長短経 / 懼戒
方今大王之兵衆不能十分吳楚之一、天下安寧又萬倍于秦願大王從臣之計。大王不從臣之計、今見大王事必不成而語先泄也。臣聞、微子過故國而悲、於是作〈麥秀之歌〉、是痛紂之不用王子比干也。故孟子曰、『紂貴為天子、死曾不若匹夫。』是紂先自絶于天下久矣、非死之日而天下去之也。今臣亦竊悲大王棄千乗之尊、必且賜絶命之書、為羣臣先死于東宫也。」〔王時所居〕于是王氣怨結而不揚、涕滿眶而横流、即起、厯階而去。
新字:方今大王之兵衆不能十分呉楚之一、天下安寧又万倍于秦願大王従臣之計。大王不従臣之計、今見大王事必不成而語先泄也。臣聞、微子過故国而悲、於是作〈麦秀之歌〉、是痛紂之不用王子比干也。故孟子曰、『紂貴為天子、死曽不若匹夫。』是紂先自絶于天下久矣、非死之日而天下去之也。今臣亦窃悲大王棄千乗之尊、必且賜絶命之書、為羣臣先死于東宮也。」〔王時所居〕于是王気怨結而不揚、涕満眶而横流、即起、歴階而去。
書き下し
方今、大王の兵衆は呉楚の十分の一なること能わず、天下の安寧は又た秦に万倍す。願わくは大王、臣の計に従え。大王、臣の計に従わずんば、今、大王の事必ず成らずして語先に泄るるを見ん。臣聞く、微子は故国を過ぎて悲しみ、是に於て麦秀の歌を作る、と。是れ紂の王子比干を用いざるを痛むなり。故に孟子曰く『紂は貴きこと天子為るも、死すること曽ち匹夫に若かず』と。是れ紂は先に自ら天下に絶つこと久し。死する日にして天下之を去るに非ざるなり。今、臣も亦た竊かに悲しむ、大王の千乗の尊を棄てて、必ず且に絶命の書を賜わりて、群臣の為に先に東宮に死せんとするを」と〔王の時に居る所〕。是に於て王、気怨結して揚がらず、涕眶に満ちて横流し、即ち起ちて、階を歴て去る。
現代語訳
いま大王の兵は呉楚の十分の一にも及ばず、天下の安定は秦の時の一万倍です。どうか大王、私の計に従ってください。従われなければ、事は必ず成らず、しかも話が先に漏れるのを見ることになるでしょう。微子は滅んだ故国の跡を過ぎて悲しみ、麦秀の歌を作ったと聞きます。紂が王子比干の諫めを用いなかったことを痛んだのです。だから孟子は『紂は天子という貴い身分でありながら、死にざまはただの男にも及ばなかった』と言いました。紂はとうの昔に自ら天下と縁を切っていたのであって、死んだ日に天下が去ったのではありません。いま私もひそかに悲しみます。大王が千乗の尊い身分を捨て、必ず自害を命じる書を賜り、群臣に先立って東宮で死ぬことになるのを」〔東宮は王が当時住んでいた所〕。王は怒りが胸にわだかまって晴れず、涙が目にあふれて流れ、立ち上がって階段を下りて去った。
解説

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