長短経 / 覇図
六月丁夘即帝位於南郊。設壇、柴燎告天。禮畢、備法駕幸建康宫、臨太極前殿。大赦改元。在位三年崩〔初、大漸、召太子、誡之曰、「檀道濟雖有幹畧而無逺志徐羨之與傅亮當無異圖、謝晦常從征伐、頗識機變、若有同異、必此人也。可以㑹稽處之。後皆如言也。、〕
新字:六月丁夘即帝位於南郊。設壇、柴燎告天。礼畢、備法駕幸建康宮、臨太極前殿。大赦改元。在位三年崩〔初、大漸、召太子、誡之曰、「檀道済雖有幹略而無遠志徐羨之与傅亮当無異図、謝晦常従征伐、頗識機変、若有同異、必此人也。可以会稽処之。後皆如言也。、〕
書き下し
六月丁卯、帝位に南郊に即く。壇を設け、柴燎して天に告ぐ。礼畢わり、法駕を備えて建康宮に幸し、太極前殿に臨む。大赦して改元す。位に在ること三年にして崩ず。〈初め、大いに漸きとき、太子を召して、之を誡めて曰く「檀道済は幹略有りと雖も遠志無し。徐羨之と傅亮とは、当に異図無かるべし。謝晦は常に征伐に従い、頗る機変を識る。若し同異有らば、必ず此の人なり。会稽を以て之に処く可し」と。後、皆な言の如きなり。〉
現代語訳
六月丁卯、南郊で帝位についた。壇を設け、薪を焚いて天に告げた。儀式が終わると、正式の車駕を整えて建康宮へ行き、太極前殿に臨んだ。大赦して改元した。在位三年で崩じた。〈臨終が近づいたとき、太子を呼んで戒めた。「檀道済は才幹と計略はあるが、遠大な志はない。徐羨之と傅亮には、別の企みはないだろう。謝晦はいつも征伐に従って、機に応じた変化をよく心得ている。もし食い違いが起きるなら、必ずこの男だ。会稽あたりに置いておくがよい」。後にみなこの言葉のとおりになった。〉
解説
死の床で、劉裕は主要な臣を一人ずつ値踏みして遺しました。才幹はあるが志は大きくない者、企む気のない者、そして機を見るのがうますぎる者。危険なのは能力が高い人ではなく、変化を読むのがうまい人だと名指ししています。処置の提案まで添えているのが実務的です。人を評するとき、良し悪しではなく、どういう場面で何をするかで見ています。
この章句が説くこと
覇図劉裕遺誡檀道済謝晦人物評
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