を秦に投ず。秦、敢えて兵を函谷に闚わざること十五年。後、張儀、秦の為に連衡す。〈秦、魏を攻めんと欲し、先ず韓を敗り、申差の軍、首を斬ること八万。諸侯震恐す。而して儀、乃ち来たりて魏王に説く。〉魏王に説きて曰く。〈秦の孝公の時、公孫鞅、魏を伐たんことを請いて曰く「魏は嶺阨の間に居り、西のかた安邑に都し、秦と河を界とす。而して独り山東の利を擅にす。利あれば則ち西のかた秦を侵し、病めば即ち東のかた地を収む。今、君の賢聖を以て、国は頼りて以て盛んなり。宜しく此の時に及びて魏を伐つべし。魏、秦を支えずんば、必ず東のかた徙らん。東のかた徙らば則ち山河の固きに拠り、東に向かいて以て諸侯を制せん。此れ帝業なり」と。是れ自り後、魏、果たして安邑を去り、都を大梁に徙す。〉
現代語訳
六国は縦の連合を成し、蘇秦が同盟の長となった。北へ戻って趙に報告した。趙の粛侯は蘇秦を武安君に封じた。そして同盟の文書を秦へ投げ込んだ。秦は十五年のあいだ、函谷関から兵をうかがわなかった。後に張儀が秦のために連衡を進めた。〈秦は魏を攻めようとして、まず韓を破り、申差の軍の首を八万斬った。諸侯は震え上がった。そこで張儀が来て魏王に説いた。〉魏王に説いた。〈秦の孝公のとき、公孫鞅が魏を伐つよう願って言った。「魏は険しい山あいにあり、西は安邑に都し、秦と黄河を境としている。そして山東の利を独占している。有利なら西へ秦を侵し、苦しくなれば東で土地を収める。いま君の賢明さで国は盛んです。この時に乗じて魏を伐つべきです。魏が秦を支えられなければ、必ず東へ移る。東へ移れば山河の堅さに拠り、東に向かって諸侯を制する。これが帝業です」。これ以後、魏は果たして安邑を去り、都を大梁へ移した。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』七雄略凡そ大王の縦を為すと信ずる所の者は、蘇秦を恃めばなり。蘇秦は諸侯を熒惑し、是を以て非と為し、非を以て是と為し、斉国を反覆せんと欲して、自ら車裂を市に令す。夫れ天下の一混斉すべからざることも亦た明らかなり。今、楚は秦と昆弟の国たり。而して韓・梁は東藩の臣と称し、斉は魚塩の地を献ず。此れ趙の右臂を断つなり。夫れ右臂を断ちて人と闘い、其の党を失いて孤居し、危うきこと無からんことを求め欲するも、豈に得べけんや。今、秦は三軍を発す。其の一軍は午道を塞ぎ、斉に告げて師を興さしめ、河を渡りて邯鄲の東に軍せしむ。一軍は成皋に軍し、韓・梁の軍を河外に駆る。一軍は澠池に軍し、四国に約して趙を攻めしむ。趙服すれば、必ず其の地を四分せん。是の故に、敢えて意を匿し情を隠さず、先ず以て左右に聞す。臣竊かに大王の為に計るに、秦王と澠池に遇い、面相見て口相約するに如くは莫し。請う、兵を案じて攻むること無からん。願わくは大王の計を定めよ」と。趙の粛侯、之を許す。
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『長短経』七雄略大王、嘗て呉人と戦い、五たび戦いて三たび勝つも、陣卒尽きたり。偏えに新城を守るも、存する民は苦しめり。臣聞く『功大なる者は危うき易く、人弊るる者は上を怨む』と。夫れ危うき易きの功を守りて、強秦の心に逆らう。臣、竊かに大王の為に之を危ぶむ。凡そ天下にして約を信じ従親する者は、蘇秦、封ぜられて武安君と為ればなり。蘇秦、燕に相たり、即ち陰かに燕王と斉を伐たんことを謀り、斉を破りて其の地を分かたんとす。乃ち佯りて罪有りと為し、出走して斉に入る。斉王、因りて受けて之に相たらしむ。居ること二年にして覚る。斉王大いに怒り、蘇秦を市に車裂す。夫れ一詐偽の蘇秦を以て、天下を経営し、諸侯を混一せんと欲するも、其の成る可からざるも亦た明らかなり。今、秦と楚と境を接し界を壌す。固より形親の国なり。大王、誠に能く臣に聴かば、臣請う、秦の太子をして質を楚に入れしめ、楚の太子をして質を秦に入れしめん。請う、秦の女を以て大王の箕帚の妾と為し、万室の都を効して、以て湯沐の邑と為し、長く昆弟の国と為り、身を終うるまで相い攻むる無からん。臣、以為えらく計、此より便なるは無し」と。楚王、乃ち秦と従親す。
