長短経 / 定名
《莊子》曰、“莫之顧而進、謂之佞。俙意導言、謂之諂。不擇是非而言、謂之諛。好言人惡、謂之讒。稱譽詐偽、以敗惡人、謂之慝不擇善否、两容頰適、偷㧞其所欲、謂之險。”古語曰、“以可濟否、謂之和、好惡不殊、謂之同。以賢代賢、謂之奪、以不肖代賢、謂之伐。緩令急誅、謂之暴、取善自與、謂之盗、罪不知諐謂之虐、敬不中禮、謂之野、禁而不止、謂之逆。〔又曰、恭不中禮謂之逆。又曰、令而不行、謂之障。〕禁非立是、謂之法、知善不行、謂之狂、知惡不改、謂之惑。”太公曰、“収天下珠玉、美女、金銀、綵帛、謂之殘。
新字:《荘子》曰、“莫之顧而進、謂之佞。俙意導言、謂之諂。不択是非而言、謂之諛。好言人悪、謂之讒。称誉詐偽、以敗悪人、謂之慝不択善否、两容頰適、偸抜其所欲、謂之険。”古語曰、“以可済否、謂之和、好悪不殊、謂之同。以賢代賢、謂之奪、以不肖代賢、謂之伐。緩令急誅、謂之暴、取善自与、謂之盗、罪不知諐謂之虐、敬不中礼、謂之野、禁而不止、謂之逆。〔又曰、恭不中礼謂之逆。又曰、令而不行、謂之障。〕禁非立是、謂之法、知善不行、謂之狂、知悪不改、謂之惑。”太公曰、“収天下珠玉、美女、金銀、綵帛、謂之残。
書き下し
荘子に曰く「之を顧みること莫くして進む、之を佞と謂う。意を希いて言を導く、之を諂と謂う。是非を択ばずして言う、之を諛と謂う。好んで人の悪を言う、之を讒と謂う。詐偽を称誉して、以て悪人を敗る、之を慝と謂う。善否を択ばず、両容頬適して、偸かに其の欲する所を抜く、之を険と謂う」と。古語に曰く「可を以て否を済す、之を和と謂う。好悪殊ならず、之を同と謂う。賢を以て賢に代う、之を奪と謂う。不肖を以て賢に代う、之を伐と謂う。令を緩くして誅を急にする、之を暴と謂う。善を取りて自ら与す、之を盗と謂う。罪して愆を知らざる、之を虐と謂う。敬して礼に中らざる、之を野と謂う。禁じて止まざる、之を逆と謂う〔又た曰く、恭にして礼に中らざる、之を逆と謂う。又た曰く、令して行われざる、之を障と謂う〕。非を禁じて是を立つる、之を法と謂う。善を知りて行わざる、之を狂と謂う。悪を知りて改めざる、之を惑と謂う」と。太公曰く「天下の珠玉・美女・金銀・綵帛を収むる、之を残と謂う。
現代語訳
『荘子』に言う。「相手が求めてもいないのに進み出るのを佞という。相手の意向をうかがって言葉を誘導するのを諂という。是非を選ばずに言うのを諛という。人の悪を言うのを好むのを讒という。偽りを褒めそやして人をおとしめるのを慝という。善し悪しを選ばず、両方に顔を合わせて調子を合わせ、ひそかに自分の欲しいものを抜き取るのを険という」。古い言葉に言う。「可によって否を補うのを和という。好悪が相手と少しも違わないのを同という。賢者を別の賢者に代えるのを奪という。愚者を賢者に代えるのを伐という。命令は緩いのに処罰を急ぐのを暴という。他人の善を取って自分の手柄にするのを盗という。罰しても罪を自覚させないのを虐という。敬っても礼にかなわないのを野という。禁じてもやまないのを逆という〔また言う。恭しくても礼にかなわないのを逆という。また言う。命じても行われないのを障という〕。非を禁じて是を立てるのを法という。善を知りながら行わないのを狂という。悪を知りながら改めないのを惑という」。太公望は言う。「天下の真珠や玉、美女、金銀、絹を集めるのを残という。
解説
この章句が説くこと
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