長短経 / 覇図
今大王不與萬全之漢、而自託於危亡之楚、臣竊為大王惑之。臣非以淮南之兵足以亡楚也。大王發兵而倍楚、項王必留齊數月、漢之取天下、可以萬全。臣請以大王提劍而歸漢、漢必裂土地而分大王、又況淮南?必大王有也。故使臣進愚計、願大王留意也。」淮南王曰、「請奉命。」隂許叛楚與漢、未敢泄。楚使者在淮南、方急貴英布發兵、舍傳舍、隨何直入、坐楚使者上坐、曰、「九江王已歸漢、楚何以得令發兵?」布愕然。楚使者起。何因說布曰、「事已搆矣。獨殺楚使者、無使歸、而疾走漢并力。」乃如漢使者教。於是殺楚使者、因起兵攻楚也。〕
新字:今大王不与万全之漢、而自託於危亡之楚、臣窃為大王惑之。臣非以淮南之兵足以亡楚也。大王発兵而倍楚、項王必留斉数月、漢之取天下、可以万全。臣請以大王提剣而帰漢、漢必裂土地而分大王、又況淮南?必大王有也。故使臣進愚計、願大王留意也。」淮南王曰、「請奉命。」陰許叛楚与漢、未敢泄。楚使者在淮南、方急貴英布発兵、舎伝舎、随何直入、坐楚使者上坐、曰、「九江王已帰漢、楚何以得令発兵?」布愕然。楚使者起。何因説布曰、「事已搆矣。独殺楚使者、無使帰、而疾走漢并力。」乃如漢使者教。於是殺楚使者、因起兵攻楚也。〕
書き下し
今、大王、万全の漢に与せずして、自ら危亡の楚に託す。臣、竊かに大王の為に之を惑う。臣は淮南の兵を以て楚を亡ぼすに足ると為すに非ざるなり。大王、兵を発して楚に倍けば、項王必ず斉に留まること数月ならん。漢の天下を取ること、以て万全なる可し。臣請う、大王、剣を提げて漢に帰せば、漢は必ず土地を裂きて大王に分かたん。又た況んや淮南をや。必ず大王之を有せん。故に臣をして愚計を進めしむ。願わくは大王、意を留めよ」と。淮南王曰く「請う、命を奉ぜん」と。陰かに楚に叛きて漢に与せんことを許すも、未だ敢えて泄らさず。楚の使者、淮南に在り、方に急に英布に兵を発せしめんとし、伝舎に舎る。随何、直ちに入り、楚の使者の上座に坐して曰く「九江王已に漢に帰す。楚、何を以て兵を発せしむるを得んや」と。布、愕然たり。楚の使者起つ。何、因りて布に説きて曰く「事已に構われり。独り楚の使者を殺し、帰らしむる無くして、疾く漢に走りて力を并せよ」と。乃ち漢の使者の教えの如くす。是に於て楚の使者を殺し、因りて兵を起こして楚を攻むるなり。〉
現代語訳
いま大王は万全の漢に味方せず、自ら危うい楚に身を託している。私はひそかに大王のために迷います。淮南の兵で楚を滅ぼせると言っているのではありません。大王が兵を出して楚に背けば、項王は必ず斉に数か月留まる。漢の天下取りは万全になります。大王が剣を提げて漢に帰すれば、漢は必ず土地を裂いて大王に分けるでしょう。まして淮南は必ず大王のものです。だから漢王は私に愚かな策を進めさせたのです。どうかお心に留めてください」。淮南王は「謹んで命を奉じます」と言った。ひそかに楚に背いて漢につくと承知したが、まだ漏らさなかった。楚の使者が淮南にいて、いま急いで英布に出兵させようと宿舎にいた。随何はまっすぐ入って、楚の使者の上座に座って言った。「九江王はすでに漢に帰した。楚がどうして出兵させられようか」。黥布は呆然とした。楚の使者は立ち上がった。随何はそこで黥布に説いた。「事はもう仕組まれてしまった。楚の使者を殺して帰らせず、急いで漢へ走って力を合わせるしかない」。そこで漢の使者の教えのとおりにした。楚の使者を殺し、そのまま兵を起こして楚を攻めた。〉
解説

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『長短経』覇図〈随何、淮南王に説きて曰く「漢王、使臣をして敬みて書を大王の御者に進めしむ。竊かに惟うに、大王と楚と何ぞ親しきや」と。淮南王曰く「寡人、北面して之に臣事す」と。随何曰く「大王と項王と倶に列して諸侯と為る。北面して之に臣事するは、必ず楚を以て強しと為し、以て国を託す可ければなり。項王、斉を伐つや、身自ら版築を負い、以て士卒の先と為る。大王、宜しく悉く淮南の衆を発し、身自ら之を将いて、以て楚軍の前鋒と為るべし。今、乃ち四千人を発して以て楚を助く。北面して人に臣事する者、固より是くの若きか。夫れ漢王、彭城に戦うや、項王は未だ斉を出でざるなり。大王、宜しく淮南の兵を掃きて淮を渡り、日夜彭城の下に会戦すべし。大王、万人の衆を撫して、淮を渡る者無く、垂拱して孰れか勝つかを観る。夫れ国を人に託する者、固より是くの若きか。大王、空名を提げて以て楚に向かい、而も厚く自ら託せんと欲す。臣、竊かに大王の為に取らざるなり。