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『長短経』七雄略大王、秦に事えずんば、秦、兵を下して河外を攻め、巻・衍・酸棗に拠り、衛を刧かして陽を取らん。晋なれば則ち趙は南せず。趙、南せずんば則ち梁は北せず。梁、北せずんば則ち縦道絶ゆ。縦道絶ゆれば則ち大王の国、危うき無からんと欲するも、得可からざるなり。秦、韓を折きて梁を攻め、韓は秦に怯え、秦・韓一と為らば、梁の亡ぶること、立ちどころに須つ可し。此れ臣の大王の為に患うる所なり。大王の為に計るに、秦に事うるに如くは莫し。秦に事えば則ち楚・韓は必ず敢えて動かず。楚・韓の患い無くんば、則ち大王、枕を高くして臥し、国、必ず憂い無からん。
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『長短経』七雄略張儀、趙王に説きて曰く、敝邑の秦王、臣をして愚を大王に効さしむ。大王、天下を収めて以て秦を擯け、秦兵敢えて函谷関を出でず。是れ大王の威、山東に行わるるなり。敝邑恐懼懾伏し、甲を繕い兵を厲ぎ、唯だ大王の意ありて之を督過せんことを恐る。今、大王の力を以て、巴蜀を挙げ、漢中を并せ、両周を包み、九鼎を遷し、白馬の津を守る。秦は僻遠なりと雖も、然れども心忿り怒りを含むの日久し。今、敝甲凋兵有りて、澠池に軍す。願わくは河を渡り、番吾に拠り、邯鄲の下に会戦せん。甲子を以て合戦し、以て殷の事を正さん。故に臣をして先ず以て左右に聞せしむ。
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『長短経』七雄略臣聞く、明主は疑いを絶ち讒を去り、流言の迹を屏け、朋党の門を塞ぐ。故に尊主強兵の臣、忠を前に陳ぶるを得たり。故に竊かに大王の為に計るに、韓・魏・斉・楚・燕を一にして従親し、以て秦に叛くに若くは莫し。天下の将相を合わせ、洹水の上に会し、質を通じ、白馬を刑して盟わん。約して曰く、秦、楚を攻めば、斉・魏は各々鋭師を出して以て之を佐け、韓は其の糧道を絶ち、趙は河・漳を渉り、燕は常山の北を守る。秦、韓・魏を攻めば、則ち楚は其の後を絶ち、斉は鋭師を出して以て之を佐け、趙は河・漳を渉り、燕は雲中を守る。秦、斉を攻めば、則ち楚は其の後を絶ち、韓は成皋を守り、魏は其の糧道を塞ぎ、趙は河・漳・博関を渉り、燕は鋭師を出して以て之を佐く。秦、燕を攻めば、則ち趙は常山を守り、楚は武関に軍し、斉は渤海を渉り〈今の滄州なり。〉韓・魏は皆な鋭師を出して以て之を佐く。秦、趙を攻めば、則ち韓は宜陽に軍し、楚は武関に軍し、魏は河外に軍し、斉は清河を渉り〈今の貝州なり。〉燕は鋭師を出して以て之を佐く。諸侯に約の如くせざる者有らば、五国の兵を以て共に之を伐たん。六国、従親して以て秦を賓とせば、則ち秦甲は必ず敢えて函谷に出でて、以て山東を害せざらん。此くの如くんば則ち覇王の業成らん」と。趙王曰く「善し」と。
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史記 張儀列伝秦復た魏を攻めんと欲す。張儀魏王に説きて曰く、「且つ夫れ諸侯の従を為すは、将に以て社稷を安んじ主を尊び兵を彊くし名を顕はさんとするなり。今従なる者は天下を一にし、約して昆弟と為り、白馬を刑して以て洹水の上に盟ひ、以て相ひ堅くす。而れども親昆弟の父母を同じくするすら、尚ほ銭財を争ふ有り、而して詐偽反覆せる蘇秦の余謀を恃まんと欲するは、其の成る可からざるも亦た明らかなり。大王秦に事へずんば、秦兵を下して河外を攻め、卷・衍・酸棗に拠らば、則ち趙南せず、趙南せずして梁北せず、梁北せざれば則ち従の道絶ゆ、従の道絶ゆれば則ち大王の国危からんと欲する毋きも得可からざるなり。大王の為に計るに、秦に事ふるに如くは莫し。秦に事へば則ち楚韓必ず敢て動かず、楚韓の患ひ無くば、則ち大王高枕して臥し、国必ず憂ひ無からん。臣之を聞く、積羽舟を沈め、群軽軸を折り、衆口金を鑠かし、積毀骨を銷す、と。故に願はくは大王審らかに計議を定めよ」と。哀王是に於いて乃ち従約に倍きて儀に因りて成を秦に請ふ。