長短経 / 懼戒
吳王悦、乃使子貢之越。越王郊迎、自為子貢御、曰、「此蠻夷之國也、大夫何足儼然辱臨之?」子貢曰、「今者、吾説吳王以救魯伐齊、其志欲之而畏越、曰、『待吾伐越乃可。』如此、則破越必矣。且無報人之志而令人疑之、拙也、有報人之志而使人知之、殆也、事未發而先聞、危也。三者舉事之大患也。吳王為人猛暴、羣臣弗堪、國家疲于數戰、士卒不忍、百姓怨上、大臣内變、子胥以諫死、太宰嚭用事、順君之過、以安其私、此王報吳之時也。誠能發卒佐之以激其志、而重寶以悦其心、卑辭以尊其禮、則伐齊必矣。此聖人之所謂屈節以期逺者也。彼戰不勝、王之福也。若勝、必以兵臨晉。臣還北請見晉君、共攻之、其弱吳必也。其鋭兵盡于齊、重甲困于晉、而王乗其弊滅吳必矣。」
新字:呉王悦、乃使子貢之越。越王郊迎、自為子貢御、曰、「此蠻夷之国也、大夫何足儼然辱臨之?」子貢曰、「今者、吾説呉王以救魯伐斉、其志欲之而畏越、曰、『待吾伐越乃可。』如此、則破越必矣。且無報人之志而令人疑之、拙也、有報人之志而使人知之、殆也、事未発而先聞、危也。三者舉事之大患也。呉王為人猛暴、羣臣弗堪、国家疲于数戦、士卒不忍、百姓怨上、大臣内変、子胥以諫死、太宰嚭用事、順君之過、以安其私、此王報呉之時也。誠能発卒佐之以激其志、而重宝以悦其心、卑辞以尊其礼、則伐斉必矣。此聖人之所謂屈節以期遠者也。彼戦不勝、王之福也。若勝、必以兵臨晋。臣還北請見晋君、共攻之、其弱呉必也。其鋭兵尽于斉、重甲困于晋、而王乗其弊滅呉必矣。」
書き下し
呉王悦び、乃ち子貢をして越に之かしむ。越王、郊に迎え、自ら子貢の為に御して曰く「此れ蛮夷の国なり。大夫何ぞ儼然として辱く之に臨むに足らん」と。子貢曰く「今者、吾、呉王に説くに魯を救い斉を伐つを以てす。其の志は之を欲するも越を畏れて曰く『吾が越を伐つを待ちて乃ち可なり』と。此くの如くんば、則ち越を破ること必せり。且つ人に報ゆるの志無くして人をして之を疑わしむるは、拙なり。人に報ゆるの志有りて人をして之を知らしむるは、殆うし。事未だ発せずして先に聞こゆるは、危うし。三者は事を挙ぐるの大患なり。呉王は人と為り猛暴にして、群臣堪えず、国家は数々戦うに疲れ、士卒忍びず、百姓は上を怨み、大臣は内に変ず。子胥は諫むるを以て死し、太宰嚭事を用い、君の過ちに順いて、以て其の私を安んず。此れ王の呉に報ゆるの時なり。誠に能く卒を発して之を佐け、以て其の志を激し、而して宝を重くして以て其の心を悦ばせ、辞を卑くして以て其の礼を尊くせば、則ち斉を伐つこと必せり。此れ聖人の所謂節を屈して以て遠きを期す者なり。彼戦いて勝たざるは、王の福なり。若し勝たば、必ず兵を以て晋に臨まん。臣還りて北のかた晋君に見えんことを請い、共に之を攻めしめば、其の呉を弱むること必せり。其の鋭兵は斉に尽き、重甲は晋に困しまん。而して王、其の弊に乗ずれば、呉を滅ぼすこと必せり」と。
現代語訳
呉王は喜び、子貢を越に行かせた。越王は郊外まで出迎え、自ら子貢の車を御して言った。「ここは蛮夷の国です。大夫がわざわざ威儀を正しておいでになるほどのところではありません」。子貢は言った。「いま私は呉王に魯を救い斉を伐つよう説きました。呉王は乗り気ですが越を恐れて、『越を伐ってからにしたい』と言っています。そうなれば越は必ず破られます。人に報復する志がないのに人に疑われるのは拙いことです。報復の志があるのを人に知られるのは危ういことです。事を起こす前に知られるのは危険です。この三つは事を起こすうえでの大きな禍です。呉王は猛々しく乱暴で、群臣は耐えられず、国は度重なる戦で疲れ、兵は忍びず、民は上を恨み、大臣は内で変心しています。伍子胥は諫めて死に、太宰嚭が実権を握り、君主の過ちに調子を合わせて自分の私利を守っています。これこそ王が呉に報復する時です。兵を出して呉を助けてその志をあおり、重い宝物で心を喜ばせ、へりくだった言葉で礼を尽くせば、呉は必ず斉を伐ちます。これが聖人の言う、節を屈して遠い将来を期すということです。呉が戦って勝てなければ、王の福です。もし勝てば、必ず兵を晋に向けます。私は北へ戻って晋の君に会い、ともに呉を攻めさせましょう。呉が弱まるのは確かです。精兵は斉で尽き、重装の兵は晋で苦しむ。そこで王がその疲れに乗じれば、呉を滅ぼすのは確かです」。