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史記 黥布列伝隨何直ちに入り、楚の使者の上坐に坐して曰く、「九江王已に漢に帰す、楚何を以て兵を発するを得んや」と。布愕然たり。楚の使者起つ。何因りて布に説きて曰く、「事已に搆(な)る、遂に楚の使者を殺し、帰らしむる無く、疾く漢に走りて力を并すべし」と。布曰く、「使者の教への如く、因りて起兵して之を撃たん」と。是に於いて使者を殺し、因りて起兵して楚を攻む。
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史記 黥布列伝夫れ北面して人に臣事する者は、固より是の若きか。夫れ漢王彭城に戦ひ、項王未だ斉を出でざるに、大王宜しく淮南の兵を騒して淮を渡り、日夜彭城の下に会戦すべし。大王万人の衆を撫しながら、一人の淮を渡る者無く、垂拱して其の孰れか勝つを観る。夫れ国を人に託する者は、固より是の若きか。大王空名を提げて以て楚に郷ひ、而して厚く自ら託せんと欲す。臣竊かに大王の為に取らざるなり。然り而して大王楚に背かざる者は、漢を以て弱と為せばなり。夫れ楚の兵彊しと雖も、天下之に負はすに不義の名を以てす。其の盟約に背きて義帝を殺すを以てなり。然り而して楚王戦勝を恃みて自ら彊しとす。漢王は諸侯を収め、還りて成皋・滎陽を守り、蜀・漢の粟を下し、溝を深くし壁を塁ね、卒を分かちて徼を守り塞に乗る。楚人兵を還すに、間つるに梁の地を以てし、深く敵国に入ること八九百里、戦はんと欲すれば則ち得ず、城を攻むれば則ち力能はず、老弱糧を千里の外に転ず。楚の兵滎陽・成皋に至るも、漢堅く守りて動かず、進めば則ち攻むるを得ず、退けば則ち解くるを得ず。故に曰く、楚の兵は恃むに足らざるなりと。楚をして漢に勝たしむれば、則ち諸侯自ら危懼して相救はん。夫れ楚の彊は、適々以て天下の兵を致すに足るのみ。故に楚の漢に如かざること、其の勢見易し。今大王万全の漢に与せずして自ら危亡の楚に託す。臣竊かに大王の為に之を惑ふ。臣は淮南の兵を以て楚を亡ぼすに足ると為すに非ざるなり。夫れ大王兵を発して楚に倍かば、項王必ず留まらん。留まること数月、漢の天下を取ること以て万全なるべし。臣請ふ大王と剣を提げて漢に帰せん。漢王必ず地を裂きて大王を封ぜん。又況んや淮南をや。淮南は必ず大王の有たん。故に漢王敬んで使臣をして愚計を進めしむ。願はくは大王の意を留めよ」と。淮南王曰く、「請ふ命を奉ぜん」と。陰かに楚に畔きて漢に与するを許すも、未だ敢て泄らさず。楚の使者在り、方に急に英布に兵を発することを責め、伝舎に舎る。
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史記 黥布列伝其の八月、布将をして義帝を撃たしめ、追ひて之を郴県に殺す。漢の二年、斉王田栄楚に畔く。項王往きて斉を撃ち、兵を九江に徴す。九江王布病と称して往かず、将をして数千人を将ゐて行かしむ。漢の楚を彭城に敗るや、布又病と称して楚を佐けず。項王此に由りて布を怨み、数々使者をして誚譲して布を召さしむ。布愈々恐れ、敢て往かず。項王方に北は斉・趙を憂へ、西は漢を患ふ。与する所の者は独り九江王のみ。又布の材を多とし、親しみて之を用ひんと欲す。故を以て未だ撃たず。漢の三年、漢王楚を撃ち、大いに彭城に戦ひて、利あらず。梁の地に出でて、虞に至り、左右に謂ひて曰く、「彼等の如き者は、与に天下の事を計るに足る無し」と。謁者隨何進みて曰く、「陛下の謂ふ所を審らかにせず」と。