長短経 / 将体
故將、能清、能静〔亷財曰清、不擾曰静。老子曰、“重為輕根、静為躁君也。”、〕能平、能整、能受諫、能聴訟、能納人〔受賢于羣英之中、若越納范蠡、齊納寗戚之類也。、〕能採善言、能知國俗、能圖山川、能裁阨難〔險、難、阨、皆悉明之。、〕能制軍權。
新字:故将、能清、能静〔廉財曰清、不擾曰静。老子曰、“重為軽根、静為躁君也。”、〕能平、能整、能受諫、能聴訟、能納人〔受賢于羣英之中、若越納范蠡、斉納寗戚之類也。、〕能採善言、能知国俗、能図山川、能裁阨難〔険、難、阨、皆悉明之。、〕能制軍権。
書き下し
故に将は、能く清く、能く静かに〔財に廉なるを清と曰い、擾さざるを静と曰う。老子曰く「重きは軽きの根為り、静かなるは躁がしきの君為り」と〕、能く平らかに、能く整い、能く諫を受け、能く訟を聴き、能く人を納れ〔賢を群英の中に受く。越の范蠡を納れ、斉の甯戚を納るるの類の若きなり〕、能く善言を採り、能く国俗を知り、能く山川を図り、能く阨難を裁き〔険・難・阨、皆悉く之に明らかなり〕、能く軍権を制す。
現代語訳
だから将は、清くあり、静かであり〔財に清廉であるのを清、人を騒がせないのを静という。老子は「重いものは軽いものの根本であり、静かなものは騒がしいものの主である」と言う〕、公平であり、整っており、諫めを受け入れ、訴えを聞き、人を受け入れ〔多くの英才の中から賢者を受け入れる。越が范蠡を、斉が甯戚を受け入れたような類である〕、善い言葉を採り、国の風俗を知り、山川の地形を考え、困難な局面をさばき〔険しさ、難しさ、狭さのどれにも通じている〕、軍の権を制することができる。
解説
将に求められる能力が十二並びます。財に清廉であること、騒がず落ち着いていること、公平で整っていること。そして目立つのが、諫めを受け、訴えを聞き、人材を受け入れ、善い意見を採る、という聞く力です。国の風俗や地形を知る知識、困難をさばく判断力はその後に来る。強い将は、自分の考えを押し通す人ではなく、周りの声と人材を受け入れる器を持った人だと、趙蕤は示しているのです。
この章句が説くこと
将体清廉傾聴人材登用老子器
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