長短経 / 適変
申子曰、「君如身、臣如手、君設其本、臣操其末。為人君者、操契以責其名。名者、天地之綱聖人之符。張天地之綱用聖人之符、則萬物無所逃矣。」〔議曰、韓子曰、「人主者、非目若離朱乃為明也、耳若師曠乃為聰也。不任其數而待目以為明、所見者少矣、非不蔽之術也。不因其勢、而待耳以為聰、所聞者寡矣、非不欺之道〕〔也。明主者、使天下不得不為己視、使天下不得不為己聽。身居深宫之中、明燭四海之内、而天下不能蔽、不能欺者、何也?匿罪之罰重、而告奸之賞厚也。」
新字:申子曰、「君如身、臣如手、君設其本、臣操其末。為人君者、操契以責其名。名者、天地之綱聖人之符。張天地之綱用聖人之符、則万物無所逃矣。」〔議曰、韓子曰、「人主者、非目若離朱乃為明也、耳若師曠乃為聰也。不任其数而待目以為明、所見者少矣、非不蔽之術也。不因其勢、而待耳以為聰、所聞者寡矣、非不欺之道〕〔也。明主者、使天下不得不為己視、使天下不得不為己聴。身居深宮之中、明燭四海之内、而天下不能蔽、不能欺者、何也?匿罪之罰重、而告奸之賞厚也。」
書き下し
申子曰く「君は身の如く、臣は手の如し。君は其の本を設け、臣は其の末を操る。人に君たる者は、契を操りて以て其の名を責む。名なる者は、天地の綱、聖人の符なり。天地の綱を張り聖人の符を用うれば、則ち万物逃るる所無し」と。〈議に曰く、韓子曰く「人主なる者は、目、離朱の若くして乃ち明と為すに非ざるなり。耳、師曠の若くして乃ち聡と為すに非ざるなり。其の数に任ぜずして目を待ちて以て明と為せば、見る所の者少なし。蔽われざるの術に非ざるなり。其の勢いに因らずして、耳を待ちて以て聡と為せば、聞く所の者寡なし。欺かれざるの道に非ざるなり。明主なる者は、天下をして己が為に視ざるを得ざらしめ、天下をして己が為に聴かざるを得ざらしむ。身は深宮の中に居りて、明らかに四海の内を燭らし、而して天下の蔽う能わず欺く能わざるは、何ぞや。罪を匿すの罰は重く、奸を告ぐるの賞は厚ければなり」と。
現代語訳
申不害はこう言った。「君は身体のようで、臣は手のようである。君は根本を設け、臣は末端を操る。君主は割符を持って、その名に見合う実を求める。名は天地の綱であり、聖人の符である。天地の綱を張り聖人の符を用いれば、万物は逃れられない」。〈議していう。韓非子はこう言った。「君主は、目が離朱のように利いてはじめて明なのではない。耳が師曠のように利いてはじめて聡なのではない。その仕組みに頼らず自分の目だけを頼りに明とするなら、見えるものは少ない。覆い隠されない術ではない。その勢いによらず自分の耳だけを頼りに聡とするなら、聞こえるものは少ない。欺かれない道ではない。明君は、天下に自分のために見ざるを得なくさせ、自分のために聞かざるを得なくさせる。身は奥深い宮殿にいながら、四海の内を明らかに照らし、天下が覆い隠せず欺けないのはなぜか。罪を隠した罰が重く、悪事を告げた賞が厚いからである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇子曰く、觚、觚ならず。觚ならんや、觚ならんや。
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『呻吟語』外篇・品藻・名實は形影の如し名實は形影の如し。實無きの名は、造物の忌む所にして、矯偽なる者は之を貪り、暗修なる者は之を避く。
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説苑・雜言淳于髡、孟子に謂いて曰く、「名実を先んずる者は、人の為にする者なり。名実を後にする者は、自ら為にする者なり。夫子は三卿の中に在りて、名実未だ上下に加わらずして之を去る、仁者固より此くの如きか」と。孟子曰く、「下位に居りて、賢を以て不肖に事えざる者は、伯夷なり。五たび湯に就き、五たび桀に就く者は、伊尹なり。汙君を悪まず、小官を辞せざる者は、柳下惠なり。三子は道を同じくせざれども、其の趣くところは一なり。一とは何ぞや。曰く仁なり。君子も亦仁のみ、何ぞ必ずしも同じからん」と。曰く、「魯の穆公の時、公儀子政を為し、子思・子庚臣為り、魯の削らるるや滋々甚だし。是くの若きは、賢者の国に益無きなり」と。曰く、「虞は百里奚を用いずして亡び、秦の穆公は之を用いて霸たり。故に賢を用いざれば則ち亡ぶ、削らるる何ぞ得べけんや」と。曰く、「昔者、王豹淇に処りて、河西謳を善くす。綿駒高唐に処りて、齊右歌を善くす。華舟・杞梁の妻、善く其の夫を哭して国俗を変ず。諸を内に有すれば必ず外に形る。其の事を為して其の功無きは、髡未だ睹ざるなり。是の故に賢者無きなり、有らば則ち髡必ず之を識らん」と。曰く、「孔子魯の司寇と為りて用いられず、祭に従いて膰肉至らず、冕を脱がずして行く。其の不善なる者は以て肉の為なりと為し、其の善なる者は以て礼の為なりと為す。乃ち孔子は微罪を以て行かんと欲し、苟くも去るを為さんと欲せざるなり。故に君子の為す所は、衆人固より識る能わざるなり」と。
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呂氏春秋・審分⑤故に其の實を按じて其の名を審らかにして、以て其の情を求め、其の言を聽きて其の類を察し、放悖せしむる無し。夫れ名は其の實に當らざること多くして、事は其の用に當らざる者多し。故に人主は以て名分を審らかにせざる可からざるなり。名分を審らかにせざるは、是れ壅を惡みて愈々塞がるなり。壅塞の任は、臣下に在らず、人主に在り。堯・舜の臣、獨り義ならず、湯・禹の臣、獨り忠ならず、其の數を得ればなり。桀・紂の臣、獨り鄙ならず、幽・厲の臣、獨り辟ならず、其の理を失えばなり。
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論語・八佾篇季氏、泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰く、『子、止むる能わざるか。』曰く、『能わず。』子曰く、『ああ!曾て泰山は林放に如かずと謂えりや。』
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『呻吟語』外篇・人情・何ぞ其の名を惡みて其の實を好むや人を稱するに顏子を以てせば、悅ばざる者無し。其の貧賤にして夭なるを忘る。人を稱するに桀・紂・盜跖を以てせば、怒らざる者無し。其の富貴にして壽なるを忘る。善を好み惡を惡むの同じく然ること此の如し。而るに人と作るは卻つて桀・紂・盜跖と同じく歸す。何ぞ其の名を惡みて其の實を好むや。