長短経 / 覇図
戊申、帝發自襄陽〔帝留弟守襄陽城、謂曰、「當置心襄陽人腹中、推誠信之、勿疑也、天下一家、乃當相見也。」〕郢魯諸城及諸將並降〔初、東皆遣吴子陽十三軍救郢州、進據巴口。帝命王茂潜師襲加湖、子陽竄走、衆盡溺於江。郢魯二城相視奪氣。先是東昏使陳伯之鎮江州、為子陽聲援。帝謂諸將曰、「夫征討未必須實力、聽威聲耳。今加湖之敗、誰不讋服?」陳武牙、即伯之之子、狼狽奔歸。彼人之情當兇懼、我謂九江可傳檄而定也。因命搜所獲俘囚、得伯之憧主蘇隆之、厚加賞賜、使致命焉、魯山、城郢並降。伯之及子武牙見帝至、並束甲請罪。〕
新字:戊申、帝発自襄陽〔帝留弟守襄陽城、謂曰、「当置心襄陽人腹中、推誠信之、勿疑也、天下一家、乃当相見也。」〕郢魯諸城及諸将並降〔初、東皆遣呉子陽十三軍救郢州、進拠巴口。帝命王茂潜師襲加湖、子陽竄走、衆尽溺於江。郢魯二城相視奪気。先是東昏使陳伯之鎮江州、為子陽声援。帝謂諸将曰、「夫征討未必須実力、聴威声耳。今加湖之敗、誰不讋服?」陳武牙、即伯之之子、狼狽奔帰。彼人之情当兇懼、我謂九江可伝檄而定也。因命捜所獲俘囚、得伯之憧主蘇隆之、厚加賞賜、使致命焉、魯山、城郢並降。伯之及子武牙見帝至、並束甲請罪。〕
書き下し
戊申、帝、襄陽より発す。〈帝、弟を留めて襄陽城を守らしめ、謂いて曰く「当に心を襄陽の人の腹中に置き、誠を推して之を信ずべし。疑う勿かれ。天下一家にして、乃ち当に相い見ゆべし」と。〉郢・魯の諸城及び諸将、並びに降る。〈初め、東昏、皆な呉子陽の十三軍を遣わして郢州を救わしめ、進みて巴口に拠る。帝、王茂に命じて師を潜めて加湖を襲わしむ。子陽竄走し、衆は尽く江に溺る。郢・魯の二城、相い視て気を奪わる。先に是れ、東昏、陳伯之をして江州に鎮せしめ、子陽の声援と為す。帝、諸将に謂いて曰く「夫れ征討は必ずしも実力を須いず、威声を聴くのみ。今、加湖の敗、誰か讋服せざらん。陳武牙は即ち伯之の子なり。狼狽して奔り帰る。彼の人の情、当に凶懼すべし。我謂えらく九江は檄を伝えて定む可きなり」と。因りて命じて獲る所の俘囚を捜し、伯之の憧主蘇隆之を得たり。厚く賞賜を加え、命を致さしむ。魯山・郢城、並びに降る。伯之及び子武牙、帝の至るを見て、並びに甲を束ねて罪を請う。〉
現代語訳
戊申、蕭衍は襄陽から出発した。〈蕭衍は弟を残して襄陽城を守らせ、言った。「心を襄陽の人々の腹の中に置き、誠を尽くして信じなさい。疑ってはいけない。天下が一つの家になって、また会おう」。〉郢と魯の諸城と諸将がみな降った。〈はじめ、東昏侯は呉子陽の十三軍を送って郢州を救わせ、進んで巴口に拠らせた。蕭衍は王茂に命じて軍をひそめて加湖を襲わせた。呉子陽は逃げ、兵はことごとく長江で溺れた。郢と魯の二城は顔を見合わせて気力を失った。これより先、東昏侯は陳伯之を江州に鎮させ、呉子陽の後詰めとしていた。蕭衍は諸将に言った。「征討には必ずしも実力が要るわけではない。威名を聞かせるだけでよい。いま加湖の敗北を聞いて、誰が恐れ入らないだろう。陳武牙は陳伯之の子だ。あわてて逃げ帰った。その人の気持ちは恐れているはずだ。九江は檄文を回すだけで定まると私は思う」。そこで捕虜を探させて、陳伯之の側近の蘇隆之を見つけた。厚く賞を与えて、伝言を届けさせた。魯山と郢城がともに降った。陳伯之とその子の武牙は、蕭衍が来るのを見て、武具を束ねて罪を請うた。〉
解説

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