長短経 / 七雄略
今秦、萬乘之國也。梁亦萬乘之國也。俱據萬乘之國、交有稱王之名、覩其一戰而勝、遂欲從而帝之、則且變易諸侯之大臣。彼將奪其所不肖而與其所賢、奪其所憎而與其所愛、又將使其子女讒妄為諸侯妃姬、處梁之宫、梁王安得晏然?而將軍又何得故寵乎?」於是、新垣衍起、再拜、謝曰、「吾請出、不敢復言帝秦!」秦將聞之、為韓退軍五十里。〕蘓秦如韓〔韓之先與周同姓、事晉、得封於韓、為韓氏。後周烈王賜韓侯、得列為諸侯也。、〕
新字:今秦、万乗之国也。梁亦万乗之国也。倶拠万乗之国、交有称王之名、睹其一戦而勝、遂欲従而帝之、則且変易諸侯之大臣。彼将奪其所不肖而与其所賢、奪其所憎而与其所愛、又将使其子女讒妄為諸侯妃姫、処梁之宮、梁王安得晏然?而将軍又何得故寵乎?」於是、新垣衍起、再拝、謝曰、「吾請出、不敢復言帝秦!」秦将聞之、為韓退軍五十里。〕蘓秦如韓〔韓之先与周同姓、事晋、得封於韓、為韓氏。後周烈王賜韓侯、得列為諸侯也。、〕
書き下し
今、秦は万乗の国なり。梁も亦た万乗の国なり。倶に万乗の国に拠り、交々王と称するの名有り。其の一戦して勝つを覩て、遂に従いて之を帝とせんと欲せば、則ち且に諸侯の大臣を変易せんとす。彼、将に其の不肖とする所を奪いて其の賢とする所に与え、其の憎む所を奪いて其の愛する所に与えんとす。又た将に其の子女讒妄をして諸侯の妃姫と為し、梁の宮に処らしめん。梁王、安くんぞ晏然たるを得んや。而して将軍も又た何ぞ故の寵を得んや」と。是に於て新垣衍起ち、再拝して謝して曰く「吾、出でんことを請う。敢えて復た秦を帝とするを言わじ」と。秦将、之を聞き、韓の為に軍を退くこと五十里。〉蘇秦、韓に如く。〈韓の先は周と姓を同じくす。晋に事え、封を韓に得て、韓氏と為る。後、周の烈王、韓侯を賜い、列して諸侯と為るを得るなり。〉
現代語訳
いま秦は万乗の国である。梁も万乗の国である。ともに万乗の国に拠り、互いに王と称する名がある。一度の戦いに勝ったのを見て、そのまま帝として仰ごうとすれば、諸侯の大臣を入れ替えられることになる。彼らは自分が愚かだと思う者を退けて賢いと思う者を据え、憎む者を退けて愛する者を据えるだろう。そして自分の娘や讒言を言う女を諸侯の妃として梁の宮殿に置くだろう。梁王がどうして安らかでいられよう。そして将軍もまた、どうして今までの寵を保てましょうか」。そこで新垣衍は立ち上がり、再拝して謝して言った。「私は退出します。二度と秦を帝とすることを口にしません」。秦の将はこれを聞き、韓のために軍を五十里退いた。〉蘇秦は韓へ行った。〈韓の先祖は周と同じ姓である。晋に仕え、韓に封を得て韓氏となった。後に周の烈王が韓侯の位を与え、諸侯に列することができた。〉
解説

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