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・致思子貢民を治むるを孔子に問う。子曰わく、「懍懍焉として腐索の馬を扞するが若し。」 子貢曰わく、「何ぞ其れ畏るるや。」 孔子曰わく、「夫れ通達禦する皆人なり。道を以て之を導けば、則ち吾が畜なり。道を以て之を導かざれば、則ち吾が讎なり。之を如何ぞ其れ畏るる無からんや。」
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荀子・大略篇子貢(しこう)孔子に問ひて曰く、「賜(し)は学に倦(う)めり、願はくは君に事(つか)ふるに息(いこ)はん」と。孔子曰く、「詩に云ふ、『温恭朝夕、事を執りて恪(かく)有り』と。君に事ふるは難し、君に事ふる焉(いづ)くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち、賜は親に事ふるに息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『孝子匱(つ)きず、永く爾(なんぢ)の類に錫(たま)ふ』と。親に事ふるは難し、親に事ふる焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜は妻子に息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『寡妻(かさい)に刑(のっと)り、兄弟に至り、以て家邦を御(をさ)む』と。妻子は難し、妻子焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜は朋友に息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『朋友攸(こ)れ攝(たす)く、攝くるに威儀を以てす』と。朋友は難し、朋友焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜は耕すに息はんことを願ふ」。孔子曰く、「詩に云ふ、『昼は爾于(ここ)に茅(かや)かり、宵は爾于に綯(なは)を索(な)ふ。亟やかに其れ屋に乗り、其れ始めて百穀を播(ま)く』と。耕すは難し、耕す焉くんぞ息ふべけんや」と。「然らば則ち賜に息ふ者無きか」。孔子曰く、「其の壙(こう)を望めば、皋(こう)如たり、顛(てん)如たり、鬲(かく)如たり。此れ則ち息ふ所を知らん」と。子貢曰く、「大なるかな、死や。君子は焉(ここ)に息ひ、小人は焉に休す」と。
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孔子家語・致思子貢孔子に問いて曰わく、「死者は知有りや、将た知無きや。」 子曰わく、「吾死の知有るを言わんと欲すれば、将た孝子順孫の生を妨げて以て死を送らんことを恐る。吾死の知無きを言わんと欲すれば、将た不孝の子其の親を棄てて葬らざらんことを恐る。賜死者の知有ると知無きとを知らんと欲すること莫かれ。今の急に非ず、後自ら之を知らん。」
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論語・公冶長篇子貢曰く、『賜は何如。』子曰く、『女(なんじ)は器なり。』『何の器ぞ。』『瑚璉(これん)なり。』
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孔子家語・致思魯国の法、人の臣妾を諸侯に贖う者は、皆金を府より取る。子貢之を贖い、辞して金を取らず。 孔子之を聞きて曰わく、「賜之を失えり。夫れ聖人の事を挙ぐるや、以て風を移し俗を易う可く、教導以て百姓に施す可し、独り身に適するの行いのみに非ざるなり。今魯国富む者は寡くして貧しき者は衆し、人を贖いて金を受くれば則ち不廉と為さば、則ち何を以て相い贖わんや。今より以後、魯人復た人を諸侯に贖わじ。」