漢王曰く、「孰か能く我が為に淮南に使ひし、之をして兵を発して楚に倍かしめ、項王を斉に留むること数月ならしめん。我の天下を取ること以て百全なるべし」と。隨何曰く、「臣請ふ之に使ひせん」と。乃ち二十人と倶に、淮南に使ひす。至る。太宰に因りて之を主とせしむるも、三日見ゆるを得ず。隨何因りて太宰に説きて曰く、「王の何に見えざるは、必ず楚を以て彊と為し、漢を以て弱と為すならん。此れ臣の使ひを為す所以なり。何をして見ゆるを得しめ、之を言ひて是ならば、是れ大王の聞かんと欲する所なり。之を言ひて非ならば、何等二十人をして斧質に淮南の市に伏せしめ、以て王の漢に倍きて楚に与するを明らかにせよ」と。太宰乃ち之を王に言ふ。王之に見ゆ。隨何曰く、「漢王臣をして敬んで書を大王の御者に進めしむ。竊かに大王の楚と何ぞ親しきを怪しむ」と。淮南王曰く、「寡人北郷して之に臣事す」と。隨何曰く、「大王と項王と倶に列して諸侯と為る。北郷して之に臣事するは、必ず楚を以て彊と為し、以て国を託すべしとすればなり。項王斉を伐つに、身づから板築を負ひ、以て士卒の先と為る。大王宜しく淮南の衆を悉くし、身づから自ら之に将として、楚軍の前鋒と為るべし。今乃ち四千人を発して以て楚を助く。
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史記 黥布列伝楚、項声・竜且をして淮南を攻めしめ、項王留まりて下邑を攻む。数月、竜且淮南を撃ち、布の軍を破る。布兵を引きて漢に走らんと欲するも、楚王の之を殺さんことを恐る。故に間行して何と倶に漢に帰す。淮南王至る。上方に床に踞して洗ひ、布を召して入り見えしむ。布大いに怒り、来たりしを悔い、自殺せんと欲す。出でて舎に就く。帳御飲食従官漢王の居の如し。布又大いに喜び望みに過ぐ。是に於て乃ち人をして九江に入らしむ。楚已に項伯をして九江の兵を収めしめ、尽く布の妻子を殺す。布の使者頗る故人幸臣を得、衆数千人を将ゐて漢に帰す。漢益々布に兵を分かちて与に倶に北し、兵を収めて成皋に至る。四年七月、布を立てて淮南王と為し、与に項籍を撃つ。漢の五年、布人をして九江に入らしめ、数県を得。六年、布劉賈と九江に入り、大司馬周殷を誘ふ。周殷楚に反き、遂に九江の兵を挙げて漢と楚を撃ち、之を垓下に破る。項籍死し、天下定まる。上置酒す。上隨何の功を折き、何を謂ひて腐儒と為し、天下を為むるに安んぞ腐儒を用ひんと。隨何跪きて曰く、「夫れ陛下兵を引きて彭城を攻むるに、楚王未だ斉を去らず。陛下歩卒五万人、騎五千を発して、能く以て淮南を取らんか」と。上曰く、「能はず」と。隨何曰く、「陛下何と二十人とをして淮南に使ひせしめ、至りて陛下の意の如くならしむ。是れ何の功は歩卒五万人騎五千より賢れるなり。然り而して陛下何を謂ひて腐儒と為し、天下を為むるに安んぞ腐儒を用ひんとするは、何ぞや」と。上曰く、「吾方に子の功を図らんとす」と。乃ち隨何を以て護軍中尉と為す。布遂に符を剖きて淮南王と為り、六に都す。九江・廬江・衡山・豫章の郡皆布に属す。七年、陳に朝す。八年、雒陽に朝す。九年、長安に朝す。
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『長短経』覇図然れども大王の楚に背かざる者は、漢を以て弱しと為せばなり。夫れ楚兵は強しと雖も、天下は之に不義の名を負わす。其の約に背きて義帝を殺せるを以てなり。然り而して楚王は将に戦勝を以て自ら強しとせんとす。漢王は諸侯を収め、還りて滎陽を守り、蜀漢の粟を下し、溝を深くし塁を高くし、卒を分かちて徼を守り塞に乗る。楚人、兵を還すに、間つるに梁地を以てし、敵国に深入すること八九百里。戦わんと欲すれば則ち得ず、城を攻むれば則ち力能わず、老弱もて糧を千里の外に転ず。楚兵、滎陽・城皋に至るも、漢は堅守して動かず。進めば則ち攻むるを得ず、退けば則ち解くを得ず。故に曰く、楚は恃むに足らざるなり、と。楚をして勝たしむれば、則ち諸侯自ら危懼して相い救わん。夫れ楚の強きは、適だ以て天下の兵を致すに足るのみ。故に楚の漢に如かざるは、其の勢い見易きなり。