長短経 / 懼戒
有楚國者、其棄疾乎?君陳、蔡、城外屬焉〔城、方城也。時穿封戍既死、棄疾并領陳事也。〕苛慝不作、盗賊伏隠、私欲不違、民無怨心。先神命之、國人信之。芊姓有亂、必季實立、楚之常也。獲神、一也〔當璧拜也、〕有民、二也〔人信之也、〕命徳、三也〔無苛慝也、〕寵貴、四也〔貴妃子也、〕居常、五也〔棄疾、季也。〕有五利以去五難、誰能害之?子干之官、則右尹也、數其貴寵、則庶子也、以神所命、則又逺之。其貴亡矣、其寵棄矣〔父既歿矣。〕民無懐焉〔非令徳也、〕國無與焉〔無内主也、〕將何以立?」
新字:有楚国者、其棄疾乎?君陳、蔡、城外属焉〔城、方城也。時穿封戍既死、棄疾并領陳事也。〕苛慝不作、盗賊伏隠、私欲不違、民無怨心。先神命之、国人信之。芊姓有乱、必季実立、楚之常也。獲神、一也〔当璧拝也、〕有民、二也〔人信之也、〕命徳、三也〔無苛慝也、〕寵貴、四也〔貴妃子也、〕居常、五也〔棄疾、季也。〕有五利以去五難、誰能害之?子干之官、則右尹也、数其貴寵、則庶子也、以神所命、則又遠之。其貴亡矣、其寵棄矣〔父既歿矣。〕民無懐焉〔非令徳也、〕国無与焉〔無内主也、〕将何以立?」
書き下し
楚国を有つ者は、其れ棄疾か。陳・蔡に君たり、城外属す〔城は方城なり。時に穿封戍既に死し、棄疾并せて陳の事を領す〕。苛慝作らず、盗賊伏隠し、私欲違わず、民に怨心無し。先神之に命じ、国人之を信ず。芊姓に乱有れば、必ず季実に立つ。楚の常なり。神を獲たる、一なり〔璧に当たりて拝するなり〕。民有る、二なり〔人之を信ずるなり〕。命徳ある、三なり〔苛慝無きなり〕。寵貴、四なり〔貴妃の子なり〕。常に居る、五なり〔棄疾は季なり〕。五利有りて以て五難を去る。誰か能く之を害せん。子干の官は、則ち右尹なり。其の貴寵を数うれば、則ち庶子なり。神の命ずる所を以てすれば、則ち又た之に遠し。其の貴は亡び、其の寵は棄てらる〔父既に歿す〕。民懐く無く〔令徳に非ざるなり〕、国与する無し〔内主無きなり〕。将に何を以て立たん」と。
現代語訳
楚の国を持つのは棄疾でしょう。陳・蔡の君となり、方城の外の地も属しています〔方城のこと。このとき穿封戍が死に、棄疾が陳の政務もあわせて治めていた〕。むごい悪事は起こらず、盗賊は隠れ、私欲で道理に背かず、民に恨みの心がありません。先祖の神が命じ、国人が信じています。芊姓の楚で乱があれば、必ず末子が立つのが楚の常です。神に選ばれたのが一つ目〔璧の上で拝んだ〕、民がついているのが二つ目〔人が信じている〕、徳を備えているのが三つ目〔むごい悪事がない〕、寵愛され身分が高いのが四つ目〔寵愛された妃の子である〕、常道にかなうのが五つ目です〔棄疾は末子である〕。五つの利で五つの難を除いています。誰が害せましょう。子干の官職は右尹にすぎず、身分と寵愛を数えれば庶子で、神の選びからも遠い。身分の高さは失われ、寵愛も捨てられています〔父はすでに亡い〕。民は慕わず〔よい徳ではない〕、国内に味方もいない〔国内の後ろ盾がない〕。どうやって立てましょう」。
解説

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