長短経 / 七雄略
趙王曰、「善。」即遣虞卿東見齊王、與之謀秦。虞卿未及發、而秦使者已在趙矣。樓緩聞之、亡去。秦圍趙、王使平原君入楚從親而請其救。平原君之楚、見楚王説以利害、日出而言、日中不决。毛遂乃按劒厯階而上、謂平原君曰、「縱之利害、兩言而决耳。今日出而言、日中不决、何也?」楚王叱曰、「胡不下!吾與汝君言、汝何為者!」毛遂按劒而前曰、「王之所以遇遂者、以楚國之衆也。今十步之内、王不得恃楚國之衆、王之命懸於遂之手矣。吾君在前、叱者何也?且遂聞湯以七十里之地立為天子、文王以百里之壤而臣諸侯。今楚地方五千里、持㦸百萬、此覇王之資也。以楚之强、天下莫能比而不能當也。白起、小竪子耳、率數萬之衆、興師以與楚戰、一戰而舉鄢、郢、再戰而燒夷陵、三戰而辱王之先人。此百代之怨、趙之所羞而王不知恥焉。今合縱者為楚不為趙也。」楚王曰、「茍如先生之言、謹奉社稷以從。」楚於是遂出兵救趙。
新字:趙王曰、「善。」即遣虞卿東見斉王、与之謀秦。虞卿未及発、而秦使者已在趙矣。楼緩聞之、亡去。秦囲趙、王使平原君入楚従親而請其救。平原君之楚、見楚王説以利害、日出而言、日中不決。毛遂乃按劒歴階而上、謂平原君曰、「縦之利害、両言而決耳。今日出而言、日中不決、何也?」楚王叱曰、「胡不下!吾与汝君言、汝何為者!」毛遂按劒而前曰、「王之所以遇遂者、以楚国之衆也。今十歩之内、王不得恃楚国之衆、王之命懸於遂之手矣。吾君在前、叱者何也?且遂聞湯以七十里之地立為天子、文王以百里之壤而臣諸侯。今楚地方五千里、持戟百万、此覇王之資也。以楚之強、天下莫能比而不能当也。白起、小竪子耳、率数万之衆、興師以与楚戦、一戦而舉鄢、郢、再戦而焼夷陵、三戦而辱王之先人。此百代之怨、趙之所羞而王不知恥焉。今合縦者為楚不為趙也。」楚王曰、「苟如先生之言、謹奉社稷以従。」楚於是遂出兵救趙。
書き下し
趙王曰く「善し」と。即ち虞卿を遣わして東のかた斉王に見え、之と秦を謀らしむ。虞卿、未だ発するに及ばずして、秦の使者、已に趙に在り。楼緩、之を聞き、亡げ去る。秦、趙を囲む。王、平原君をして楚に入りて従親して其の救いを請わしむ。平原君の楚に之くや、楚王に見え、説くに利害を以てす。日出でて言い、日中にして決せず。毛遂、乃ち剣を按じ階を歴て上り、平原君に謂いて曰く「縦の利害は、両言にして決するのみ。今、日出でて言い、日中にして決せざるは、何ぞや」と。楚王叱して曰く「胡ぞ下らざる。吾、汝の君と言う。汝、何を為す者ぞ」と。毛遂、剣を按じて前みて曰く「王の遂に遇う所以の者は、楚国の衆を以てなり。今、十歩の内、王は楚国の衆を恃むを得ず。王の命は遂の手に懸かれり。吾が君、前に在り。叱する者は何ぞや。且つ遂聞く、湯は七十里の地を以て立ちて天子と為り、文王は百里の壌を以て諸侯を臣とす、と。今、楚の地は方五千里、戟を持つこと百万、此れ覇王の資なり。楚の強きを以てすれば、天下、能く比する莫くして当たる能わざるなり。白起は小竪子のみ。数万の衆を率い、師を興して以て楚と戦い、一戦して鄢・郢を挙げ、再戦して夷陵を焼き、三戦して王の先人を辱む。此れ百代の怨みにして、趙の羞ずる所なるに、王は恥を知らず。今、縦を合するは楚の為にして趙の為に非ざるなり」と。楚王曰く「苟くも先生の言の如くんば、謹みて社稷を奉じて以て従わん」と。楚、是に於て遂に兵を出して趙を救う。
現代語訳
趙王は「もっともだ」と言い、虞卿を東の斉王のもとへ遣わして秦を謀らせようとした。虞卿が出発しないうちに、秦の使者がすでに趙に来ていた。楼緩はそれを聞いて逃げ去った。秦が趙を囲んだ。王は平原君を楚へ行かせて同盟し救援を請わせた。平原君は楚王に会って利害を説いた。日の出から話して、正午になっても決まらない。毛遂は剣に手をかけて階段を上り、平原君に言った。「同盟の利害は二言で決まるはずです。日の出から話して正午に決まらないのはなぜですか」。楚王が叱った。「なぜ下がらぬ。私はお前の主君と話しているのだ。お前は何者だ」。毛遂は剣に手をかけて進み出て言った。