長短経 / 正論
又裴楷曰、“按春秋已來、及古帝王、未有河清者也。臣以為河者、諸侯位也。清者屬陽、濁者屬隂。河當濁而反清者、隂欲為陽、諸侯欲為帝也。京房《易傳曰、‘河水清、天下平。’今天垂異、地吐妖、民癘疫、三者並時而有河清、猶春秋麟不當見而見。孔子書以為異也。”魏青龍中、張掖郡𤣥川、溢湧寳石負鼎狀、麟鳯龍馬、炳煥成形、時人以為魏瑞任令于綽齎以問張臶臶宻謂綽曰、“夫神以知來、不追已徃。以禎祥先見、然後廢興從之。漢已乆亡、魏已得之、何所追廢興禎祥乎?此石當今之變異、而將來之禎祥。”後司馬氏果代魏。
新字:又裴楷曰、“按春秋已来、及古帝王、未有河清者也。臣以為河者、諸侯位也。清者属陽、濁者属陰。河当濁而反清者、陰欲為陽、諸侯欲為帝也。京房《易伝曰、‘河水清、天下平。’今天垂異、地吐妖、民癘疫、三者並時而有河清、猶春秋麟不当見而見。孔子書以為異也。”魏青竜中、張掖郡玄川、溢湧宝石負鼎状、麟鳳竜馬、炳煥成形、時人以為魏瑞任令于綽齎以問張臶臶密謂綽曰、“夫神以知来、不追已往。以禎祥先見、然後廃興従之。漢已久亡、魏已得之、何所追廃興禎祥乎?此石当今之変異、而将来之禎祥。”後司馬氏果代魏。
書き下し
又た裴楷曰く「春秋已来、及び古の帝王を按ずるに、未だ河の清む者有らざるなり。臣以為えらく、河なる者は諸侯の位なり。清なる者は陽に属し、濁なる者は陰に属す。河は当に濁るべくして反って清むは、陰の陽と為らんと欲し、諸侯の帝と為らんと欲するなり。京房の易伝に曰く『河水清めば、天下平らかなり』と。今、天は異を垂れ、地は妖を吐き、民は癘疫す。三者並び時にして河清有るは、猶お春秋に麟の当に見るべからずして見るるがごとし。孔子書して以て異と為すなり」と。魏の青龍中、張掖郡の玄川、溢れ湧きて宝石の鼎を負うの状、麟鳳龍馬、炳煥として形を成す。時の人以て魏の瑞と為す。任令の于綽、齎して以て張臶に問う。臶、密かに綽に謂いて曰く「夫れ神は以て来たるを知り、已に往くを追わず。禎祥先に見れて、然る後に廃興之に従う。漢は已に久しく亡び、魏は已に之を得たり。何の追いて廃興する所の禎祥ならんや。此の石は当今の変異にして、将来の禎祥なり」と。後、司馬氏果たして魏に代わる。
現代語訳
また裴楷はこう言った。「春秋以来と古の帝王を調べても、黄河が澄んだことはありません。私が思うに、河は諸侯の位です。澄むのは陽に属し、濁るのは陰に属します。河は濁るはずなのに逆に澄むのは、陰が陽になろうとし、諸侯が帝になろうとしているのです。京房の易伝には『黄河の水が澄めば天下は平らかである』とあります。いま天は異変を示し、地は妖しいものを吐き、民は疫病にかかっています。三つが同時に起きているのに河が澄むのは、春秋で麒麟が現れるはずのないときに現れたのと同じです。孔子はそれを書いて異変としました」。魏の青龍年間、張掖郡の玄川があふれ湧いて、宝石が鼎を背負った形になり、麒麟・鳳凰・龍・馬がくっきりと形を成した。当時の人は魏の瑞祥とした。任の長官于綽がそれを持って張臶に尋ねた。張臶はひそかに于綽に言った。「神は来るものを知らせ、過ぎたものを追わない。めでたい兆しがまず現れて、そのあとに廃立興亡が従う。漢はとうに滅び、魏はすでに天下を得ている。いまさら何の廃立興亡の兆しがあろうか。この石は今の異変であって、将来の瑞祥である」。その後、司馬氏が果たして魏に取って代わった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』三国権太史丞許芝又た曰く「易伝に曰く『聖人命を受けて王たれば、黄龍、戊己の日を以て見る』と。七月四日戊寅、黄龍見る。此れ帝王受命の符瑞、最も著明なり。又た曰く『聖人、徳を以て天下に親比し、仁恩洽普なれば、麒麟、戊己の日を以て見る。厥れ聖人の受命に応ず』と。臣聞く、帝王なる者は五行の精、易姓の符、代興の会は、七百二十年を以て一軌と為す。徳有る者は八百を過ぎ、徳無き者は四百載に及ばず、と。是を以て周家は八百六十七年、夏家は四百数十年。漢は夏正を行いて今に迄るまで四百二十六歳。天の暦数、将に以て尽き終わらんとす。斯れ皆帝王受命易姓の符瑞なり。夫れ歳を得る者は、道始めて興る。昔、武王殷を伐つに、歳は鶉火に在り、周の分野有り。高祖秦に入るに、五星東井に聚まり、漢の分野有り。今茲、歳は大梁に在り、魏の分野有り。而して天の瑞応、並び集まり来たり臻る。伏して惟うに殿下は堯・舜の聖明を体し、七百の禅代に膺る。天下の学士の共に見る所なり。謹んで以て上聞す」と。
