長短経 / 懼戒
〔議曰、班固云、「昔《詩》、《書》述虞、夏之際、舜、禹受禪、積徳累仁、數十年、然後在位。殷、周之王、乃由契、稷、厯十餘世、然後放殺。」秦起襄公、始蠶食六國、至于始皇、乃并天下。秦既稱帝、患周之敗、以為諸侯力爭、以弱見奪。于是削去五等、墮城銷刃、箝語燒書、内鉏雄俊、外攘胡越、用一威權、以為萬世安。然十餘年間、强敵横發乎不虞、謫戍强于五霸、閭閻逼于戎狄、響應㿊于謗議、奮臂威于甲兵。向秦之禁、適所以資豪傑、自速其斃也。由是觀之、夫豪傑之資、在于虐政矣。〕
新字:〔議曰、班固云、「昔《詩》、《書》述虞、夏之際、舜、禹受禅、積徳累仁、数十年、然後在位。殷、周之王、乃由契、稷、歴十余世、然後放殺。」秦起襄公、始蠶食六国、至于始皇、乃并天下。秦既称帝、患周之敗、以為諸侯力争、以弱見奪。于是削去五等、堕城銷刃、箝語焼書、内鉏雄俊、外攘胡越、用一威権、以為万世安。然十余年間、強敵横発乎不虞、謫戍強于五覇、閭閻逼于戎狄、響応㿊于謗議、奮臂威于甲兵。向秦之禁、適所以資豪傑、自速其斃也。由是観之、夫豪傑之資、在于虐政矣。〕
書き下し
〔議に曰く、班固云う「昔、詩・書は虞・夏の際を述ぶ。舜・禹の禅りを受くるや、徳を積み仁を累ぬること数十年、然る後に位に在り。殷・周の王たるや、乃ち契・稷より、十余世を歴て、然る後に放殺す」と。秦は襄公より起こり、始めて六国を蚕食し、始皇に至りて、乃ち天下を并す。秦既に帝を称し、周の敗を患い、以為えらく、諸侯力争し、弱を以て奪わると。是に於て五等を削去し、城を堕ち刃を銷かし、語を箝し書を焼き、内は雄俊を鉏き、外は胡越を攘い、一の威権を用いて、以て万世の安と為す。然れども十余年の間、強敵は不虞に横発し、謫戍は五霸より強く、閭閻は戎狄より逼り、響応は謗議より憯しく、奮臂は甲兵より威あり。向の秦の禁は、適に豪傑に資して、自ら其の斃を速むる所以なり。是に由りて之を観れば、夫れ豪傑の資は、虐政に在り。〕
現代語訳
〔論じて言う。班固は言う。「昔、『詩経』『書経』は虞・夏の頃を述べている。舜や禹が禅譲を受けるまでには、徳を積み仁を重ねること数十年、それから位に就いた。殷・周が王となるまでには、始祖の契や后稷から十数代を経て、ようやく桀・紂を追放し殺した」。秦は襄公から興り、六国を少しずつ食い、始皇帝に至って天下を併せた。秦は帝を称すると、周が敗れたのを見て、諸侯が力で争い、弱いから奪われたのだと考えた。そこで五等の爵位を廃し、城壁を壊し武器を溶かし、言論を封じ書物を焼き、内では英雄や俊才を刈り取り、外では胡や越を退け、一つの威権で万世の安泰を図った。しかし十数年のうちに、強敵は思いもよらぬところから起こり、流刑の兵が五覇より強く、村里の民が異民族より迫り、呼応する声が誹謗より激しく、腕を振り上げる者が鎧兜の軍より威があった。かつての秦の禁令は、かえって豪傑に元手を与え、自らの滅亡を早めただけだった。これで見れば、豪傑の元手は虐政にある。〕
解説

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『長短経』七雄略嬴氏の場を擅にするに及び、周の失を懲らし、五等を廃し、郡県を立つ。君は海内を有ちて、子弟は匹夫たり。功臣は勤めを効すも、干城に茅土無し。孤りにて天下を制し、独り其の利を擅にす。身死するの日、海内分崩す。陳勝は偏袒して前に唱え、劉季は剣を提げて後に興り、虎嘯き龍睇み、遂に秦族を亡ぼす。夫れ劉・陳の諸傑は布衣なり。呉・楚の勢い、立錐の地無し。然り而して白徒の衆を駆りて、天子と衡を争うを得たる者は、百姓乱を思い、諸侯の勤王の憚るべき無ければなり。故に語に曰く、夫れ乱政虐刑は、英雄に資して自ら禍を速むる所以なり、と。此の謂いなり。