「王が私にそう言えるのは、楚の兵が多いからです。いま十歩の内では、王は楚の兵を頼れない。王の命は私の手にあります。わが主君が前にいる。叱るとは何ごとですか。それに私が聞くところでは、湯王は七十里の土地から天子となり、文王は百里の土地で諸侯を臣としたといいます。いま楚の土地は五千里四方、戟を持つ兵は百万。覇王の資です。楚の強さには天下に比べられる国も当たれる国もない。白起は小僧にすぎない。数万の兵で楚と戦い、一度で鄢と郢を取り、二度目で夷陵を焼き、三度目で王の先祖を辱めた。これは百代の怨みで、趙でさえ恥じることなのに、王は恥を知らない。いま同盟を結ぶのは楚のためであって、趙のためではありません」。楚王は「まことに先生の言うとおりなら、謹んで国を挙げて従おう」と言った。楚はついに兵を出して趙を救った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『武士道』第八章 名譽・新井白石と小蛇の創史上、哀事多し。されど未だ人類の母エバが、騒立つ胸、戦く指に、粗き針取りて、憂に沈める良人の摘み与ふる無花果の葉を綴るの光景の如く哀しきはあらず。神明に背く覿面の罪果は、人間に固着して離るべからず。裁縫の技の如何に精妙を極むとも、未だ羞恥を包むに足るべき蔽膝を縫ふ能はず。新井白石の年少うして苦学するや、富人某といふものあり、其志の超凡なるを見、之に孫女を妻はし、且つ給するに勤学の資を以てせんと乞ひしに、白石之を辞し、『昔、霊潭に小蛇棲めり。人あり小刀を抜き、其腮に微傷を負はしむるや、たちまち丈余の大蛇と化して斃れ、頭上に尺余の創痕を有したりと云ふ。富人の欲する所は、即ち小蛇を傷くることなり。されど後来、我れ家を興し、名を成さんには、其創ことに大なるものあらん。
-
『武士道』第八章 名譽・恥を知るは諸徳の原たとひ微小なりとも、創を蒙らんことは我が願ふ所にあらず』と。白石の既に少年の日に当り、いやしくも節を屈し、恥を負ふの事を甘んじ、以て畢生の大創を蒙り、敢て其天分を壊り、品性を害することを肯ぜざりしもの、実に士たるの本懐を吐露して違はざりしものと謂ふべし。孟子が『羞悪の心は義の端なり』と教へてより後、二千年にして、カーライルは殆ど同義の弁をなして曰へり。『恥を知るは、諸徳の原、良容善行の根なり』と。武士は恥を恐るること甚だしきものありき。我国文学は、シェイクスピアがノーフォークの口に上ぼせたるが如き雄弁なる詞句を有せざれど、なお恥を恐るるの念は、武士の頭上に懸れるダモクレスの剣なりき。然り、恥を恐るるは大に可なり。されど其の過ぐるや、往々病的なる性質を帯ぶることなきにあらず。
-
論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻三是れに愧て辞すといへども、猶終に首座に請す、其の後元首座此の詞はを記録して、自らを愧しめて師の美言を顕はす、今ま是を案ずるに、昇進を望み、物のかしらとなり、長老とならんと思ふことをば、古人是を慚ぢしむ、只道を悟らんとのみ思ふて余事あるべからず、
-
『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし、予在宋の時天童の浄和尚、侍者に請するにいはく、元子は外国人たりといへども、器量人なりと云ふて請す、予堅く此を辞す、其故は和国に聞へん為にも、学道の稽古の為にも、大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、大国に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、浄和尚聞て、国を重んじ、人を愧づることを感じ、許して更に請し玉はざりしなり、
-
『呻吟語』内篇・修身・邪僻を蹈めば肆志抗額邪僻を蹈めば、則ち志を肆にし額を抗げて略ぼ顧忌する所無し。義禮に由れば、則ち頭を羞ぢ面を愧ぢて以て自ら容るる無きが若し。此れ愚不肖の恒態にして、士君子の大恥なり。