長短経 / 是非
漢文帝登虎圏美嗇夫口辯、拜為上林令。張釋之前曰、“陛下以絳侯周勃、何如人也?”上曰、“長者。”又問曰、“東陽侯張相如、何如人也?”上復曰、“長者。”釋之曰、“此兩人言事、曽不能出口、豈效此嗇夫喋喋利口㨗給哉?且秦以任刀筆之吏、爭以亟疾苛察相髙。然其弊、徒文具耳!亡惻隠之實、以故不聞其過、陵遲至于二世、天下土崩。今陛下以嗇夫口辯而超遷之、臣恐天下随風而靡、爭口辯、無其實。且下之化上、疾於影響、舉錯之間、不可不審。”帝乃止。
新字:漢文帝登虎圏美嗇夫口弁、拝為上林令。張釈之前曰、“陛下以絳侯周勃、何如人也?”上曰、“長者。”又問曰、“東陽侯張相如、何如人也?”上復曰、“長者。”釈之曰、“此両人言事、曽不能出口、豈効此嗇夫喋喋利口捷給哉?且秦以任刀筆之吏、争以亟疾苛察相高。然其弊、徒文具耳!亡惻隠之実、以故不聞其過、陵遅至于二世、天下土崩。今陛下以嗇夫口弁而超遷之、臣恐天下随風而靡、争口弁、無其実。且下之化上、疾於影響、舉錯之間、不可不審。”帝乃止。
書き下し
漢の文帝、虎圏に登り、嗇夫の口弁を美として、拝して上林令と為さんとす。張釈之、前みて曰く「陛下は絳侯周勃を以て何如なる人と為すや」と。上曰く「長者なり」と。又た問いて曰く「東陽侯張相如は何如なる人ぞ」と。上復た曰く「長者なり」と。釈之曰く「此の両人は事を言うに、曾て口より出す能わず。豈に此の嗇夫の喋喋として利口捷給なるに効わんや。且つ秦は刀筆の吏に任ずるを以て、争いて亟疾苛察を以て相い高しとす。然れども其の弊は、徒だ文具のみ。惻隠の実亡し。故を以て其の過ちを聞かず。陵遅して二世に至り、天下土崩す。今、陛下、嗇夫の口弁を以て之を超遷せば、臣恐る、天下、風に随いて靡き、口弁を争いて、其の実無からんことを。且つ下の上に化するは、影響より疾し。挙錯の間、審らかにせざる可からず」と。帝乃ち止む。
現代語訳
漢の文帝が虎の檻に登り、飼育係の口達者ぶりを褒めて、上林令に任じようとした。張釈之が進み出て言った。「陛下は絳侯周勃をどのような人とお考えですか」。文帝は「長者だ」と言った。また尋ねた。「東陽侯張相如はどのような人ですか」。文帝はまた「長者だ」と言った。張釈之は言った。「この二人は事を述べるのに、言葉が口から出てこないほどです。どうしてこの飼育係のべらべらと弁が立つのに及びましょう。しかも秦は文書係の役人に任せたために、競って迅速さと細かい詮索を高しとしました。しかしその弊害は、ただ書式が整っただけでした。あわれみの実質がない。だから自分の過ちを聞くことがなかった。次第に衰えて二世に至り、天下は土崩しました。いま陛下が飼育係の口達者を理由に飛び級で登用されれば、天下は風になびくように従って、口達者を競い、実質がなくなるのではないかと恐れます。しかも下が上に感化されるのは、影や響きより速い。人を挙げ置く間は、よく見きわめねばなりません」。文帝はそこでやめた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・周官明王の政を立つるや、其の官のみならず、其の人のみす。
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『墨子』魯問子墨子曰く、曹公子を出だして宋に於いてす。三年にして反る。子墨子を睹て曰く、「始め吾れ子の門に游びしとき、短褐の衣、藿羮も朝に之を得れば則ち夕に得ず、鬼神を祭祀す。而して夫子の政を以て家、始めより厚し。家、厚きこと有りて謹んで鬼神を祭祀す。然り而して人徒、多く死し、六畜、蕃らず、身は病に湛む。吾れ未だ夫子の道の用う可きを知らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ鬼神の人に欲する所の者は多し。人の髙爵禄に處らば則ち以て賢に讓り、財多ければ則ち以て貧に分かつを欲す。夫れ鬼神、豈に唯だ擢季拑肺を之れ欲せんや。今、子は髙爵禄に處りて以て賢に讓らず、一の不祥なり。財多くして以て貧に分かたず、二の不祥なり。今、子、鬼神に事うるは、唯だ祭るのみ。而して曰く、『病、何自り至れるか』と。是れ猶お百門にして一門を閉じて、『盜、何從り入らん』と曰うがごときなり。是くの若くして福を求むるは、怪の鬼に於いて有らんや。豈に可ならんや」と。
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論語・顔淵篇子張問う、「士は何如なれば斯れ之を達と謂う可き。」子曰く、「何ぞや、爾の所謂達なる者は。」子張対えて曰く、「邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。」子曰く、「是れ聞なり、達に非ざるなり。夫れ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮りて以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。夫れ聞なる者は、色に仁を取りて行いは違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。」
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『塩鉄論』孝養篇丞相史曰く、八十を耋と曰い、七十を耄と曰う。耄は、食は肉に非ざれば飽かず、衣は帛に非ざれば暖かならず。故に孝子は甘毳を曰いて以て口を養い、輕暖もて以て體を養う。曾子の曾晳を養うや、必ず酒肉有り。端絻無ければ、公西赤と雖も以て容を為す能わず。肴膳無ければ、閔・曾と雖も以て養を卒うる能わず。禮は虛しく加えず、故に必ず其の實有りて然る後に之を文る。其の禮余り有りて養足らざるよりは、寧ろ養余り有りて禮足らざれ。夫れ爵を洗いて以て水を盛り、升降して糲を進む、禮備わると雖も、然れども其の貴ぶ者に非ざるなり。
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論語・公冶長篇子、公冶長を謂いて曰く、『妻すべし。縲絏(るいせつ)の中に在りと雖も、其の罪に非ず。』と。其の子を以て之に妻す。
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『塩鉄論』刺議篇文學曰く、正を以て人を輔くるを忠と謂い、邪を以て人を導くを佞と謂う。夫れ過ちを怫り善を納るる者は、君の忠臣、大夫の直士なり。孔子曰く、『大夫に爭臣三人有れば、無道なりと雖も、其の家を失わず』と。今子は宰士の列に處り、忠正の心無く、枉がれるを正す能わず、邪を匡す能わず、流れに順いて以て身を容れ、風に從いて以て上を說ばす。上の言う所は則ち茍くも聽き、上の行う所は則ち曲げて從う、影の形に隨い、響の聲に於けるが若し、終に是非する所無し。儒衣を衣、儒冠を冠して、而も其の道を行う能わざるは、其の儒に非ざるなり。譬えば土龍の若し、文章首目具わりて而も龍に非ざるなり。葶歷は菜に似て味殊なり、玉石相い似て類を異にす。子は孔氏の經を執り道を守るの儒に非ず、乃ち公卿面從の儒なり、吾が徒に非ざるなり。冉有季氏の宰と為りて之を附益す、孔子曰く、『小子鼓を鳴らして之を攻めて可なり』と。故に桀を輔くる者は智と為さず、桀の為に斂むる者は仁と為さず。/丞相史默然として對えず。