長短経 / 覇図
崩、立太子賾〔是為世祖武皇帝也。〕崩、立太孫昭業〔是為鬱林王。即位無道、武帝梓宫下渚、帝於端門内奉辭、輼輬車裁入閣、即奏湖伎、髙宗殺之。〕崩、立弟昭文〔廢為海陵王也。〕廢、立西昌侯鸞〔是為髙宗明皇帝。始安貞王道生子也。即位亟行誅戮、且寢疾經年、預為梓宫之故地髙武諸子掃地無餘也。〕崩、立太子寶卷〔是為東昏侯、即位凶暴、以金花帖地、令潘妃行其上、曰、「此步步生蓮花也。」又於宫中為市、自為市吏、以潘妃為市令。義師至、為左右所殺。〕崩、立和帝寶融〔明帝第八子也。〕以位禪梁
新字:崩、立太子賾〔是為世祖武皇帝也。〕崩、立太孫昭業〔是為鬱林王。即位無道、武帝梓宮下渚、帝於端門内奉辞、輼輬車裁入閣、即奏湖伎、高宗殺之。〕崩、立弟昭文〔廃為海陵王也。〕廃、立西昌侯鸞〔是為高宗明皇帝。始安貞王道生子也。即位亟行誅戮、且寝疾経年、預為梓宮之故地高武諸子掃地無余也。〕崩、立太子宝巻〔是為東昏侯、即位凶暴、以金花帖地、令潘妃行其上、曰、「此歩歩生蓮花也。」又於宮中為市、自為市吏、以潘妃為市令。義師至、為左右所殺。〕崩、立和帝宝融〔明帝第八子也。〕以位禅梁
書き下し
崩じ、太子賾を立つ。〈是を世祖武皇帝と為すなり。〉崩じ、太孫昭業を立つ。〈是を鬱林王と為す。即位して無道なり。武帝の梓宮、渚に下る。帝、端門の内に於て辞を奉ず。輼輬車、裁かに閣に入るや、即ち湖伎を奏す。高宗、之を殺す。〉崩じ、弟昭文を立つ。〈廃して海陵王と為すなり。〉廃し、西昌侯鸞を立つ。〈是を高宗明皇帝と為す。始安貞王道生の子なり。即位して亟しば誅戮を行う。且つ疾に寝ぬること年を経たり。預め梓宮の故地の為に、高武の諸子を掃地して余す無きなり。〉崩じ、太子宝巻を立つ。〈是を東昏侯と為す。即位して凶暴なり。金花を以て地に帖り、潘妃をして其の上を行かしめて曰く「此れ歩歩に蓮花を生ずるなり」と。又た宮中に於て市を為し、自ら市吏と為り、潘妃を以て市令と為す。義師至り、左右の殺す所と為る。〉崩じ、和帝宝融を立つ。〈明帝の第八子なり。〉位を以て梁に禅る。
現代語訳
崩じて太子の賾を立てた。〈これが世祖武皇帝である。〉崩じて太孫の昭業を立てた。〈これが鬱林王である。即位して無道だった。武帝の柩が水辺へ下るとき、帝は端門の内で別れの辞を述べた。柩の車が閣に入るや否や、すぐに芸人の楽を奏させた。高宗がこれを殺した。〉崩じて弟の昭文を立てた。〈廃して海陵王とした。〉廃して西昌侯の鸞を立てた。〈これが高宗明皇帝である。始安貞王道生の子である。即位してしきりに誅殺を行った。しかも病で何年も寝ついていた。あらかじめ自分の柩を置く場所のために、高帝と武帝の子孫を根こそぎ絶やした。〉崩じて太子の宝巻を立てた。〈これが東昏侯である。即位して凶暴だった。金の花を地に貼り、潘妃にその上を歩かせて「これが一歩ごとに蓮の花が咲くということだ」と言った。また宮中に市場を作り、自分が市場の役人となり、潘妃を市場の長とした。義軍が来ると、側近に殺された。〉崩じて和帝の宝融を立てた。〈明帝の八男である。〉位を梁に禅った。
解説
この章句が説くこと
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