長短経 / 是非
夫損益殊塗質文異政。或尚權以經緯、或敦道以鎮俗。是故、前志垂教、今皆可以理違。何以明之?〔是曰〈〕大雅〉云、“既明且哲、以保其身。”《易》曰、“天地之大徳曰生。”〔非曰〕《語》曰、“士見危授命。”又曰、“君子有殺身以成仁、無求生以害仁。”〔是曰〕
新字:夫損益殊塗質文異政。或尚権以経緯、或敦道以鎮俗。是故、前志垂教、今皆可以理違。何以明之?〔是曰〈〕大雅〉云、“既明且哲、以保其身。”《易》曰、“天地之大徳曰生。”〔非曰〕《語》曰、“士見危授命。”又曰、“君子有殺身以成仁、無求生以害仁。”〔是曰〕
書き下し
夫れ損益は塗を殊にし、質文は政を異にす。或いは権を尚びて以て経緯し、或いは道を敦くして以て俗を鎮む。是の故に、前志の教えを垂るる、今は皆な以て違を理む可し。何を以て之を明らかにせん。〔是に曰く〕大雅に云う「既に明かつ哲、以て其の身を保つ」と。易に曰く「天地の大徳を生と曰う」と。〔非に曰く〕語に曰く「士は危うきを見て命を授く」と。又た曰く「君子は身を殺して以て仁を成す有り、生を求めて以て仁を害する無し」と。
現代語訳
そもそも減らすことと増やすことは道筋が違い、実質を重んじる政治と形式を重んじる政治は方針が異なる。臨機の権を尊んで世を織り上げる場合もあれば、道を篤くして風俗を鎮める場合もある。だから、昔の書物が垂れた教えは、いまはすべて食い違いとして整理できる。なぜそう言えるのか。〔是の側はこう言う。〕詩経の大雅に「明らかでしかも哲く、それによって我が身を保つ」とある。易に「天地の大いなる徳を生という」とある。〔非の側はこう言う。〕論語に「士は危ういのを見れば命を差し出す」とある。またこうある。「君子は身を殺して仁を成すことはあるが、生を求めて仁を害することはない」。
解説
是非篇の書き出しです。この篇はここから最後まで、古典の言葉を是と非の対で並べつづけます。最初の対がいきなり核心を突いていて、明哲保身と、危を見て命を授く。身を守れという教えと、命を捨てよという教え。どちらも聖典の言葉です。趙蕤は決着をつけません。両方が正しく、場面が選ぶ。書物から一つの答えを取り出そうとする読み方を、最初に断ち切っています。
この章句が説くこと
是非明哲保身見危授命対両論詩経
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