-
『長短経』正論後漢の竇武、上書して曰く「間者、嘉禾・芝草・黄龍の瑞、見るる有り。夫れ瑞の生ずるは必ず嘉土に於てし、福の至るは実に吉人に由る。徳に在れば瑞と為り、徳無ければ災いと為る。陛下の行う所、天意に合わず。慶を称するに宜しからず」と。
-
『長短経』正論周物の智と雖も、其の推変を研むる能わず。山川の奥も、未だ其の紆険に況うるに足らず。則ち裕に応じ事に適うは、常条を以てし難し。何を以て之を言うか。若し夫れ玄聖の代を御するは、則ち大同極軌にして、施舎の道、宜しく殊典無かるべし。而るに損益迭いに運り、文樸遞いに行わる。明を用い晦に居るは、曩時に迴遹し、戈を興し爼を陳ぬるは、上世に参差す。黄屋を戴き、絺衣を服するに至るに及び、豊薄斉しからずして、治を致すは則ち一なり。亦た公族を宥し、国讐を黥する有り。寛躁已に隔たるも、非を防ぐは必ず同じ。此れ其の波を分かちて源を共にし、百慮にして一致する者なり。若し乃ち偏情矯用すれば、則ち枉直必ず過ぐ。故に葛屨もて霜を履むは、弊は崇儉に由る。楚楚たる衣裳は、戒めは窮奢に在り。禁を疎にし下を厚くすれば、以て尾大にして弱を陵ぐ。威を斂め法を峻にすれば、以て苛薄にして分崩す。斯れ曹魏の刺、国風に明らかなる所以、周秦の末軌、微滅に彰るる所以なり。故に用捨の端、興敗焉に資る。
-
『長短経』正論管輅曰く「貴人に事有れば、其の応は天に在り。天に在れば則ち日月星辰なり。兵動き人憂うれば、其の応は物に在り。物に在れば則ち山林鳥獣なり」と。又た曰く「夫れ天に大象有りと雖も言う能わず。故に星精を上に運らし、神明を下に流し、風雲を駆りて以て異を表し、鳥獣を役して以て霊を通ず。異を表す者は必ず沈浮の候有り、霊を通ずる者は必ず宮商の応有り。是を以て宋襄、徳を失いて、六鶂退き飛び、伯姫将に焚かれんとして、鳥は其の災いを唱う。四国未だ火せずして、融風已に発す。赤雲日を夾めば、殃いは荊楚に在り。此れ乃ち上天の使う所、自然の明符なり」と。
-
『長短経』覇図論じて曰く、干宝称す「帝王の興るは、必ず天命を俟つ。苟くも代謝有るは、人事に非ざるなり。堯舜の内禅は、文徳に体するなり。漢魏の外禅は、大名に順うなり。湯武の革命は、天人に応ずるなり。高光の争伐は、功業を定むるなり。各々其の運に因りて天下を得たり。時に随うの義、大なるかな」と。范曄曰く「古自り大業を喪い、宗禋を絶つは、其の削弱禍敗を致す所以の者、蓋し漸く由る有るなり。三代は嬖色を以て禍を取り、嬴氏は奢虐を以て災いを致す。西京は外戚より祚を失い、東都は閹尹に縁りて国を傾く」と。成敗の来たるは、先史、之を商ること久し。秦漢自り周隋に迄るまで、其の興亡を観るに、亦た数有りと雖も、然れども大抵之を得る者は、皆な賢豪を得て、人の為に利を興し害を除くに因る。其の之を失うや、群小を任用し、奢汰度無きに因らざるは莫し。孔子曰く「約を以て之を失う者は鮮し」と。又た曰く「佞人を遠ざけ、僻悪を去れ」と。旨有るかな。
-
『長短経』正論春秋伝に曰く「事を作すこと時ならず、怨讟人に動けば、則ち非言の物有りて言う」と。漢武の時に当たり、賦斂繁く衆く、人民彫弊す。故に無形にして言う有るに至るなり。其の洪範に於て、僭あれば則ち時妖を生ずと言う。此れ蓋し怨讟して妖を生ずるの類なり。故に道に通ずるは身を正すを言う。則ち万物の精神形気は、各々其の本に反るなり」と。後漢の陳蕃、上書して曰く「昔、春秋の末、周徳衰微し、数十年の間、復た災眚無き者は、天の棄つる所なり。天の漢に于けるや、悢悢として已む無し。故に変に慇懃にして、以て陛下を悟らしむ。妖を除き嬖を去るは、実に徳を修むるに在り。故に周書に曰く『天子は怪を見れば則ち徳を修め、諸侯は怪を見れば則ち政を修め、大夫は怪を見れば則ち職を修め、士庶は怪を見れば則ち身を修む』と。神は道を傷る能わず、妖は徳を害する能わず」と。漢書に曰く「夫れ人を動かすは行を以てし、言を以てせず。天に応ずるは実を以てし、文を以てせず。此れ天人の大略なり」と。〉