長短経 / 正論
夫上古明王舉樂者、非以娱心快意、所以動盪血脉流通精神、而和正心也。故宫動脾而和正聖商動肺而和正義、角動肝而和正仁、徵動心而和正智羽動腎而和正禮故聞宫音者、使人温舒而廣大、聞商音者、使人方正而好義、聞角音者、使人惻隠而愛人、聞徵音者、使人樂善而好施、聞羽音者、使人整齊而好禮。夫禮由外入、樂自内出。故聖王使人耳聞〈雅〉、〈頌〉之音、目視威儀之禮、足行恭敬之容、口言仁義之道。故君子終日言而邪僻無由入也。”
新字:夫上古明王舉楽者、非以娱心快意、所以動盪血脉流通精神、而和正心也。故宮動脾而和正聖商動肺而和正義、角動肝而和正仁、徴動心而和正智羽動腎而和正礼故聞宮音者、使人温舒而広大、聞商音者、使人方正而好義、聞角音者、使人惻隠而愛人、聞徴音者、使人楽善而好施、聞羽音者、使人整斉而好礼。夫礼由外入、楽自内出。故聖王使人耳聞〈雅〉、〈頌〉之音、目視威儀之礼、足行恭敬之容、口言仁義之道。故君子終日言而邪僻無由入也。”
書き下し
夫れ上古の明王の楽を挙ぐるは、心を娯しませ意を快くする為に非ず。血脈を動盪し精神を流通して、心を和正する所以なり。故に宮は脾を動かして聖を和正し、商は肺を動かして義を和正し、角は肝を動かして仁を和正し、徴は心を動かして智を和正し、羽は腎を動かして礼を和正す。故に宮音を聞く者は、人をして温舒にして広大ならしめ、商音を聞く者は、人をして方正にして義を好ましめ、角音を聞く者は、人をして惻隠にして人を愛せしめ、徴音を聞く者は、人をして善を楽しみ施を好ましめ、羽音を聞く者は、人をして整斉にして礼を好ましむ。夫れ礼は外由り入り、楽は内自り出づ。故に聖王は人をして耳に雅・頌の音を聞かしめ、目に威儀の礼を視しめ、足に恭敬の容を行わしめ、口に仁義の道を言わしむ。故に君子は終日言いて邪僻の由りて入る無きなり」と。
現代語訳
上古の明君が音楽を用いたのは、心を楽しませ気分をよくするためではない。血の流れを動かし精神を通わせて、心を和らげ正すためである。だから宮は脾を動かして聖を和らげ正し、商は肺を動かして義を、角は肝を動かして仁を、徴は心を動かして智を、羽は腎を動かして礼を和らげ正す。だから宮の音を聞く者は温かくゆったりして大らかになり、商の音を聞く者は端正で義を好み、角の音を聞く者は憐れみ深く人を愛し、徴の音を聞く者は善を楽しみ施しを好み、羽の音を聞く者は整って礼を好む。礼は外から入り、楽は内から出る。だから聖王は人の耳に雅と頌の音を聞かせ、目に威儀ある礼を見せ、足に恭しい振る舞いをさせ、口に仁義の道を語らせた。だから君子は一日中しゃべっていても邪なものが入り込む隙がない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孔子家語・六本孔子曰わく、「体無きの礼は、敬なり。服無きの喪は、哀なり。声無きの楽は、歓なり。言わずして信ぜられ、動かずして威あり、施さずして仁あり。夫れ鐘の音を誌るせ。怒りて之れを撃てば則ち武、憂いて之れを撃てば則ち悲し。其の志変ずれば、声も亦た之れに随う。故に誌誠の之れを感ぜしむるや、金石に通ず。而るを況んや人においてをや。」
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『長短経』反経礼なる者は、謹を行う所以にして、敬も亦た惰慢を生ずる所以なり。〔礼に反するなり。議に曰く、漢の時、礼を定めんと欲す。文帝曰く「礼を繁くし貌を飾るは、礼に益無し。躬ら化するを可とするのみ」と。故に之を罷む。郭嘉、曹公に謂いて曰く「紹は礼繁く儀多し。公は体して自然に任す。此れ道に勝る者なり」と。夫れ節、苦しくして貞なり難し。故に惰慢を生ずるなり。〕楽なる者は、情志を和する所以にして、亦た淫放を生ずる所以なり。〔楽に反するなり。楽書に曰く「鄭衛の音は乱代の音なり。桑間濮上の音は亡国の音なり」と。故に厳安曰く「夫れ佳麗珍怪は、固より耳目に順う。故に養は失して泰に、楽は失して淫に、礼は失して彩に、教は失して偽になる。偽彩淫泰は、人を範するの道に非ざるなり」と。〕
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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『呻吟語』内篇・談道・樂の傳はらざるを恨む千載にして下、最も恨む可き者は樂の傳はる無きなり。士大夫視て迂闊無用の物と為して、其の身心性命に切なる有るを知らず。
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論語・八佾篇三家者、雍を以て徹す。子曰く、『相維(かな)い辟公、天子穆穆(ぼくぼく)。何をか三家の堂に取りてか。』
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『呻吟語』内篇・問學・樂を學べば便ち是れ助長の心王心齋は每に樂を以て學と為す。此等の學問は是れ苦を會せざるの甜瓜なり。入門就ち樂を學ぶ。其の樂しみや、逍遙自在なるのみ。深造真積、憂勤惕勵の中より得來たるに自らず。孔子の樂しみて以て憂ひを忘るるは、發憤して食を忘るるに由る。顏子の其の樂しみを改めざるは、博約克復に由る。其の樂しみや、優游自得して、歡欣に意無くして自ら擾れず、曠達に心無くして自ら悶えず。若し樂しむ可き有りと覺えば、還た是れ乍得の心なり。樂を學ぶに意を著くれば、便ち是れ助長の心なり。