長短経 / 七雄略
且吾聞之、『効小節者、不能行大威、惡小恥者、不能成榮名。』昔管仲射桓公、中其鉤、簒也、遺公子糾、不能死、怯也、束縛桎梏、辱也。此三行者、鄉里不通、世主不臣。使管仲終窮幽抑而不出、不免為辱人賤行、然而管子棄三行之過、據齊國之政、一匡天下、九合諸侯、名高天下、光照隣國。
新字:且吾聞之、『効小節者、不能行大威、悪小恥者、不能成栄名。』昔管仲射桓公、中其鉤、簒也、遺公子糾、不能死、怯也、束縛桎梏、辱也。此三行者、郷里不通、世主不臣。使管仲終窮幽抑而不出、不免為辱人賤行、然而管子棄三行之過、拠斉国之政、一匡天下、九合諸侯、名高天下、光照隣国。
書き下し
且つ吾、之を聞く『小節を効す者は、大威を行う能わず。小恥を悪む者は、栄名を成す能わず』と。昔、管仲、桓公を射て、其の鉤に中つ。簒なり。公子糾を遺して、死する能わず。怯なり。束縛桎梏せらる。辱なり。此の三行なる者、郷里通ぜず、世主臣とせず。管仲をして終に窮幽抑せられて出でざらしめば、辱人賤行たるを免れず。然り而して管子、三行の過ちを棄て、斉国の政に拠り、天下を一匡し、九たび諸侯を合し、名は天下に高く、光は隣国を照らす。
現代語訳
私が聞くところでは『小さな節義を尽くす者は大きな威を行えない。小さな恥を嫌う者は栄えある名を成せない』という。昔、管仲は桓公を射てその帯留めに当てた。簒奪である。公子糾を見捨てて死ねなかった。臆病である。縛られ手かせ足かせをはめられた。恥辱である。この三つの行いは、郷里でも通用せず、世の君主は臣としない。管仲がそのまま閉じ込められて世に出なければ、辱められた人の賤しい行いのままだった。しかし管仲は三つの過ちを棄てて斉の政を執り、天下を正し、九度諸侯を集め、名は天下に高く、光は隣国を照らした。
解説

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