長短経 / 三国権
對曰、何為其然?陸機云「《易》曰、『湯武革命、順乎天。』《𤣥》曰、『亂不極、則理不形。』言帝王之因天時不如地利。《易》曰、『王侯設險、以守其國。』言國之恃險也。又曰、『地利不如人和、在徳不在險。』言守之由人也。吴之興也、參而由焉。孫卿所謂『合其參』者、及其亡也、恃險而已。」婁敬曰、「周之衰也、分而為兩、天下莫朝、周不能制。非其徳薄也、形勢弱也。」由此觀之、國之興亡亦資險、云、非唯在徳而已矣。〕
新字:対曰、何為其然?陸機云「《易》曰、『湯武革命、順乎天。』《玄》曰、『乱不極、則理不形。』言帝王之因天時不如地利。《易》曰、『王侯設険、以守其国。』言国之恃険也。又曰、『地利不如人和、在徳不在険。』言守之由人也。呉之興也、参而由焉。孫卿所謂『合其参』者、及其亡也、恃険而已。」婁敬曰、「周之衰也、分而為両、天下莫朝、周不能制。非其徳薄也、形勢弱也。」由此観之、国之興亡亦資険、云、非唯在徳而已矣。〕
書き下し
対えて曰く、何為れぞ其れ然らん。陸機云う「易に曰く『湯・武は命を革め、天に順う』と。玄に曰く『乱極まらざれば、則ち理形れず』と。帝王の天時に因るは地利に如かざるを言う。易に曰く『王侯は険を設けて、以て其の国を守る』と。国の険を恃むを言う。又た曰く『地利は人和に如かず、徳に在りて険に在らず』と。之を守るは人に由るを言う。呉の興るや、参たび由る。孫卿の所謂其の参を合わす者なり。其の亡ぶるに及ぶや、険を恃むのみ」と。婁敬曰く「周の衰うるや、分かれて両と為り、天下朝する莫く、周は制すること能わず。其の徳の薄きに非ず、形勢弱ければなり」と。此に由りて之を観れば、国の興亡も亦た険に資る。云う、唯だ徳に在るのみに非ず、と。〕
現代語訳
答えて言う。どうしてそうだろうか。陸機は言う。「『易』に『湯王・武王は天命を改め、天に従った』とあり、『太玄』に『乱が極まらなければ、治める道理は形をとらない』とある。これは帝王が天の時に頼るのは地の利に及ばないことを言う。『易』に『王侯は険しい地を設けて国を守る』とある。これは国が険しさを頼みにすることを言う。また『地の利は人の和に及ばず、徳にあって険にあらず』とある。これは国を守るのが人によることを言う。呉が興ったときは、この三つにすべて拠った。荀子の言う『その三つを合わせる』ものである。呉が滅びたときは、ただ険しさに頼っただけだった」。婁敬は言う。「周が衰えたとき、東西二つに分かれ、天下は朝貢せず、周は抑えられなかった。それは徳が薄かったからではなく、形勢が弱かったからだ」。これで見れば、国の興亡もまた険しさに頼るのであって、徳だけにあるのではない。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』三国権故に易に曰く「王侯は険を設けて以て其の国を守る」と。古語に曰く「一里の厚くして、千里の権を動かす者は、地利なり」と。故に曹丕、江に臨み、波濤の洶涌するを見て歎じて曰く「此れ天の南北を限る所以なり」と。劉資は南鄭を称して天獄と為し、斜谷の道を五百里の石穴と為す。諸を前志に稽うるに、皆其の深阻を畏る。天時は地利に如かず、地利は人和に如かずと云うと雖も、若し中材をして之を守らしめば、期を延べ命を挺くすることは可なり。豈に区区たる艾・濬、其の長策を奮うを得んや。是に由りて之を観れば、此に在りて彼に在らず。於戯、智者の慮は必ず利害を雑う。故に尽く兵を用うるの害を知らざれば、則ち兵を用うるの利を知ること能わず。自りて来たる有り。是を以て其の要を採摭して、此の権を為す。夫れ五湖を囊括し、全蜀を席巻せば、庶わくは害中の利を知りて、以て魏家の略を明らかにせん。
-
