長短経 / 覇図
姚泓僣號於西京、髙祖征平之、擒泓〔高祖既滅秦、入長安、留子義真鎮長安、而還江南。時赫連都統萬、聞之大悦、謂王買徳曰、「朕將進圖長安、卿試言進取之方略。」買徳曰、「劉裕滅秦、所謂以亂易亂、未有徳政以濟蒼生、關中形勝之地、而以弱才小兒守之、非經逺之規。狼狽而反者、欲速成篡事、無暇有意於中原陛下以順伐逆、義貫幽顯、百姓懸命望陛下旗鼔、以日為歲。清泥上洛、南師之要衝、宜置逰軍、斷其去來之路、然後杜潼闗、塞崤峽、絶其水陸之道、聲檄長安、申布恩澤、三輔之人皆壺漿以迎王師矣。義真獨坐空城、逃竄無所、一旬之間必見縛於麾下。所謂兵不血刃、不戰而自定也。」勃勃善之、南伐長安。高祖懼、召義真東鎮洛陽、以朱齡石守長安、長安人逐齡石而迎勃勃、遂失闗中也。〕
新字:姚泓僣号於西京、高祖征平之、擒泓〔高祖既滅秦、入長安、留子義真鎮長安、而還江南。時赫連都統万、聞之大悦、謂王買徳曰、「朕将進図長安、卿試言進取之方略。」買徳曰、「劉裕滅秦、所謂以乱易乱、未有徳政以済蒼生、関中形勝之地、而以弱才小児守之、非経遠之規。狼狽而反者、欲速成篡事、無暇有意於中原陛下以順伐逆、義貫幽顕、百姓懸命望陛下旗鼓、以日為歳。清泥上洛、南師之要衝、宜置遊軍、断其去来之路、然後杜潼関、塞崤峡、絶其水陸之道、声檄長安、申布恩沢、三輔之人皆壺漿以迎王師矣。義真独坐空城、逃竄無所、一旬之間必見縛於麾下。所謂兵不血刃、不戦而自定也。」勃勃善之、南伐長安。高祖懼、召義真東鎮洛陽、以朱齢石守長安、長安人逐齢石而迎勃勃、遂失関中也。〕
書き下し
姚泓、号を西京に僭す。高祖、征して之を平らげ、泓を擒にす。〈高祖、既に秦を滅ぼし、長安に入る。子義真を留めて長安に鎮せしめて、江南に還る。時に赫連、統万に都す。之を聞きて大いに悦び、王買徳に謂いて曰く「朕、将に進みて長安を図らんとす。卿、試みに進取の方略を言え」と。買徳曰く「劉裕、秦を滅ぼすは、所謂乱を以て乱に易うるなり。未だ徳政の以て蒼生を済う有らず。関中は形勝の地なるに、弱才の小児を以て之を守らしむ。遠きを経るの規に非ず。狼狽して反る者は、速やかに篡事を成さんと欲し、中原に意有るに暇あらざればなり。陛下、順を以て逆を伐たば、義は幽顕を貫く。百姓、命を懸けて陛下の旗鼓を望むこと、日を以て歳と為す。清泥・上洛は、南師の要衝なり。宜しく遊軍を置きて、其の去来の路を断つべし。然る後に潼関を杜ぎ、崤峡を塞ぎ、其の水陸の道を絶ち、長安に声檄し、恩沢を申布せば、三輔の人、皆な壺漿して以て王師を迎えん。義真、独り空城に坐し、逃竄する所無く、一旬の間に必ず麾下に縛せられん。所謂兵、刃に血ぬらずして、戦わずして自ら定まるなり」と。勃勃、之を善しとし、南のかた長安を伐つ。高祖懼れ、義真を召して東のかた洛陽に鎮せしめ、朱齢石を以て長安を守らしむ。長安の人、齢石を逐いて勃勃を迎う。遂に関中を失うなり。〉
現代語訳
姚泓が西の都で帝号を僭した。高祖は征伐して平らげ、姚泓を捕らえた。〈高祖は秦を滅ぼして長安に入った。子の劉義真を残して長安に鎮させ、江南へ帰った。当時、赫連勃勃は統万に都していた。これを聞いて大いに喜び、王買徳に言った。「私は長安を狙おうと思う。進み取る方策を言ってみよ」。王買徳は言った。「劉裕が秦を滅ぼしたのは、乱を乱に置き換えたようなもので、民を救う徳政がまだない。関中は地形の優れた土地なのに、才の弱い子どもに守らせている。遠くを見た計ではありません。あわてて帰ったのは、早く簒奪を成し遂げたくて、中原にかまっている暇がないからです。陛下が順を以て逆を伐てば、義は幽界にも現世にも貫きます。民は命を懸けて陛下の旗と太鼓を待ち望み、一日を一年のように思うでしょう。清泥と上洛は南の軍の要衝です。遊軍を置いて往来の道を断つべきです。そのうえで潼関を塞ぎ、崤の峡を閉じ、水陸の道を絶ち、長安へ檄を飛ばし、恩沢を広めれば、三輔の人はみな壺に飲み物を入れて王の軍を迎えます。劉義真は空城に一人座り、逃げる先もなく、十日のうちに必ず縛られるでしょう。いわゆる刃に血を塗らず、戦わずに定まるということです」。赫連勃勃はこれをよしとし、南へ長安を伐った。高祖は恐れ、劉義真を呼んで東の洛陽に鎮させ、朱齢石に長安を守らせた。長安の人々は朱齢石を追い出して赫連勃勃を迎えた。こうして関中を失った。〉
解説
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関連する章句
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『長短経』覇図高祖武皇帝、姓は劉、名は裕、字は徳輿、彭城の人なり。桓玄、晋を簒う。〈偽楚の桓玄、字は敬徳、譙国龍亢の人なり。形貌瓌特なり。江州刺史と為り、荊州刺史殷仲堪を襲い殺す。会稽王の世子元顕、政を専らにす。玄の跋扈するを以て、軍を遣わして之を征す。玄、討たるるを聞き見て、即ち衆を率いて下りて京師に至り、元顕を殺す。詔して玄を以て丞相と為し、楚王に封ず。遂に位を禅る。〉高祖、劉毅・何無忌等と潜かに匡復を謀り、兵を起こして玄を平らぐ。〈時に桓玄、桓弘をして広陵に鎮せしむ。劉道規、弘の中兵参軍と為る。道規をして弘を襲わしむ。桓修、丹徒に鎮す。高祖、修の中兵参軍と為り、自ら修を襲う。期を克して同に発す。劉毅・道規等、既に広陵を襲い、桓弘を斬り、其の衆を以て南のかた渡る。高祖・何無忌、京師を襲い、桓修を斬る。二州の衆千二百人を率いて、進みて竹里に舎り、檄を京師に移す。曰く、
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