長短経 / 君徳
〔以吾觀之、帝王之興、各本其所出五帝之後、以定五徳。何以明之?漢、堯後也。堯、火徳王、故漢為火焉。袁紹時耿包曰、「赤徳衰盡、袁為黄胤以為袁舜後、舜土徳君、故勸進焉。」是知帝王之興、各本其所出、五帝之後、有自來矣。今秦、顓頊後、水徳也。故秦為水徳焉。〕以此觀之、雖百代可知也。
新字:〔以吾観之、帝王之興、各本其所出五帝之後、以定五徳。何以明之?漢、堯後也。堯、火徳王、故漢為火焉。袁紹時耿包曰、「赤徳衰尽、袁為黄胤以為袁舜後、舜土徳君、故勧進焉。」是知帝王之興、各本其所出、五帝之後、有自来矣。今秦、顓頊後、水徳也。故秦為水徳焉。〕以此観之、雖百代可知也。
書き下し
〔吾が之を観るを以てすれば、帝王の興るは、各々其の出づる所の五帝の後に本づき、以て五徳を定む。何を以て之を明らかにせん。漢は堯の後なり。堯は火徳の王なり。故に漢は火と為る。袁紹の時、耿包曰く「赤徳衰え尽く。袁は黄胤為り」と。以て袁は舜の後と為す。舜は土徳の君なり。故に進むるを勧むるなり。是れ帝王の興るは、各々其の出づる所に本づくを知る。五帝の後、自ら来たること有り。今、秦は顓頊の後、水徳なり。故に秦は水徳と為るなり。〕此を以て之を観れば、百代と雖も知る可きなり。
現代語訳
〔私が見るところ、帝王が興るのは、それぞれその出自である五帝の後裔に基づいて、五徳を定めるのである。なぜそう言えるのか。漢は堯の後裔である。堯は火徳の王である。だから漢は火となる。袁紹の時、耿包が「赤い徳は衰え尽きた。袁氏は黄色の血筋である」と言った。袁氏を舜の後裔とみなしたのである。舜は土徳の君である。だから即位を勧めたのだ。ここから、帝王が興るのは、それぞれその出自に基づくと分かる。五帝の後裔ということには由来がある。いま秦は顓頊の後裔で、水徳である。だから秦は水徳となるのである。〕こうして見れば、百代先までも知ることができる。
解説
君徳篇の結びです。趙蕤は自分の見解として、五徳は出自によって決まるという説を示し、最後に、こうして見れば百代先まで知ることができる、と締めます。論語の、その因るところを見れば百世でも知りうる、という言葉を踏まえた結びです。長大な歴代君主の評伝を並べたあとで、それらすべてが型として繰り返されると言っている。歴史を読む目的は、過去を知ることではなく、次を読むことでした。
この章句が説くこと
君徳五徳出自袁紹耿包百代可知
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『長短経』君徳帝王、号を改むるに、五行の徳に於て、各々尚ぶ所有り。其の王たる所の徳に従いて次ぐ。〔木家の次位は火なり。木家は赤を尚ぶ。木徳義の府を以て其の母に循い、其の子を兼ぬるなり。〕夏后氏は金徳を以て王として黒を尚び、殷人は水徳を以て王として白を尚ぶ。〔水家は青を尚ぶ。而るに白を尚ぶは、土家の青を尚ぶを避くるなり。土家は宜しく白を尚ぶべし。土為る者は四行の主にして、四季に主たり。五行の用事は、先ず木より起こる。故に土家は木の色青きを尚ぶなり。〕周人は木徳を以て王として色は赤を尚ぶ。此れ三代の同じからざる所以なり。漢の初めに及び、孫臣・賈誼は以為えらく漢は土徳なりと。五行の伝を以て、勝たざる所に従う。〔伝は移の伝なり。五行相い代わるは、常に金木水火土相い勝つの法に従うなり。〕秦は水徳に在り。故に漢は土に拠りて之に剋つと謂う。劉向父子は以為えらく帝は震より出づ。故に庖犧氏は始めて木徳を受く。其の後は母を以て子に伝え、終わりて復た始まる。神農・黄帝より、下って唐虞三代を歴て、漢は火を得たり。故に高祖始めて起こるや、神母夜に号し、赤帝の符を著す。天統を得たるなり。昔、共工は水徳を以て木火の間に間たり。秦と運を同じくす。其の次に非ず。故に皆な永からざるなり。
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『長短経』君徳昔、季康子、五帝の徳を孔子に問う。孔子曰く「天に五行有り。木・火・金・水及び土なり。時を分かち化育を賛け、以て物を成す」と。〔一歳三百六十日、五行は行ごとに七十二日、化生長育す。〕其の神を五帝と為す。〔五帝は五行の神なり。〕古の王者、代を易え号を改むるに、法を五行に取る。五行更わる王たり、終始相い生ず。亦た其の義に象る。故に其の生きて明王為る者は、死して五行に配す。是を以て太皡は木に配し、〔勾芒は木正と為すなり。〕炎帝は火に配し、〔祝融は火正と為すなり。〕少皥は金に配し、〔蓐収は金正と為すなり。〕顓頊は水に配し、〔玄冥は水正と為すなり。〕黄帝は土に配す。〔后土は土正と為すなり。〕
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『長短経』君徳〔黄帝なる者は、天地の紀に順い、時に百穀を播き、心を懃め耳目を力め、水火時物を節用し、土徳の瑞有り、故に黄帝と号す。顓頊なる者は、材を養いて以て地に任じ、時を載せて以て天に象り、鬼神に依りて以て義を制し、気を治めて以て教化し、誠を潔くして以て祭祀す。動静の物、大小の神、日月の照らす所、砥礪せざるは莫し。高辛なる者は、地の財を取りて之を節用し、万人を撫教して之を利誨し、日月を暦して之を迎送し、鬼神を明らかにして之に敬事す。其の色は郁郁、其の徳は嶷嶷たり。帝堯なる者は、其の仁は天の如く、其の智は神の如し。之に就くこと日の如く、之を望むこと雲の如し。富みて驕らず、貴くして舒かならず。虞舜なる者は、善は微にして著れざる無く、悪は隠れて彰れざる無し。自然に任せて以て誅賞し、群心に委ねて以て制に就く。故に能く無為に造御し、至和に道を運らす。百姓は日に用いて知らず、徳に合すること自ら有るが若し。此れ五帝の徳なり。〕
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『長短経』覇図論じて曰く、干宝称す「帝王の興るは、必ず天命を俟つ。苟くも代謝有るは、人事に非ざるなり。堯舜の内禅は、文徳に体するなり。漢魏の外禅は、大名に順うなり。湯武の革命は、天人に応ずるなり。高光の争伐は、功業を定むるなり。各々其の運に因りて天下を得たり。時に随うの義、大なるかな」と。范曄曰く「古自り大業を喪い、宗禋を絶つは、其の削弱禍敗を致す所以の者、蓋し漸く由る有るなり。三代は嬖色を以て禍を取り、嬴氏は奢虐を以て災いを致す。西京は外戚より祚を失い、東都は閹尹に縁りて国を傾く」と。成敗の来たるは、先史、之を商ること久し。秦漢自り周隋に迄るまで、其の興亡を観るに、亦た数有りと雖も、然れども大抵之を得る者は、皆な賢豪を得て、人の為に利を興し害を除くに因る。其の之を失うや、群小を任用し、奢汰度無きに因らざるは莫し。孔子曰く「約を以て之を失う者は鮮し」と。又た曰く「佞人を遠ざけ、僻悪を去れ」と。旨有るかな。
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