『長短経』三国権権薨ずるに至り、皓位に即き、淫侈を窮極し、蒸人を割剥し、姦回を崇信し、諫輔を賊虐す。晋の世祖、杜預等をして呉を伐たしめ、之を滅ぼす。〔議に曰く、昔、魏の武侯、西河に浮かび、顧みて呉起に謂いて曰く「山河の固め、此れ魏国の宝なり」と。呉起対えて曰く「昔、三苗氏は洞庭を左にし彭蠡を右にするも、徳義修まらず、禹之を滅ぼす。夏桀の君は、河済を左にし太華を右にし、伊闕其の南に在り、羊腸其の北に在るも、仁政修まらず、湯之を放つ。此に由りて之を観れば、徳に在りて険に在らず」と。今、孫皓は父祖の資に席り、天阻の固め有り。西は巫峡を距て、東は滄海を負い、長江其の区宇を判ち、峻山其の封域を帯ぶ。地は方幾万里、戟を荷う者将に百万ならんとす。而して一朝甲を棄て、人に面縛す。則ち徳に在るの言は、不刊の典と為すか。
-
『長短経』三国権曩に樊・酈・絳・灌をして数十城に拠りて王たらしめば、今は以て残亡すと雖も可なり。信・越の倫をして、列して徹侯と為りて居らしめば、今に至るまで存すと雖も可なり。然らば則ち天下の大計も亦た知るべきのみ。諸侯の皆忠附せんことを欲せば、則ち長沙王の如くならしむるに若くは莫く、臣子の葅醢せられざらんことを欲せば、則ち樊・酈等の如くならしむるに若くは莫く、天下の治安を欲せば、則ち衆く諸侯を建てて其の力を少なくするに若くは莫し」と。此を以て之を観れば、専城に令する者は、皆提封千里にして、人民有り、特に百里の資に非ざるなり。官は才を以て肺附に属し、特に母親の疏きに非ざるなり。呉は江湖に拠り、蜀は天険を阻む。特に山海の利に非ざるなり。州に跨り郡を連ね、形束壌制す。特に偶国の害に非ざるなり。若し万世の変に遭い、七子の禍有らば、則ち諱むべからず。有国者、察せざるべからず。〔魏の明帝、黄権に問いて曰く「今、三国鼎峙す。何れの方か正と為す」と。対えて曰く「当に天文を以て之を正すべし。往年、熒惑、心を守りて、文帝崩ず。呉・蜀二国の主は事無し。是に由りて之を観れば、魏正統なり」と。〕
-
『長短経』三国権〔蜀・呉・魏〕論に曰く、臣聞く、昔、漢氏綱ならず、網は凶狡を漏らす。袁本初は河朔に虎視し、劉景升は荊州に鵲起し、馬超・韓遂は関西に雄拠し、呂布・陳宮は東夏に命を竊む。遼河・海岱、王公十数、皆兵百万・鉄騎千群を阻み、合従して交わりを締び、一時の傑たり。然れども曹操は天子を挟みて諸侯に令し、六七年の間、夷滅する者十に八九。唯だ呉・蜀は蕞爾たる国なり。地図を以て之を案ずるに、纔かに四州の土にして、中原の大都に如かず。人は公戦に怯え、私闘に勇み、軽く走り易く北げ、諸華の士に敵せず。長を角べ大を量り、才を比べ力を称うるに、二袁・劉・呂の盛んなるに若かず。此の二雄は新造未集の国を以て、逆上不侔の勢いに資るも、然れども能く剣を撫して顧眄し、曹氏と権を争い、馬を躍らせて指麾し、利は南海を尽くす。何ぞや。則ち地利同じからず、勢い之をして然らしむるのみ。
-
『塩鉄論』險固篇文學曰く、地利は人和に如かず、武力は文德に如かず。周の遠きを致すは、地利を以てせず、人和を以てするなり。百世奪われざるは、險を以てするに非ず、德を以てするなり。吳に三江・五湖の難有るも、越に兼ねらる。楚に汝淵・兩堂の固有るも、秦に滅ぼさる。秦に隴阺・崤塞有るも、諸侯に亡ぼさる。晉に河・華・九阿有るも、六卿に奪わる。齊に泰山・巨海有るも、田常に脅さる。桀・紂は天下を有つも、滈・亳に兼ねらる。秦王は六合を以てして陳涉に困しむ。地利固からざるに非ず、術の以て之を守る無ければなり。邇きを釋てて遠きを憂うるは、猶お吳の內に其の國を定めずして、西のかた淮水を絕ちて齊・晉と強を爭い、越其の罷るるに因りて、其の虛を擊つがごときなり。吳王をして申胥を用い、德を修め、其の眾を極むるを恃む無からしめば、則ち句踐は藩臣として海崖にあるを免れず。何の謀をか敢えて慮らんや。
-
『長短経』三国権〔議に曰く、呉・蜀は脣歯の国、蜀滅ぶれば則ち呉亡ぶと、信なるか。陸士衡曰く「夫れ蜀は蓋し藩援の与国にして、呉人の存亡に非ざるなり。何となれば、其の郊境の接するや、重山積険にして、陸に長轂の径無く、川隘く流れ迅くして、水に驚波の難有り。鋭師百万有りと雖も、啓行するは千夫に過ぎず。舳艫千里なるも、前駆は百艦に過ぎず。故に劉氏の陸公を伐つや、之を長蛇に譬う。其の勢い然るなり」と。故に黄権称して曰く「以て往くべく、以て返り難し。此れ兵の絶地なり」と。古に云う「夫れ道狭く路険しきは、譬えば両鼠の穴に闘うが如し。将の勇なる者勝つなり」と。〈〕