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史記 秦始皇本紀秦に亡矢遺鏃の費無くして、天下の諸侯已に困しむ。是に於て従散じ約解け、争ひて地を割きて秦に奉ず。秦余力有りて其の敝を制し、亡を追ひ北を逐ひ、伏尸百万、流血櫓を漂はす。利に因り便に乗じ、天下を宰割し、河山を分裂す。彊国は服を請ひ、弱国は入朝す。孝文王・荘襄王に延及し、国を享くること日浅く、国家事無し。秦王に至るに及び、六世の余烈を続ぎ、長策を振るひて宇内を御し、二周を呑みて諸侯を亡ぼし、至尊を履みて六合を制し、棰拊を執りて以て天下を鞭笞し、威は四海を振るふ。南のかた百越の地を取り、以て桂林・象郡と為す。百越の君首を俛れ頸を系け、命を下吏に委ぬ。乃ち蒙恬をして北のかた長城を築きて藩籬を守らしめ、匈奴を却くること七百余里。胡人敢へて南に下りて馬を牧さず、士敢へて弓を彎きて怨みに報いず。是に於て先王の道を廃し、百家の言を焚き、以て黔首を愚にす。名城を墮ち、豪俊を殺し、天下の兵を収めて之を咸陽に聚め、鋒を銷して鐻を鋳、以て金人十二と為し、以て黔首の民を弱む。然る後に華を斬りて城と為し、河に因りて津と為し、億丈の城に拠り、不測の谿に臨みて以て固めと為す。良将勁弩要害の処を守り、信臣精卒利兵を陳ねて誰何す。天下以て定まる。秦王の心、自ら以為へらく関中の固め、金城千里、子孫帝王万世の業なりと。秦王既に没して、余威殊俗に振るふ。陳渉は、罋牖縄枢の子、甿隷の人にして、遷徙の徒なり。才能は中人に及ばず、仲尼・墨翟の賢、陶朱・猗頓の富有るに非ず。足を行伍の間に躡み、什伯の中に倔起し、罷散の卒を率ゐ、数百の衆を将ゐて、転じて秦を攻む。木を斬りて兵と為し、竿を掲げて旗と為す。天下雲のごとく集まり響きのごとく応じ、糧を贏ひて景のごとく従ひ、山東の豪俊遂に并び起こりて秦族を亡ぼす。且つ夫れ天下は小弱に非ざるなり。雍州の地、殽函の固めは自若たり。
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『長短経』覇図秦の天下を蚕食し、戦国を并呑し、海内の政を一にし、諸侯の城を壊し、法厳に政峻しく、諂諛する者衆きに至るに及ぶ。蒙恬をして兵を将いて北のかた胡を攻めしめ、尉佗をして卒を将いて以て粤を戍らしむ。兵を無用の地に宿して、人、生を聊んぜず。始皇崩じ、天下大いに叛く。陳勝・呉広、陳に挙がる。
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史記 秦始皇本紀秦海内を并せ、諸侯を兼ね、南面して帝と称し、以て四海を養ふ。天下の士斐然として風に郷ふ。是の若きは何ぞや。曰く、近古の王無きこと久し。周室卑微にして、五霸既に歿し、令天下に行はれず。是を以て諸侯力政し、彊は弱を侵し、衆は寡を暴し、兵革休まず、士民罷敝す。今秦南面して天下に王たり、是れ上に天子有るなり。既に元元の民其の性命を安んずるを得んことを冀ひ、心を虚しくして上を仰がざる莫し。此の時に当たり、威を守り功を定むるは、安危の本此に在り。秦王貪鄙の心を懐き、自奮の智を行ひ、功臣を信ぜず、士民に親しまず、王道を廃し、私権を立て、文書を禁じて刑法を酷にし、詐力を先にして仁義を後にし、暴虐を以て天下の始めと為す。夫れ并兼する者は詐力を高び、安定する者は順権を貴ぶ。此れ取ると守ると術を同じくせざるを言ふなり。秦戦国を離れて天下に王たるも、其の道易へず、其の政改めず。是れ其の之を取る所以と之を守る所以と異なる無きなり。孤独にして之を有つ、故に其の亡ぶこと立ちて待つ可し。借使秦王上世の事を計り、殷周の跡を并せ、以て其の政を制御せば、後に淫驕の主有りと雖も、未だ傾危の患ひ有らざるなり。故に三王の天下を建つるや、名号顕美にして、功業長久なり。今秦の二世立つや、天下領を引きて其の政を観ざる莫し。夫れ寒ゆる者は裋褐を利とし、饑うる者は糟糠を甘しとす。天下の嗷嗷たるは、新主の資なり。此れ労民の仁を為し易きを言ふなり。