長短経 / 七雄略
衍曰、「先生獨不見夫僕乎?十人而從一人者、寧力不足而智不若耶?畏之也!」魯連曰、「嗚呼!梁之比秦、若僕耶?」衍曰、「然。」魯連曰、「吾將使秦王烹醢梁王。」衍愕然曰、「亦甚矣、先生之言也!先生又惡能使秦王烹醢梁王?」連曰、「固也。待吾將言之。昔者、九侯、鄂侯、文王、紂之三公也。九侯有子而好、故獻之紂。紂以為醜、醢九侯。鄂侯爭之强、辨之疾、故脯鄂侯。文王聞之、喟然而歎故拘之牖里之庫、百日欲令之死。曷為與人俱稱王、卒就脯醢之地?
新字:衍曰、「先生独不見夫僕乎?十人而従一人者、寧力不足而智不若耶?畏之也!」魯連曰、「嗚呼!梁之比秦、若僕耶?」衍曰、「然。」魯連曰、「吾将使秦王烹醢梁王。」衍愕然曰、「亦甚矣、先生之言也!先生又悪能使秦王烹醢梁王?」連曰、「固也。待吾将言之。昔者、九侯、鄂侯、文王、紂之三公也。九侯有子而好、故献之紂。紂以為醜、醢九侯。鄂侯争之強、弁之疾、故脯鄂侯。文王聞之、喟然而嘆故拘之牖里之庫、百日欲令之死。曷為与人倶称王、卒就脯醢之地?
書き下し
衍曰く「先生、独り夫の僕を見ずや。十人にして一人に従う者は、寧んぞ力足らずして智の若かざらんや。之を畏るればなり」と。魯連曰く「嗚呼、梁の秦に比するは、僕の若きか」と。衍曰く「然り」と。魯連曰く「吾、将に秦王をして梁王を烹醢せしめん」と。衍、愕然として曰く「亦た甚だしきかな、先生の言や。先生、又た悪くんぞ能く秦王をして梁王を烹醢せしめん」と。連曰く「固よりなり。吾が将に之を言わんとするを待て。昔者、九侯・鄂侯・文王は、紂の三公なり。九侯に子有りて好し。故に之を紂に献ず。紂、以て醜と為し、九侯を醢にす。鄂侯、之を争うこと強く、之を弁ずること疾し。故に鄂侯を脯にす。文王、之を聞き、喟然として歎ず。故に之を牖里の庫に拘し、百日之を死せしめんと欲す。曷為れぞ人と俱に王と称して、卒に脯醢の地に就くか」と。
現代語訳
新垣衍が言った。「先生は召使いを見たことがないのですか。十人が一人に従うのは、力が足りず知恵が及ばないからでしょうか。恐れているからです」。魯仲連は言った。「ああ、梁が秦に対するのは召使いのようなものですか」。新垣衍は「そうです」と言った。魯仲連は言った。「私は秦王に梁王を煮て塩漬けにさせましょう」。新垣衍は驚いて言った。「ひどい言い方です。先生がどうして秦王に梁王を煮させられるのですか」。魯仲連は言った。「もちろんです。私が話すのをお待ちなさい。昔、九侯と鄂侯と文王は紂の三公でした。九侯に美しい娘がいたので紂に献じた。紂は醜いとして九侯を塩漬けにした。鄂侯が強く争い激しく弁じたので、鄂侯を干し肉にした。文王がこれを聞いて嘆息した。そこで牖里の倉に幽閉し、百日で死なせようとした。どうして人と同じく王と称しながら、ついに干し肉や塩漬けにされる立場になるのですか」。
解説

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